免田事件

結末 1983年7月、熊本地裁八代支部が再審で無罪を言い渡し、死刑が確定していた男性の無罪が確定

発生日 1948年12月29日(昭和23年) 〜 1948年12月30日 1948年(昭和23年)の事件 / 12月29日に起きた事件
経過 発生から77年9か月 1983年7月15日の確定から43年3か月
発生場所 熊本県 人吉市(祈祷師夫婦宅)
種別 強盗
状態 判決確定
被害 死者 2人  負傷者 2人
  • 事件が変えた法律・制度死刑確定者が再審で無罪となった日本初の事例となり、2013年に死刑再審無罪者へ国民年金給付等を行う特例法(通称・免田法)の制定につながった。
  • 冤罪と再審 — 無罪が確定した事件と再審請求1952年に死刑が確定。1983年の再審で無罪となり、死刑確定者として初めて再審無罪が確定した。
1948年(昭和23年)12月29日深夜から30日未明にかけて、熊本県人吉市の祈祷師夫婦宅に押し入り、夫婦を殺害し娘2人に重傷を負わせ、現金を奪った強盗殺人事件。近隣の男性・免田栄が逮捕され自白により死刑が確定したが、6次にわたる再審請求の末、1983年に再審無罪が確定した。死刑確定者が再審で無罪となった日本初の事例として知られる。
免田事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の発生

1948年12月29日深夜から30日午前3時頃にかけて、熊本県人吉市の祈祷師夫婦(当時76歳の男性と52歳の女性)宅に何者かが押し入り、夫婦を殺害したうえ、娘2人(当時14歳・12歳)にも重傷を負わせ、現金を奪って逃走した。
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免田栄の逮捕と自白

1949年1月13日、近隣に住んでいた免田栄(1925年生、当時23歳)が別の窃盗容疑で逮捕され、16日に本件の強盗殺人容疑で再逮捕された。免田は取調べで3日間にわたり厳しい追及を受けた末に犯行を認める供述をし、同月28日に起訴された。

裁判の経過と死刑確定

1949年2月17日の初公判で免田は殺意以外の一部を認めていたが、同年4月14日の第3回公判で一転して犯行を否認し、取調べは拷問によって自白を強要されたものであり、事件当夜は別の女性のもとで過ごしていたとするアリバイを主張した。しかし1950年3月23日、一審の熊本地方裁判所人吉支部は死刑を言い渡した。1951年3月19日の控訴審も控訴を棄却し、同年12月25日には最高裁判所が上告を棄却、1952年1月5日に死刑が確定した。

6次にわたる再審請求

死刑確定後も免田は一貫して無実を訴え続け、再審を6次にわたって請求した。第3次請求では1956年8月10日に熊本地裁八代支部が再審開始を決定した(西辻決定)が、1959年4月15日に抗告審で取り消され、第5次請求までは再審に至らなかった。転機が訪れたのは1972年に提起した第6次請求である。1976年4月30日に地裁がいったん棄却を決定したものの、1979年9月27日、福岡高等裁判所が再審開始を決定した。検察側は特別抗告したが、1980年12月11日に最高裁判所がこれを棄却し、再審開始が確定した。

再審無罪と釈放

再審では、免田が主張していたアリバイの信用性が認められ、捜査段階の自白についても信用性が否定された。検察側が主張していた犯行後の逃走経路にも不自然な点があると指摘された。1983年7月15日、熊本地方裁判所八代支部は無罪判決を言い渡し、免田は逮捕から34年6か月を経て即日釈放された。検察は控訴を断念し、同月28日に無罪が確定した。これは、死刑が確定した者が再審によって無罪となった日本で最初の事例だった。

釈放後の人生と四大死刑冤罪事件

釈放後、免田は獄中で綴った手記を出版したほか、全国各地の再審請求事件の支援活動に携わり、誤った捜査や自白偏重の危険性、死刑制度の問題点について各地で講演を続けた。2020年12月5日、95歳で死去した。免田事件は、財田川事件(1984年再審無罪)・松山事件(1984年再審無罪)・島田事件(1989年再審無罪)とともに、1980年代に相次いで再審無罪が確定した「四大死刑冤罪事件」の先駆けとなった。これらの事件はいずれも、自白の任意性・信用性に大きく依存した捜査・公判のあり方に根本的な疑問を投げかけ、後の刑事訴訟法運用や取調べの可視化をめぐる議論にも影響を及ぼした。

支援活動と評価

日本弁護士連合会は、免田事件を含む死刑判決確定後に無罪となった代表的なえん罪事件の一つとして、現在も自白偏重捜査の危険性を訴える際の事例として取り上げている。

免田事件が投げかけた課題

免田事件では、逮捕から起訴までの取調べで自白が得られた一方、その自白の内容が客観的な証拠やアリバイと整合しない点が再審段階で明らかになった。捜査段階での自白に過度に依存した立証のあり方は、後年の刑事訴訟法改正論議や取調べの録音・録画(可視化)制度の導入をめぐる議論においても、繰り返し引用される先例となっている。

補償と司法制度への影響

免田には刑事補償法に基づき、拘禁日数12,599日に対して9,071万2,800円の刑事補償金が支払われた。最高検察庁は本件を含む死刑再審無罪事件について検討委員会を設け、捜査・公判の問題点を検討した。2013年には、免田をはじめとする死刑再審無罪者に国民年金の給付等を行う特例法(通称・免田法)が成立した。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1948年12月29日
  2. 逮捕 1949年1月16日 +18日
  3. 判決 1952年1月5日 +1,084日
  4. 公判 1956年8月10日 +1,679日
  5. 判決 1983年7月15日 +9,835日

経過

  1. 1948年12月29日
    昭和23年

    事件・事故 人吉市の祈祷師夫婦宅で強盗殺人事件が発生

    祈祷師夫婦が殺害され、娘2人が重傷を負い、現金が奪われた。

  2. 1949年1月16日
    昭和24年

    逮捕 免田栄を強盗殺人容疑で再逮捕

    窃盗容疑で先行逮捕されていた免田栄が、本件の強盗殺人容疑で再逮捕された。

  3. 1952年1月5日
    昭和27年

    判決 最高裁判所の上告棄却により死刑が確定

    一審・控訴審に続き最高裁も上告を棄却し、免田栄の死刑が確定した。

  4. 1956年8月10日
    昭和31年

    公判 第3次再審請求で再審開始決定(西辻決定)

    1959年4月15日に抗告審で取り消された。

    熊本地方裁判所八代支部

  5. 1983年7月15日
    昭和58年

    判決 熊本地裁八代支部が再審で無罪判決(7月28日に確定)

    アリバイの信用性が認められ、自白の信用性が否定された。免田栄は逮捕から34年6か月ぶりに即日釈放された。

出典・参考資料

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「免田事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1948-menda-case/
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更新履歴

  • 2026年10月5日 ステータスを「終結」→「判決確定」に訂正(刑事裁判で判決が確定しているため。無罪確定を含む)
  • 2026年9月28日 公判日付の誤り(1950年→1949年)、再審請求の経過(第3次の再審開始決定の欠落)、拘束期間の起点(死刑確定→逮捕)を訂正、無罪確定日を補記、裏付けのない記述を削除
  • 2026年8月18日 初版公開

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