庭坂事件

発生日 1948年4月27日(昭和23年)
経過 発生から78年4か月
発生場所 福島県 福島市(旧信夫郡庭坂村、奥羽本線赤岩駅-庭坂駅間、通称「高堤防」)
種別 その他
状態 未解決 公訴時効早見表で制度を確認できます
被害 死者 3人  負傷者 1人
1948年(昭和23年)4月27日未明、福島県庭坂村(現・福島市)の奥羽本線赤岩-庭坂間で、青森発上野行きの上り急行旅客列車が脱線転覆し、機関士・機関助士と、たまたま便乗していた技工の3人が死亡した。現場ではレールの継目板や犬釘が抜き取られており人為的な線路破壊が疑われたが、犯人は特定されないまま迷宮入りとなった。手口は翌年発生した松川事件と酷似しており、両事件の関連を指摘する研究もある。
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事件の経過

1948年(昭和23年)4月27日午前0時4分ごろ、福島県庭坂村(現・福島市)の奥羽本線赤岩駅-庭坂駅間、通称「高堤防」と呼ばれる急勾配・急カーブの区間で、青森発上野行きの上り急行旅客列車が脱線転覆した。先頭の機関車と郵便車が築堤下に転落して岩石に激突し、機関士と機関助士が即死、たまたま運転室に乗り合わせていた技工も重傷を負って後に死亡した。荷物車掌も打撲傷を負った。 当時、山形・秋田方面と東京を直通で結ぶこの列車は、食糧管理法の統制下でヤミ米を求める買出し客で満員となっており、定員の2倍を超える1200人余りが乗車していたとされる。事故で列車が止まると、ヤミ米とみられる荷物を抱えた乗客たちが線路伝いに駅へ向かい、あるいは取り締まりを恐れて歩いて福島まで向かう者も大勢いたという。
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事故原因をめぐる諸説

現場付近に人家はなく、事故直後から原因をめぐって複数の見方が示された。乗客の証言によれば、この下り勾配区間は速度が抑えられて運転されており、運転ミスの可能性は薄いとされた。事故の2日前に行われていた保線工事についても、その後何本もの列車が無事に通過していたことから、手落ちとは考えにくいとされた。 一方、検察・警察による現場検証では、カーブ外側のレールの継目板2枚、犬釘6本、ボルト4本が抜き取られていたことが確認され、人為的な線路破壊の可能性が浮上した。列車強盗説や、国鉄労働組合内部の犯行を疑う見方も捜査の過程で検討されたが、いずれも決め手を欠いた。

捜査の打ち切りと未解決

庭坂機関区の労働組合は当時、管轄する新潟鉄道局管内でも組織的にまとまりの強い組合として知られていた。事件後、庭坂周辺の日本共産党員や国鉄労働組合員が徹底的に取り調べを受け、精神的な負担から体調を崩す者や退職に追い込まれる者も出たとされる。 しかし、実行犯の特定には至らないまま捜査は数か月で事実上打ち切られ、起訴も裁判も行われることなく迷宮入りとなった。事件を報じた新聞・雑誌の記事類や関係者の遺品は、福島大学の松川資料室に「庭坂事件」のファイルとしてまとめられている。

松川事件との関連

庭坂事件は、その約1年4か月後の1949年8月17日に隣接する東北本線金谷川-松川間で発生した松川事件(既存記事参照)と、手口の面で強い共通点を持つ。松川事件でもカーブ地点のレールの継目板や犬釘が外されていた。 福島大学の伊部正之名誉教授による調査報告(『福島大学研究年報』第7号、2012年)は、両事件が発生場所・時期の近さに加えて、警察の捜査体制の面でも接点があったと指摘する。庭坂事件の捜査主任を務めた警察官は、翌年の松川事件でも捜査主任を担当し、凶器とされるバールとスパナが現場付近で見つかる前に、周囲に「凶器はバールとスパナに違いない」と語っていたとされ、その根拠として庭坂事件の捜査経験を挙げていたという。また、庭坂機関区の労働組合員だった1人は、松川事件で被告人の1人とされたが、複数の医療機関の鑑定によって、起訴事実のような形で現場での犯行に関与することは身体的に不可能だったことが後に指摘されている。

現場に残る碑

事故現場には1948年、庭坂機関区の職員らの手で「殉職之碑」が建立された。犠牲者3人の氏名と最期の状況が刻まれ、建立に使われた御影石は、地元の石工が松川の川底から探し出して運び上げたものだったという。 1997年7月27日には、事故から半世紀近くが経った節目に関係者によって新たに「殉職之碑誌」が建てられた。その碑文には「事故の原因は今だに解明されておりません」と刻まれている。犯人の検挙も真相の解明もされないまま、庭坂事件は日本の鉄道史に残る未解決事件の一つとなっている。

経過

  1. 1948年4月27日
    昭和23年

    事件・事故 奥羽本線赤岩-庭坂間で急行旅客列車が脱線転覆

    機関士・機関助士と便乗していた技工の3人が死亡した。

  2. 1997年7月27日
    平成9年

    その他 現場に「殉職之碑誌」が建立される

    碑文に「事故の原因は今だに解明されておりません」と刻まれた。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    福島大学(伊部正之)  2012年1月1日発行  福島大学研究年報第7号
    大学紀要の調査報告(PDF全文をWayback Machine経由で確認)。発生日時・場所・死者3人の内訳、現場検証で継目板・犬釘・ボルトが抜かれていた事実、松川事件との捜査体制上の接点、現場の「殉職之碑」「殉職之碑誌」の碑文を確認。原本URL(lib.fukushima-u.ac.jp)は自動アクセスを403で拒否するためアーカイブ版を掲載。
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    百科事典。発生日時・場所・死者数を確認の起点として使用し、大学紀要の調査報告で裏取りした。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「庭坂事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1948-niwasaka-incident/

関連事件

  • 1949年8月17日 手口が酷似し、捜査主任も共通していたとされる翌年の事件

    松川事件

関連する事件

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更新履歴

  • 2026年8月27日 初版公開

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