福井地震 通称: 福井大震災

発生日 1948年6月28日(昭和23年) 1948年(昭和23年)の事件 / 6月28日に起きた事件
経過 発生から78年4か月
発生場所 福井県 福井市、坂井郡(現在の坂井市)ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 3,769人  負傷者 21,750人
  • 事故・災害が変えた安全対策壊滅的な家屋被害を受けて1949年に震度7が新設され、木造家屋の被害調査は1950年の建築基準法施行令の壁量計算に取り入れられた。
1948年6月28日16時13分、福井平野の直下の浅い所を震源として発生したマグニチュード7.1の地震。当時の震度階級で最大の震度6を観測し、福井市では総戸数の8割を超える家屋が全壊、震源に近い集落では全壊率がほぼ100%に達した。地震直後には福井市内の各所から火が出て、多くの家屋が焼失した。死者は福井・石川両県で3,769人にのぼった。この地震の壊滅的な被害を受けて、気象庁は翌1949年に震度階級に「震度7」を加えた。
福井地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
スポンサーリンク

戦災からの復興途上を襲った直下地震

福井地方気象台によると、1948年6月28日16時13分、福井平野の浅い所でマグニチュード7.1の地震が起きた。揺れの大きさは、当時の震度階級で最大の震度6だった。本震の6分後にはマグニチュード5.8の大きな余震が起き、約3週間にわたって揺れを感じる地震が1日に数回続いた。地震調査研究推進本部は、福井平野東縁断層帯の西部をこの地震の震源断層の主断層と評価している。福井市は、3年前の1945年7月19日の空襲で市街地の9割前後を焼失しており、内閣府の報告書によると、空襲による死者は1,500人あまりと伝えられる。地震は、その戦災からの復興を進めていたさなかの市街地を襲った。
スポンサーリンク

壊滅した市街地と集落

福井地方気象台によると、福井県内の被害は全壊3万5,382戸、死者3,728人で、福井市では総戸数1万5,525戸のうち1万2,425戸が全壊し、全壊率は80%を超えた。内閣府の中央防災会議の報告書によると、被災地全体の死者は3,769人(理科年表による)にのぼった。地震の規模の割に被害が大きかったのは、震源がきわめて浅く、地盤の軟弱な沖積平野の真下で起きたためで、全壊率が100%の区域は被害区域の4分の1を占めた。市の中心部にあった鉄筋コンクリート7階建ての百貨店は15度傾いて火災にも見舞われ、福井震災の象徴とされた。坂井郡吉崎村浜坂では、高さ60メートルほどの砂丘が崩れて民家13戸が埋まり、23人が亡くなった。鉄道も上野発米原行きの列車が転覆するなどの被害を受け、九頭竜川の鉄橋が落ちて北陸本線は2か月間不通となった。

地震火災

報告書によると、地震とほぼ同時に福井市内では各所から火が出て、2,400戸あまりが焼失した。木造モルタル造りの映画館も火に包まれ、多くの観客が犠牲になったと伝えられる。火勢が強かったうえに、消火用の水利が限られ、倒壊した家屋が道路をふさいだことも消防活動を妨げた。映画館で下敷きになった観客の救出を守るために出動した消防隊も、火勢に押されて撤退を余儀なくされた。火は翌29日の午前3時ごろに下火になったが、すべての地域で鎮火するまでには5日を要した。

救援と国の対応

6月29日、政府は国会に震災の第一報を報告し、衆議院は福井・石川などの震災の救援に関する決議を可決した。7月4日、芦田均首相は衆議院で、倒壊家屋は約4万軒、死者は3,600人余り、重軽傷者は1万人余りと推算されると報告した。そのうえで、応急救助のために1億円の予備費を支出すること、被災者の封鎖預金について1世帯10万円までの自由な払い戻しを認めることなどの緊急措置を説明した。報告書によると、救援医療には県内外の医療班や宗教団体なども加わった。一方で、当時の災害救助法が緊急対応に限られていたことから、医療施設の復旧が進まないといった問題も指摘された。

震度7の新設と建築基準法

福井地震の時の震度は最大でも6だった。当時の震度階級が6までだったためである。報告書によると、気象庁はこの地震の壊滅的な被害を受けて震度階級を改め、翌1949年に、家屋の倒壊率が30%を超える場合に適用する「震度7」を新たに設けた。震度7は、1995年の兵庫県南部地震まで適用されることはなかった。木造住宅の耐震設計にも影響を残した。報告書は、1950年に制定された建築基準法の施行令にある「壁量計算」が、福井地震の被害調査の結果を踏まえて採り入れられたものだと説明している。当時の建設省建築研究所の調査では、ばらつきは大きいものの、壁の量が多い木造家屋ほど被害の程度が小さいことが示された。一方、鉄筋コンクリート造など非木造の耐震規定については、福井地震との直接的な関係は見当たらないとしている。

水害と「不死鳥のまち」

地震で九頭竜川や足羽川などの堤防は1〜5メートル沈下し、各所で亀裂や崩壊が生じた。1か月後の7月下旬の集中豪雨で九頭竜川左岸の堤防が決壊し、当時の福井市の総面積の約60%が浸水して、地震と豪雨による複合災害となった。福井市では、すでに決まっていた戦災復興の都市計画がそのまま震災復興の都市計画として進められ、報告書はこれを「事前復興計画」ともいうべき前例のない事例と評価している。1952年には福井復興博覧会が開かれ、入場者は97万人に達した。空襲と震災で二度にわたって全市が壊滅しながら立ち上がった福井市は、自らを「不死鳥のまち」と呼んでいる。

経過

  1. 1945年7月19日
    昭和20年

    その他 空襲で福井市の市街地の大半が焼失

  2. 1948年6月28日
    昭和23年

    事件・事故 福井平野の直下でマグニチュード7.1の地震

    16時13分、当時最大の震度6

  3. 1948年6月29日
    昭和23年

    その他 政府が国会に第一報、衆議院が救援決議

  4. 1948年7月4日
    昭和23年

    その他 芦田首相が国会で被害と緊急措置を報告

    予備費1億円の支出など

  5. 1948年7月25日
    昭和23年

    その他 豪雨で九頭竜川の堤防が決壊し、複合災害に

  6. 1949年
    昭和24年

    その他 気象庁が震度階級に震度7を新設

    家屋の倒壊率30%以上

  7. 1950年5月24日
    昭和25年

    その他 建築基準法が公布される

    施行令に木造の壁量計算

  8. 1952年4月9日
    昭和27年

    その他 福井復興博覧会が開幕

    入場者97万人

出典・公的資料

一次資料 7件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

さらに調べるには

資料の探し方や引用の書き方は調べ学習・レポートでの使い方にまとめています。

日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

PR以下は広告(アフィリエイトリンク)です。購入されると本サイトに紹介料が支払われることがあります。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。一次資料までたどる方法は調べ学習・レポートでの使い方をご覧ください。

「福井地震」事件JP、2026年10月28日閲覧。https://jiken.jp/cases/1948-fukui-earthquake/
スポンサーリンク

更新履歴

  • 2026年10月15日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。