高松空襲

発生日 1945年7月4日(昭和20年) 1945年(昭和20年)の事件 / 7月4日に起きた事件
経過 発生から81年3か月
発生場所 香川県 高松市
種別 その他
状態 終結
被害 死者 1,359人  負傷者 1,034人
1945年(昭和20年)7月4日未明、アメリカ軍のB29爆撃機116機が香川県高松市を焼夷弾で攻撃した空襲。午前2時56分から4時42分までの106分間に、高性能爆弾24トンと焼夷弾809トンが投下され、市街地の約80%が焼失した。総務省と高松市によると、死者1,359人、負傷者1,034人、行方不明者186人、罹災者8万6,400人にのぼった。同じ夜には徳島や高知、姫路も空襲を受けた。
高松空襲を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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「まさか」の空襲

総務省の資料によると、アメリカ軍は日本の空の防備が弱いことを知り尽くし、地方の中小都市にも標的を広げて空襲を繰り返していた。高松市にはいくつかの軍事機関はあったものの大きな軍事施設はなく、まさか空襲はないだろうという雰囲気が市民の間にあったとされる。しかし、6月29日に瀬戸内海を挟んだ対岸の岡山市が空襲を受け、6月末には高松の空襲を予告するビラがアメリカ軍によって撒かれたこともあって、一部の人たちの間で高松の空襲も避けられないという噂が広まっていた。7月3日午後11時に高松市に空襲警報が出され、B29の編隊が上空に現れたが、このときは通過しただけで、4日午前0時過ぎに警報は解除された。
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106分間の焼夷弾攻撃

7月4日午前2時56分、何の予告もなくB29の大編隊による焼夷弾攻撃が始まった。総務省の資料によると、マリアナ諸島のテニアン島を前日に出発したB29部隊128機のうち116機(うち案内機12機)が高松市を襲った。編隊は市民の退路を断つように、はじめは市街地を円形に攻撃し、その後は主に東西方向に波状攻撃を繰り返して、午前4時42分まで106分間にわたって爆撃を続けた。投下されたのは高性能爆弾24トンと焼夷弾809トンで、攻撃が始まって10分ほどで市の中心部は火の海になったという。アメリカ軍の作戦任務報告書は、高松を目標に選んだ理由として、本州とつながる鉄道連絡船の終点で四国の鉄道・道路網の集中点であること、県都であること、軍需産業の重要地であること、人口密度が高いこと、対空砲火の装置を持っていないことを挙げていた。

被害の状況

総務省と高松市によると、空襲で被害を受けたのは市街地の約80%にあたる3.85平方キロメートルで、被害を受けた建物は1万8,913戸(うち住宅1万6,418戸)、そのうち全焼が1万8,505戸にのぼった。死者は1,359人、負傷者は1,034人、行方不明者は186人、罹災者は8万6,400人だった。被害を受けた建物は一般の住宅が大半を占めたが、官公署や学校、神社、寺院、銀行、工場などの被害も大きく、市内の学校30校のうち19校が被災し、神社50社のうち27社、寺院79か寺のうち63か寺、教会26か所のうち16か所が焼失した。

戦災からの復興

1945年10月26日、市長の諮問機関として高松市戦災委員会が設けられた。翌1946年3月には市に復興部が新設され、4月に国の戦災復興院へ高松市の復興計画が提出された。復興は焼け跡の清掃から始まり、並行して中央通りの拡張整備に着手した。総務省の資料は、これを高松市の復興の歩みのシンボルと記している。中央通りの中央植樹帯に植えられたクスノキは、いまも高松市のシンボルとなっている。

慰霊と追悼

1958年、高松市戦災犠牲者遺族会(現在の日本戦災遺族会香川県支部)が、高松市中野町に高松市戦災犠牲者慰霊堂を建てた。以後、毎年7月3日(1964年までは7月4日)に慰霊祭が開かれている。慰霊堂の碑文は、空襲で1,359人が亡くなり、当時の人口約13万人の約60%が罹災したと記している。これとは別に、高松市主催の戦争犠牲者追悼式が1952年に始まり、1959年以降は毎年開かれている。

記憶の継承

1990年3月、15万6,818人の署名を添えた請願が高松市議会に出され、全会派一致で採択された。これを受けて、空襲から50年の1995年、市民文化センター内に「平和記念室」が設けられた。2016年11月23日には、高松市平和記念館が開館した。記念館は、毎年7月4日を含む時期に高松空襲の写真展を開いており、空襲から80年の2025年にも高松空襲展を開いた。

経過

  1. 1945年6月29日
    昭和20年

    その他 対岸の岡山市が空襲を受ける

  2. 1945年7月3日
    昭和20年

    その他 高松市に空襲警報、編隊は通過し解除

    午後11時に発令

  3. 1945年7月4日
    昭和20年

    事件・事故 B29・116機が高松市を焼夷弾攻撃

    午前2時56分から4時42分まで、市街地の約80%が焼失

  4. 1945年10月26日
    昭和20年

    その他 高松市戦災委員会を設置

  5. 1946年4月
    昭和21年

    その他 国の戦災復興院に復興計画を提出

    3月に市の復興部を新設

  6. 1958年
    昭和33年

    その他 遺族会が中野町に戦災犠牲者慰霊堂を建てる

  7. 1995年
    平成7年

    その他 市民文化センター内に平和記念室を設置

    空襲から50年

  8. 2016年11月23日
    平成28年

    その他 高松市平和記念館が開館

出典・公的資料

一次資料 3件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「高松空襲」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1945-takamatsu-air-raid/
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更新履歴

  • 2026年10月15日 初版公開

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