三・一五事件
| 発生日 | 1928年3月15日(昭和3年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から98年5か月 |
| 発生場所 | 全国一斉(東京の日本共産党関係者を中心に) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 終結 |
1928年(昭和3年)3月15日未明、田中義一内閣のもと、治安維持法違反の容疑で日本共産党員・支持者ら千数百人が全国で一斉に検挙された。前年に制定されたばかりの治安維持法が初めて大規模に適用された事件で、その後488人が起訴された。戦前日本における社会主義・共産主義運動に対する組織的弾圧の起点として知られる。
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検挙の経緯
1928年3月15日未明、田中義一内閣のもと、内務省・警察は全国一斉に日本共産党員および支持者に対する検挙を行った。治安維持法違反の容疑によるもので、検束・拘束された者は千数百人から数千人規模にのぼったとされる。前年の1927年に施行されたばかりの治安維持法が、初めて大規模に適用された事件だった。
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当時の政治的背景
1925年の普通選挙法制定と同時に治安維持法が制定されており、政府は社会主義・共産主義運動の拡大を強く警戒していた。1928年2月の第1回普通選挙で無産政党が一定の議席を獲得したことも、政府・警察当局の危機感を強める一因になったとされる。
起訴と裁判
検挙者のうち488人が正式に起訴され、その後の裁判では多くが実刑判決を受けた。日本共産党はこの弾圧により組織的な打撃を受け、以後、非合法・地下活動を強いられることとなった。
検挙後の取調べをめぐる問題
検挙された者の多くが、長期間の勾留や厳しい取調べを受けたことが後年明らかになっており、拷問に近い扱いを受けたとする証言も残っている。三・一五事件は、その後日本で頻発することになる思想犯に対する強圧的な捜査手法の先駆けとしても位置づけられている。
その後の弾圧の激化
政府はこの事件を機に治安維持法をさらに強化し、同年、最高刑を死刑とする改正を勅令によって行った。翌1929年には四・一六事件として再び大規模な検挙が実施されるなど、社会主義・共産主義運動に対する組織的弾圧はその後も継続的に強化されていった。
文学・思想史への影響
三・一五事件をはじめとする一連の弾圧は、小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』の題材にもなっており、プロレタリア文学の代表的な作品として今日まで読み継がれている。作品は検挙された活動家への拷問の様子を克明に描き、事件の実態を後世に伝える文学的な記録としても評価されている。
歴史的な位置づけ
三・一五事件は、戦前日本における思想・言論に対する国家権力の弾圧を象徴する事件として、日本近代政治史・法制史の研究において繰り返し取り上げられている。治安維持法はその後1945年の敗戦を経てGHQの指令により廃止された。三・一五事件で検挙された関係者の中には、後年日本の政治・労働運動史に大きな足跡を残した人物も含まれており、事件は単なる一過性の弾圧にとどまらず、戦後の日本社会運動史の出発点の一つとしても位置づけられている。
治安維持法のその後の展開
治安維持法は三・一五事件の直後、緊急勅令によって最高刑が懲役10年から死刑・無期懲役にまで引き上げられる形で改正された。この改正は議会審議を経ずに行われたため、当時から立法手続の適正さをめぐる批判も存在した。治安維持法はその後、太平洋戦争終結までの間、思想統制の中心的な法的根拠として機能し続けた。事件から100年近くが経過した今日、三・一五事件は歴史教科書でも取り上げられる主要な出来事の一つとなっており、治安維持法下での人権制限の実態を学ぶ教材として、学校教育の場でも活用されている。
経過
-
1928年3月15日
昭和3年逮捕 全国一斉に共産党関係者を検挙
治安維持法違反の容疑で党員・支持者ら千数百人が検挙された。
出典・公的資料
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その他
フリー百科事典 Wikipedia
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「三・一五事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1928-march-fifteenth-incident/
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更新履歴
- 2026年8月19日 初版公開
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