虎ノ門事件

発生日 1923年12月27日(大正12年)
経過 発生から102年7か月 1924年11月13日の確定から101年8か月
発生場所 東京都 麹町区虎ノ門外(現・港区虎ノ門)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 判決確定
被害 死者 0人  負傷者 1人
1923年(大正12年)12月27日、東京府東京市麹町区虎ノ門外(現・東京都港区虎ノ門)で、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が第48回帝国議会の開院式に向かう途中、無政府主義者の男から狙撃された暗殺未遂事件。親王に負傷はなく、同乗していた東宮侍従長が顔に軽傷を負った。犯人は現場で群衆と警官に取り押さえられ、大逆罪で起訴された。判決からわずか2日後に死刑が執行され、事件の責任を取り内閣は総辞職した。関東大震災後の社会不安を背景に頻発したテロ事件の一つとされる。
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事件の経過

1923年12月27日午前、摂政宮裕仁親王は第48回帝国議会の開院式に出席するため、御料車で皇居を出発し貴族院へ向かっていた。車列が虎ノ門外に差し掛かった午前10時40分頃、沿道に立っていた男が仕込み杖銃で御料車の窓を狙撃した。弾丸は窓ガラスを貫通し、同乗していた東宮侍従長の顔に軽傷を負わせたが、親王本人に危害は及ばなかった。男は「革命万歳」と叫んで逃走を図ったが、居合わせた群衆に取り押さえられたうえで警備の警察官により現行犯逮捕された。犯人は無政府主義の思想を持つ人物で、単独犯行であった。犯行に使用されたステッキ状の散弾銃は、あらかじめ準備されたものだった。
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裁判と社会的影響

事件は皇室に対する狙撃であったことから大逆罪が適用され、犯人は非公開の裁判にかけられた。第一審かつ終審である大審院は1924年(大正13年)11月13日に死刑判決を言い渡し、控訴の余地がないまま同月15日に死刑が執行された。事件発生からわずか1年に満たない期間での処刑であった。事件の政治的影響は大きく、関東大震災からの復興を進めていた第2次山本権兵衛内閣は警備上の責任を問われ、1924年1月7日に総辞職に追い込まれた。震災後の社会不安を背景に社会主義者・無政府主義者への弾圧が強まっていた時期に起きたテロ事件として、日本近代史上の重要な事件の一つに位置づけられている。

事件の背景

事件の背景には、関東大震災の直後に社会主義者や労働運動関係者に対する弾圧・虐殺が相次いだこと(大杉事件、亀戸事件、王希天事件など)への反発があったとされる。犯人は無政府主義の思想を持つ人物で、皇室に対する直接的な攻撃という前例のない手段によって社会に衝撃を与えた。事件を機に、政府は社会主義運動や無政府主義運動に対する取り締まりを一層強化していくことになった。なお、本件の死刑執行までの期間は判決からわずか2日というきわめて短いものであり、控訴の余地のない大審院での一審即結審という制度上の特殊性を踏まえても、異例の早さであった点が特徴として挙げられる。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1923年12月27日
  2. 逮捕 1923年12月27日 +0日
  3. 判決 1924年11月13日 +322日

経過

  1. 1923年12月27日
    大正12年

    事件・事故 摂政宮裕仁親王の車列が虎ノ門外で狙撃される

    仕込み杖銃で御料車が狙撃され、同乗の東宮侍従長が軽傷を負った。

  2. 1923年12月27日
    大正12年

    逮捕 犯人を現行犯逮捕

    群衆に取り押さえられた後、警備の警察官が身柄を確保した。

  3. 1924年1月7日
    大正13年

    その他 第2次山本権兵衛内閣が引責総辞職

    警備の不備の責任を取る形で内閣総辞職となった。

  4. 1924年11月13日
    大正13年

    判決 大審院が死刑判決を言い渡し、確定

    大逆罪の適用により、控訴の余地のない終審の大審院が判決を言い渡し、この時点で刑が確定した。

    大審院

  5. 1924年11月15日
    大正13年

    その他 死刑執行

    判決からわずか2日後に刑が執行された。

出典・公的資料

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「虎ノ門事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1923-toranomon-incident/

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更新履歴

  • 2026年7月16日 初版公開

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