藤田組贋札事件
| 発生日 | 1879年9月15日(明治12年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から146年10か月 |
| 発生場所 | 大阪府 大阪市(高麗橋、藤田組本店) |
| 種別 | 汚職・政治事件 |
| 状態 | 終結 |
1879年(明治12年)9月15日、大阪の政商・藤田組本店に家宅捜索が入り、藤田伝三郎ら7人が贋札製造の疑いで拘引された事件。証拠不十分で釈放されたが、3年後に神奈川県の熊坂長庵が真犯人として逮捕された。薩摩閥による長州系政商追い落としの政治的思惑が背景にあったとされる。
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事件の経過
1878年(明治11年)末ごろから、各府県が国庫に納めた地租などの中に、2円紙幣の偽造券が相次いで発見された。捜査の過程で、政商・藤田伝三郎が営む大阪の藤田組が疑惑の対象として浮上し、ドイツに滞在していた長州藩出身の政治家・井上馨と結託し、現地で偽札を製造して日本国内に持ち込んだとの容疑がかけられた。1879年(明治12年)9月15日、大阪の藤田組本店に家宅捜索が入り、藤田伝三郎のほか、番頭の中野梧一ら合わせて7人が拘引された。当時、藤田は薩摩藩出身者が要職を占める大阪の政財界において、長州系の政商として急速に台頭していた人物であり、事件の背景には薩摩閥が長州系の政商を追い落とそうとした政治的思惑があったとする見方が有力である。
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釈放とその後の展開
取り調べの結果、藤田伝三郎らの容疑を裏付ける確たる証拠は得られず、同年12月20日、7人は証拠不十分により釈放された。事件は一旦決着しないまま推移したが、3年後の1882年(明治15年)9月20日、神奈川県の医師で日本画家でもあった熊坂長庵の自宅から2円紙幣の偽札815枚が押収され、真犯人として逮捕された。同年12月8日、熊坂は判決を受けて北海道の集治監に送られ、収監から4年後に獄中で死去した。もっとも、熊坂の関与についても物的証拠や自白の信用性を疑問視する見方が後年になって示されており、事件の真相は今なお歴史研究上の論点として残っている。藤田伝三郎自身は容疑を晴らした後、鉱山経営や土木事業で財を成し、現在のDOWAホールディングスなどにつながる企業グループを築いた。この事件は、明治政府内で対立していた薩摩藩出身者と長州藩出身者の派閥争いが、政商への疑惑という形で表面化した一件として、後年の歴史研究でもたびたび取り上げられている。井上馨は事件を通じて自身への疑惑を強く否定し、法的な責任を問われることはなかったが、政商と政治家の癒着が疑われた事件として、当時の世論に強い印象を残した。
経過
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1879年9月15日
明治12年事件・事故 藤田組本店に家宅捜索、藤田伝三郎ら7人が拘引される
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1879年12月20日
明治12年その他 証拠不十分により7人全員が釈放
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1882年9月20日
明治15年逮捕 熊坂長庵が偽札815枚とともに真犯人として逮捕
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1882年12月8日
明治15年判決 熊坂長庵に有罪判決、北海道の集治監に収監
出典・公的資料
- その他
- その他
- その他
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「藤田組贋札事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1879-fujitagumi-counterfeit-case/
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更新履歴
- 2026年7月29日 初版公開
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