柳条湖事件
| 発生日 | 1931年9月18日(昭和6年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から94年10か月 |
| 発生場所 | 中国・奉天(現・瀋陽)郊外柳条湖 |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 0人 |
1931年(昭和6年)9月18日夜、中国・奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道の線路が爆破された事件。関東軍参謀の板垣征四郎・石原莞爾らが計画した謀略で、関東軍はこれを中国側の犯行と偽って軍事行動を開始し、満洲全域を占領する満洲事変に発展した。
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事件の経過
1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分ごろ、中国・奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道の線路が爆破された。爆破を実行したのは関東軍独立守備隊の河本末守中尉で、関東軍高級参謀の板垣征四郎、作戦参謀の石原莞爾らが計画した謀略だった。線路の損傷は軽微で、爆破直後に通過した列車の運行に支障はなかったが、関東軍はこれを中国軍による犯行と偽り、隣接する中国東北軍の兵営「北大営」への攻撃を開始した。
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満洲事変への発展と国際的影響
関東軍は東京の政府による不拡大方針を無視して軍事行動を拡大し、9月19日までに奉天・長春・鞍山・営口など南満洲鉄道沿線の主要都市を占領した。関東軍はその後も攻撃の手を緩めず、1932年2月までに満洲のほぼ全域を制圧し、同年3月には清朝最後の皇帝・溥儀を執政に据えた傀儡国家「満洲国」の建国を宣言させた。国際連盟が派遣したリットン調査団は、日本の軍事行動を自衛とは認められないとする報告書をまとめ、1933年、日本は国際連盟からの脱退を通告した。この事件は、以後の日本が国際的孤立を深めながら戦争への道を進む転機として、日本近代史上に位置づけられている。事件を計画した板垣征四郎は後に陸軍大臣・朝鮮軍司令官等を歴任し、戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として絞首刑を言い渡され、1948年12月23日に刑死した。共に計画した石原莞爾は、持病や東條英機との対立などを理由に戦犯訴追を免れ、1949年に病死した。
経過
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1931年9月18日
昭和6年事件・事故 柳条湖付近で南満洲鉄道の線路が爆破される
関東軍参謀らの謀略
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1931年9月19日
昭和6年その他 関東軍、奉天・長春等の主要都市を占領
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1932年3月1日
昭和7年その他 満洲国建国が宣言される
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1933年3月27日
昭和8年その他 日本、国際連盟脱退を通告
出典・公的資料
一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
- その他
- 調査報告書
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「柳条湖事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1931-liutiaohu-incident/
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更新履歴
- 2026年7月22日 初版公開
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