安田善次郎暗殺事件

発生日 1921年9月28日(大正10年)
経過 発生から104年10か月
発生場所 神奈川県 中郡大磯町(安田善次郎別邸)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 終結
被害 死者 1人  負傷者 0人
1921年(大正10年)9月28日、神奈川県大磯町の別邸で、安田財閥の創設者・安田善次郎が、右翼活動家の朝日平吾に刺殺された事件。朝日は犯行後、その場で自殺した。この事件は、同年11月の原敬首相暗殺をはじめ、昭和初期にかけて相次いだテロ・クーデター事件の先駆けとされる。
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事件の経過

1921年(大正10年)9月27日、朝日平吾は弁護士を名乗って安田善次郎の大磯別邸を訪れ、貧民救済のための労働ホテル建設への出資について面会を求めたが、この日は面会を断られた。朝日は前年の戦後恐慌で株の売買により大きな損失を出しており、安田が株の買い占めで巨額の利益を得たとの噂を耳にしたことなどから、安田への恨みを募らせていた。翌28日朝、朝日は再び別邸を訪れて4時間ほど粘り、午前9時20分ごろようやく面会が許された。面会の場で朝日は刃渡り約24センチの短刀を取り出して安田を刺殺し、その場で自らも剃刀で喉を切って自殺した。朝日、享年31。
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その後の影響

安田財閥の創始者という財界の重鎮が白昼、白刃の下に倒れたこの事件は社会に大きな衝撃を与えた。安田は生前、東京市への300万円の寄付や、東京帝国大学の大講堂(現在の「安田講堂」)建築費100万円の寄付、日比谷公会堂の建設費350万円の全額負担など、巨額の私財を匿名で投じる慈善事業家としても知られていた。にもかかわらず、株の買い占めで巨利を得たとの噂だけを頼りに恨みを募らせた朝日によって命を絶たれたこの事件は、約1か月後の同年11月4日に発生した原敬首相暗殺事件(中岡艮一による)をはじめ、その後の浜口雄幸狙撃事件、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件へと続く、昭和初期にかけての一連のテロ・クーデター事件の先駆けとして、日本近代史に位置づけられている。

経過

  1. 1921年9月27日
    大正10年

    その他 朝日平吾、安田善次郎に面会を求めるが断られる

  2. 1921年9月28日
    大正10年

    事件・事故 安田善次郎、朝日平吾に刺殺される

    朝日は現場で自殺

  3. 1921年11月4日
    大正10年

    その他 原敬首相暗殺事件が発生

出典・公的資料

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    事件の経緯・被害者の経歴を確認
  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    犯人の経歴・犯行動機・事件後の自殺を確認

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「安田善次郎暗殺事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1921-yasuda-zenjiro-assassination/

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更新履歴

  • 2026年7月23日 初版公開

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