濱口雄幸首相狙撃事件

発生日 1930年11月14日(昭和5年)
経過 発生から95年8か月
発生場所 東京都 千代田区(東京駅)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 終結
被害  負傷者 1人
東京駅で濱口雄幸首相が右翼活動家に狙撃され重傷を負い、傷がもとで翌年死去した事件。
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事件の経過

1930年(昭和5年)11月14日午前8時57分ごろ、東京駅第4ホームで、岡山県への出張のため神戸行き特急「燕」に乗車しようとしていた濱口雄幸首相が、右翼団体「愛国社」所属の佐郷屋留雄に、至近距離からモーゼル式拳銃で下腹部を撃たれ重傷を負った。佐郷屋はその場で取り押さえられた。犯行の動機について佐郷屋は、前年に締結されたロンドン海軍軍縮条約が天皇の統帥権を侵すものだとする「統帥権干犯」への反発を主張した。
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事件の背景

濱口内閣は、緊縮財政と協調外交を掲げ、軍縮を推進する立場から1930年にロンドン海軍軍縮条約に調印した。これに対し、海軍の一部や右翼勢力、野党の一部からは、軍の統帥権(天皇に直属するとされた軍の指揮権)を政府が侵害したとする「統帥権干犯問題」として激しい批判が起こっていた。濱口狙撃事件は、こうした対立が先鋭化する中で起きたテロ事件であった。

首相のその後と死去

濱口は一命を取り留め、一時は職務に復帰したものの、体調は次第に悪化した。1931年8月26日、狙撃の際に受けた傷口に放線菌が入り込んで化膿したことが原因で死去した。首相在任中の要人が銃撃を受け、その傷がもとで死去するという事態は当時の日本社会に大きな衝撃を与え、その後も政財界要人を狙ったテロ事件が相次ぐ時代の始まりを告げる出来事として記憶されている。

事件後の政局

濱口は狙撃後、一時は職務への復帰を目指したが体調は回復せず、1931年4月に若槻礼次郎が後任の首相に就任した。濱口の死は、統帥権干犯問題をめぐる政治対立の激しさを象徴する出来事として広く報じられ、その後も血盟団事件や五・一五事件など、政財界要人を狙ったテロが相次ぐ時代の始まりを告げる事件として、日本近代政治史の中で位置づけられている。

社会に与えた衝撃

東京駅での首相狙撃という前代未聞の事件は、当時の新聞各紙で大きく報じられ、国民に強い衝撃を与えた。現職首相が白昼の駅で銃撃されるという事態は、その後の日本の政局における言論・政治テロへの警戒を一段と高める契機ともなった。

経過

  1. 1930年11月14日
    昭和5年

    事件・事故 東京駅で濱口雄幸首相が狙撃される

    実行犯の佐郷屋留雄はその場で取り押さえられた。

  2. 1931年8月26日
    昭和6年

    その他 濱口雄幸が狙撃の傷がもとで死去

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    狙撃事件の経過・死去の経緯を確認
  • 調査報告書
    国立国会図書館「史料にみる日本の近代」
    事件の背景・統帥権干犯問題との関係を確認

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「濱口雄幸首相狙撃事件」事件データベース jiken.jp、2026年8月3日閲覧。https://jiken.jp/cases/1930-hamaguchi-osachi-shooting/

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