災害の一覧(92件)・3ページ目
種別「災害」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「災害」には、地震・津波・台風・豪雨・噴火など自然現象を直接の原因とする被害事例を分類しています。人為的なミスや管理不備が直接の原因となった事故は「事故」に分類しています。掲載事件は、気象庁・内閣府防災担当などの公表資料や調査報告書、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
92 件
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出水市針原地区土石流災害
1997年(平成9年)7月10日未明、鹿児島県出水市の針原地区で、梅雨前線による約400ミリの豪雨を受けて針原川上流の斜面が崩壊し、土石流が建設中の砂防ダムを乗り越えて集落を襲った。16世帯48人が家ごと流され、21人が死亡、13人が負傷した。
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阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生し、神戸市を中心に阪神地域と淡路島に甚大な被害をもたらした。死者6,434人、負傷者は4万人を超え、戦後の自然災害としては東日本大震災に次ぐ規模の犠牲者を出した。大都市の直下で起きた地震による建物倒壊・火災・ライフライン途絶の脅威を突きつけ、その後の災害対応制度や耐震化施策の見直しにつながった。
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三陸はるか沖地震
青森県八戸市沖を震源とするマグニチュード7.6の地震。死者3人、負傷者788人を出した。
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北海道東方沖地震
1994年(平成6年)10月4日午後10時22分、北海道根室沖を震源に発生したマグニチュード8.2の地震。釧路市・厚岸町で震度6を観測し、北海道で負傷者437人、住宅全壊61棟などの被害が出た。死者9人・行方不明者2人は、いずれもロシアが実効支配する北方領土の択捉島での被害だった。
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北海道南西沖地震
1993年(平成5年)7月12日22時17分、北海道南西沖の日本海を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生した。震源に近い奥尻島には地震発生から数分で最大21メートルに達する津波が押し寄せ、青苗地区では津波と火災による被害が重なった。死者202人・行方不明者28人、負傷者323人にのぼり、このうち奥尻町の死者・行方不明者は198人を数えた。住家の全壊は601棟に達した。
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1993年能登半島沖地震
1993年2月7日22時27分、能登半島北東端の沖を震源として発生したマグニチュード6.6の地震。石川県輪島市で震度5を観測し、輪島で震度5を観測したのは震度観測を始めた1929年以降初めてだった。日本海沿岸に津波注意報が出され、輪島港で約25センチの津波を観測した。被害は珠洲市に集中し、裏山の崩壊による家屋の倒壊や液状化による地盤沈下、トンネルの落盤などが起き、負傷者は30人にのぼった。比較的地震が少ないとされた北陸で起きた地震として、地震観測の強化を求める声が国会で上がった。
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雲仙普賢岳噴火災害(大火砕流)
1991年(平成3年)6月3日午後4時8分ごろ、長崎県島原市の雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、報道関係者や消防団員、警察官、住民ら死者40人・行方不明者3人の計43人が犠牲になった。避難勧告区域内での取材活動中に多くの報道関係者が巻き込まれたことから、火山災害時の警戒区域運用のあり方が問い直された。
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伊豆大島三原山噴火
1986年(昭和61年)11月15日に山頂火口で始まった伊豆大島・三原山の噴火は、21日夕方にカルデラ床と北西山腹での大規模な割れ目噴火へと拡大した。溶岩流が中心集落の元町地区の背後に迫り、地震活動も島の南東部へ広がったため、同日夜に全島避難が決定され、22日早朝までに島民と観光客計1万226人の島外避難が完了した。島民は約1か月にわたり東京都内や静岡県で避難生活を送り、12月20日に島外避難指示が解除された。この噴火による直接の死傷者は出ていない。
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昭和58年7月豪雨
1983年(昭和58年)7月20日から29日にかけて、日本海を進む低気圧により梅雨前線の活動が活発化し、日本海側を中心に大雨となった。23日には島根県西部で記録的な豪雨となり、浜田では時間雨量91.0ミリ、日雨量331.5ミリを観測。中小河川の氾濫と山崩れ・がけ崩れが相次いだ。気象庁のまとめによる全国の被害は死者112人・行方不明5人・負傷者193人で、うち島根県内の死者・行方不明者は107人にのぼり、犠牲者の約8割が土砂災害によるものだった。
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日本海中部地震
1983年(昭和58年)5月26日正午前、秋田県沖合の日本海を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。地震とその後の津波により、秋田県・青森県を中心に104人が死亡(うち100人が津波によるもの)、324人が負傷した。遠足中だった秋田県の小学生ら13人が津波の犠牲になったことでも知られる。
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昭和57年7月豪雨
1982年(昭和57年)7月23日夕方から翌24日未明にかけて、低気圧と梅雨前線の影響で長崎県南部に記録的な集中豪雨が降った。長与町役場の雨量計では午後7時からの1時間に187ミリという日本観測史上最高の雨量を記録した。斜面に市街地が広がる長崎市周辺では土石流や崖崩れが同時多発し、死者・行方不明者299人のうち262人が土砂災害による犠牲だった。中島川の氾濫で眼鏡橋などの石橋群も被災した。この災害をきっかけに、気象庁は「記録的短時間大雨情報」を設けた。
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昭和54年台風20号
1979年(昭和54年)10月19日、和歌山県白浜町付近に上陸した台風20号。発達の過程で中心気圧870ヘクトパスカルという当時の世界観測史上最低記録をつけた台風で、上陸後も西日本を中心に暴風と豪雨をもたらし、全国で死者110人・行方不明者5人・負傷者543人という被害を記録した。
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1978年宮城県沖地震
1978年6月12日17時14分、宮城県沖を震源として発生したマグニチュード7.4の地震。仙台市などで震度5を観測し、仙台市を中心とする都市部で建物の倒壊が相次いだ。死者28人のうち18人は、ブロック塀や石塀、石の門柱などの倒壊によるものだった。電気・ガス・水道も止まり、人口50万人以上の近代都市が初めて経験した都市型災害といわれる。この地震で家屋の倒壊が相次いだことは、1981年の建築基準法施行令の改正による「新耐震基準」につながった。
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安八水害(長良川堤防決壊)
1976年(昭和51年)9月12日午前10時28分ごろ、岐阜県安八郡安八町大森で長良川の右岸堤防が決壊した。台風17号と停滞前線がもたらした1週間近い長雨で水位が上がり続けたためで、決壊口は当初の約20メートルから約80メートルへと広がった。濁流は安八町から下流の墨俣町へ流れ込み、両町を中心に岐阜県内で床上浸水2万4千棟余りという被害を出した。住民は堤防の管理に瑕疵があったとして国を訴え、一審は住民側が勝訴したが、控訴審・上告審では退けられ、1994年に住民側敗訴が確定した。河川管理の責任の範囲を問う代表的な訴訟のひとつである。
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昭和51年台風17号(徳島県の記録的豪雨)
1976年(昭和51年)9月、台風17号は九州の南西海上でほぼ停滞したまま前線を刺激し続け、9月8日から14日にかけて全国に長時間の大雨をもたらした。動きの遅さから「のろま台風」と呼ばれる。とりわけ徳島県那賀郡木頭村日早(現・那賀町)では総雨量2,781ミリという、日本の気象記録でも有数の降水量を観測した。徳島県内では死者10人・行方不明1人・負傷者14人の被害が生じている。全国の死者は161人、行方不明10人にのぼり、岐阜県では長良川の堤防が決壊して安八町が水没した。
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繁藤災害
1972年7月5日、昭和47年7月豪雨のさなか、高知県香美郡土佐山田町繁藤(現在の香美市)で起きた大規模な山崩れ。記録的な集中豪雨の中、早朝の小さな山崩れで生き埋めになった消防団員を救出していた人たちを、午前10時55分ごろに起きた大崩壊が直撃し、消防団員や町職員、救助に協力していた住民、取材中の記者らが犠牲になった。死者は60人、負傷者は8人にのぼった。救助活動中に被災した「二次災害」として、国会でも消防・防災のあり方が問われた。
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八丈島東方沖地震
1972年(昭和47年)2月29日午後6時23分ごろ、八丈島東方沖を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生し、八丈島で震度5を観測した。家屋の一部破損271棟、道路の破損258か所、崖崩れ16か所などの被害が出た。同年12月4日にも同じ海域でマグニチュード7.2の地震が発生し、八丈島で24年ぶりとなる震度6を観測した。
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土呂久ヒ素公害
宮崎県西臼杵郡高千穂町の土呂久地区で、旧土呂久鉱山が大正時代から昭和37年(1962年)まで断続的に行った亜ヒ酸の製造によって、住民に慢性ヒ素中毒の健康被害が生じた公害。1971年11月に地元から健康被害の問題が提起され、県の調査で過去の環境汚染と被害者の存在が明らかになった。1973年に国の救済地域に指定され、慢性砒素中毒症は公害健康被害補償法の指定疾病となった。最終鉱業権者の住友金属鉱山を相手取った訴訟は、1990年に最高裁で和解した。認定患者は2025年3月末までに累計223人にのぼる。
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イタイイタイ病
1968年(昭和43年)5月8日、厚生省は「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症である」とする見解を発表し、日本で最初に公害病と認定された疾病となった。富山県の神通川下流域で大正期から発生していた原因不明の病で、患者は骨がもろくなって激痛を訴えた。原因は上流の三井金属鉱業神岡鉱業所(岐阜県)が排出したカドミウムで、汚染された川水と米を通じて住民の体内に取り込まれていた。1971年の富山地方裁判所判決、翌年の名古屋高等裁判所金沢支部判決はいずれも住民側の主張を認め、四大公害裁判のひとつとして公害行政を大きく動かした。
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えびの地震
1968年(昭和43年)2月21日午前10時44分、宮崎県えびの町(現・えびの市)を震央とするマグニチュード6.1の地震が発生した。えびの町真幸で震度6を観測し、宮崎・鹿児島・熊本の3県で死者3人、負傷者44人、住家全壊498戸の被害が生じた。同日午前8時51分にマグニチュード5.7の前震があり、翌22日にはマグニチュード5.6の最大余震が起きるなど、震度5以上の揺れが繰り返された。震源域は加久藤カルデラの内部にあたり、火山地帯特有の地震活動として研究の対象となった。シラスと呼ばれる火山噴出物の地盤が崩れやすく、被害を広げたことも特徴である。
出典: https://jiken.jp/category/disaster/?page=3(2026-10-30 取得)/ 事件JP