イタイイタイ病

発生日 1968年5月8日(昭和43年)
経過 発生から58年4か月 1972年8月24日の確定から54年
発生場所 富山県 富山市・婦負郡婦中町(現・富山市)ほか神通川下流域
種別 災害
状態 終結
1968年(昭和43年)5月8日、厚生省は「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症である」とする見解を発表し、日本で最初に公害病と認定された疾病となった。富山県の神通川下流域で大正期から発生していた原因不明の病で、患者は骨がもろくなって激痛を訴えた。原因は上流の三井金属鉱業神岡鉱業所(岐阜県)が排出したカドミウムで、汚染された川水と米を通じて住民の体内に取り込まれていた。1971年の富山地方裁判所判決、翌年の名古屋高等裁判所金沢支部判決はいずれも住民側の主張を認め、四大公害裁判のひとつとして公害行政を大きく動かした。
イタイイタイ病を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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神通川流域の風土病

富山県の神通川下流域では、大正期から原因の分からない病が知られていた。骨がもろくなって少しの動作でも骨折し、患者が激しい痛みを訴えることから「イタイイタイ病」と呼ばれた。婦負郡婦中町(現・富山市)を中心とする限られた地域に集中し、出産を経験した中高年の女性に多いという特徴があった。 長く地方特有の病として扱われてきたが、学会に報告されたのは1955年(昭和30年)が最初である。栄養障害説や風土病説などさまざまな見方が示され、原因の特定には至らなかった。この間も患者は増え続け、地域では原因究明を求める声が高まっていった。
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原因の解明

原因物質としてカドミウムが注目されるようになったのは1960年(昭和35年)以降である。神通川の上流、岐阜県の神岡鉱山では亜鉛の採掘と精錬が行われており、そこから排出された鉱廃水が高原川を経て神通川に流れ込んでいた。 カドミウムを含む水は流域の水田に引かれ、土壌に蓄積した。住民は汚染された川水を飲み、その土壌で育った米を食べ続けることで、長期間にわたってカドミウムを摂取していた。腎臓の機能が損なわれ、その結果としてカルシウムの代謝に異常が生じ、骨軟化症を引き起こす——これが解明された発症の道筋である。 原因が特定の企業の事業活動に由来することが明らかになったことで、この病は風土病ではなく公害であるという理解が定着していった。

公害病第1号としての認定

1968年(昭和43年)5月8日、厚生省は「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症であり、そのカドミウムは神通川上流の神岡鉱業所の事業活動によって排出されたものである」とする見解を発表した。国が特定の企業活動と健康被害の因果関係を公式に認めたのはこれが初めてで、イタイイタイ病は政府が認定した公害病の第1号となった。 この見解は、同じ時期に水俣病についても国の見解が示されたことと合わせ、公害を私的な紛争ではなく行政が責任を持って扱うべき問題として位置づけ直す契機になった。1967年に制定されていた公害対策基本法の運用、1970年のいわゆる公害国会での関連法整備へと、政策は加速していく。 患者の認定は富山県が行い、認定患者は2014年(平成26年)9月末時点で198人、要観察者は延べ408人にのぼる。

四大公害裁判のひとつ

厚生省見解の2か月前にあたる1968年3月9日、患者と遺族は三井金属鉱業を相手取り、富山地方裁判所に損害賠償を求める訴えを起こした。水俣病・新潟水俣病・四日市ぜんそくと並ぶ四大公害裁判のひとつであり、判決が最も早く出たのがこのイタイイタイ病訴訟である。 1971年(昭和46年)6月30日、富山地方裁判所は原告の主張を認め、企業側に賠償を命じた。判決は、汚染物質の排出と発症との関係を疫学的な立証によって認めるという判断を示した。個々の患者について物質が体内に入る経路を厳密に立証しなくとも、統計的・疫学的な関連が認められれば因果関係を推認できるとする考え方であり、その後の公害訴訟に大きな影響を与えた。 企業側の控訴を受けた名古屋高等裁判所金沢支部は、1972年(昭和47年)8月9日、原告側のほぼ全面勝訴とする判決を言い渡し、慰謝料の額を一審より引き上げた。同年8月24日に判決が確定している。

土壌復元と全面解決

判決の確定後、被害者団体と企業との間で公害防止協定が結ばれ、住民が神岡鉱山に立ち入って排出の状況を確認する仕組みがつくられた。企業に対する住民の継続的な監視が、協定という形で制度化された点は、公害対策の実践例としてしばしば紹介される。 汚染された農地の回復も大きな課題だった。カドミウムに汚染された水田の土を入れ替える土壌復元事業は1979年(昭和54年)に始まり、対象となった約863ヘクタールの工事がすべて終わったのは2012年(平成24年)3月17日である。着手から完了まで33年を要した。 2013年(平成25年)12月17日、被害者団体と企業は全面解決に向けた合意に達した。汚染の発生から数えれば1世紀近い時間が経過している。健康被害の救済と土地の回復のいずれにも長い年月がかかるという事実は、公害という問題の性格を端的に示している。

審理・経過の流れ

  1. 公判 1968年3月9日
  2. 事件・事故 1968年5月8日 +60日
  3. 判決 1971年6月30日 +1,148日
  4. 判決 1972年8月9日 +406日
  5. 判決 1972年8月24日 +15日

経過

  1. 1968年3月9日
    昭和43年

    公判 患者・遺族が富山地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起

    四大公害裁判のうち、最も早く判決に至った訴訟となった。

    富山地方裁判所

  2. 1968年5月8日
    昭和43年

    事件・事故 厚生省がイタイイタイ病を公害病と認定する見解を発表

    「本態はカドミウムの慢性中毒による骨軟化症であり、カドミウムは神岡鉱業所の事業活動により排出されたもの」とした。国が認定した公害病の第1号となった。

  3. 1971年6月30日
    昭和46年

    判決 富山地方裁判所が原告勝訴の判決を言い渡す

    疫学的な立証によって排出と発症の因果関係を認めるという判断を示した。

    富山地方裁判所

  4. 1972年8月9日
    昭和47年

    判決 名古屋高等裁判所金沢支部が原告側ほぼ全面勝訴の判決

    一審に続いて企業側の責任を認め、慰謝料の額を引き上げた。

    名古屋高等裁判所金沢支部

  5. 1972年8月24日
    昭和47年

    判決 控訴審判決が確定

    企業側が上告せず、原告勝訴の判決が確定した。

    名古屋高等裁判所金沢支部

  6. 2012年3月17日
    平成24年

    その他 汚染農地の土壌復元事業が完了

    1979年の着手から33年をかけ、対象となった約863ヘクタールの工事が終わった。

  7. 2013年12月17日
    平成25年

    その他 被害者団体と企業が全面解決に合意

    汚染の発生からおよそ1世紀を経ての合意となった。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「イタイイタイ病」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1968-itai-itai-disease/

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更新履歴

  • 2026年8月24日 初版公開

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