昭和58年7月豪雨 通称: 山陰豪雨

発生日 1983年7月23日(昭和58年) 〜 1983年7月29日
経過 発生から43年1か月
発生場所 島根県 浜田市・益田市・那賀郡三隅町(現・浜田市)ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 112人  負傷者 193人
1983年(昭和58年)7月20日から29日にかけて、日本海を進む低気圧により梅雨前線の活動が活発化し、日本海側を中心に大雨となった。23日には島根県西部で記録的な豪雨となり、浜田では時間雨量91.0ミリ、日雨量331.5ミリを観測。中小河川の氾濫と山崩れ・がけ崩れが相次いだ。気象庁のまとめによる全国の被害は死者112人・行方不明5人・負傷者193人で、うち島根県内の死者・行方不明者は107人にのぼり、犠牲者の約8割が土砂災害によるものだった。
昭和58年7月豪雨を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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記録的な豪雨

1983年(昭和58年)7月20日から29日にかけて、日本海を進む低気圧の影響で梅雨前線の活動が活発になり、本州の日本海側を中心に大雨が続いた。気象庁はこの一連の大雨を「昭和58年7月豪雨」と命名している。 なかでも被害が集中したのが7月23日の島根県西部である。内閣府の災害対応資料集は、梅雨前線上を低気圧が東進し、日本の南海上から暖かく湿った気流が前線付近に流れ込んだことで、島根県西部・広島県北部・山口県北部の広い範囲に豪雨がもたらされたと記録している。 浜田の観測記録は、時間雨量91.0ミリ、日雨量331.5ミリに達した。短時間に集中して降った雨は、中小河川の氾濫と、山地・急傾斜地の崩壊を同時に引き起こした。前線はその後北上し、長野県北部から北陸、東北地方へと大雨の範囲を移していった。
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島根県西部の被害

気象庁がまとめた全国の被害は、死者112人、行方不明5人、負傷者193人、住家の全壊1,098棟、半壊2,040棟、床上浸水7,484棟、床下浸水11,264棟である。 このうち島根県内の被害が大半を占めた。内閣府の資料によれば、県内の死者は103人、行方不明者4人、重傷者61人、軽傷者98人。家屋被害は全壊・流失939戸、半壊125戸、床上浸水1,977戸、床下浸水6,953戸にのぼった。 死者・行方不明者を市町村別に見ると、旧・三隅町で33人、旧・益田市で32人、旧・浜田市で22人と、県西部の3市町に集中している。被害額は土木関係が約1,243億円、林地被害が約821億円、農地被害が約348億円と、社会基盤と山林への打撃が際立って大きかった。

土砂災害という特徴

この災害を特徴づけるのは、犠牲者の内訳である。内閣府の資料は、災害の様相を「中小河川の氾濫と山崩れ、がけ崩れによる被害が大半」と整理したうえで、犠牲者の8割ががけ崩れを中心とした土砂災害によるものだったと記録している。 島根県西部は急峻な地形が海岸近くまで迫り、集落が谷筋や斜面の下に立地している地域が多い。時間雨量90ミリを超える豪雨は、こうした斜面の安定を一気に失わせた。河川の氾濫であれば水位の上昇に時間差が生じ避難の余地が残るのに対し、がけ崩れや土石流は前触れが乏しく、深夜から早朝という発生時間帯も避難を困難にした。 同じ7月23日には、その前年の1982年に長崎県で「昭和57年7月豪雨」(長崎大水害)が発生している。2年続けて同じ日付に西日本で豪雨災害が起きた形で、いずれも短時間強雨による土砂災害が犠牲者の多くを占めた点で共通する。

災害対応の経過

内閣府の資料には、7月23日当日の行政対応が時刻とともに記録されている。午前0時35分に大雨・洪水警報が発令され、午前4時には弥栄村が災害対策本部を設置。午前5時18分には三隅町長が防災行政無線で非常事態を宣言し、避難を勧告した。島根県が災害対策本部を設置したのは午前8時である。 深夜から明け方にかけて事態が急速に悪化したため、警報の発令から自治体の本部設置、住民への呼びかけまでが数時間のうちに連続して行われたことになる。 災害救助法は県下13市町村に適用された。9月9日には激甚災害に指定され、国庫補助の嵩上げなどの財政措置が講じられた。豪雨災害関係予算は1,139億9,200万円が計上され、初年度で49.6パーセントが執行されている。

復興と防災対策

復旧は原状回復にとどまらず、都市構造の見直しにまで及んだ。1983年8月30日、「島根県益田市・三隅町防災都市構想策定委員会」が設置され、災害に強い総合的な防災対策の上に立った新しい都市づくりが検討された。 治水面では三隅川の大規模改修が行われた。被害流量2,400立方メートル毎秒に対応するため、基本高水流量を100年確率に相当する2,440立方メートル毎秒に設定し、放水路330立方メートル毎秒を新設する計画が立てられた。事業費は約309億円である。三隅町では5.8ヘクタールを対象とする土地区画整理事業が昭和51年から60年にかけて実施され、住宅を失った被災者のために木造一戸建ての公営住宅65戸が分散して建設された。 土砂災害への備えも強化された。1984年2月6日には「島根県総合土石流対策推進連絡会」が設置され、警戒避難体制の整備が進められている。犠牲者の8割が土砂災害によるものだったという教訓が、ハード整備だけでなく避難のしくみづくりに向けられた形である。

経過

  1. 1983年7月23日
    昭和58年

    事件・事故 島根県西部で記録的な豪雨となる

    浜田で時間雨量91.0ミリ、日雨量331.5ミリを観測。中小河川の氾濫と土砂災害が相次いだ。

  2. 1983年7月23日
    昭和58年

    その他 三隅町長が防災行政無線で非常事態を宣言し避難を勧告

    午前0時35分の大雨・洪水警報発令、午前4時の弥栄村災害対策本部設置に続く対応。午前8時に島根県災害対策本部が設置された。

  3. 1983年8月30日
    昭和58年

    その他 島根県益田市・三隅町防災都市構想策定委員会が設置される

    災害に強い総合的な防災対策に立った都市づくりの検討が始まった。

  4. 1983年9月9日
    昭和58年

    その他 激甚災害に指定される

    災害救助法は県下13市町村に適用された。

  5. 1984年2月6日
    昭和59年

    その他 島根県総合土石流対策推進連絡会が設置される

    犠牲者の約8割が土砂災害によるものだったことを受け、警戒避難体制の整備が進められた。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「昭和58年7月豪雨」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1983-showa58-july-heavy-rain/

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更新履歴

  • 2026年8月20日 初版公開

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