えびの地震

発生日 1968年2月21日(昭和43年) 1968年(昭和43年)の事件 / 2月21日に起きた事件
経過 発生から58年8か月
発生場所 宮崎県 えびの町真幸(現・えびの市)ほか、鹿児島県姶良郡吉松町(現・湧水町)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 3人  負傷者 44人
1968年(昭和43年)2月21日午前10時44分、宮崎県えびの町(現・えびの市)を震央とするマグニチュード6.1の地震が発生した。えびの町真幸で震度6を観測し、宮崎・鹿児島・熊本の3県で死者3人、負傷者44人、住家全壊498戸の被害が生じた。同日午前8時51分にマグニチュード5.7の前震があり、翌22日にはマグニチュード5.6の最大余震が起きるなど、震度5以上の揺れが繰り返された。震源域は加久藤カルデラの内部にあたり、火山地帯特有の地震活動として研究の対象となった。シラスと呼ばれる火山噴出物の地盤が崩れやすく、被害を広げたことも特徴である。
えびの地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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前震・本震・余震

1968年(昭和43年)2月21日、宮崎県えびの町(現・えびの市)とその周辺は、一日のうちに複数の強い地震に見舞われた。 まず午前8時51分37秒にマグニチュード5.7の地震が発生し、震度5を記録した。その約2時間後、午前10時44分50秒にマグニチュード6.1の本震が起きる。震源は宮崎・鹿児島・熊本3県の県境付近のごく浅い場所で、えびの町真幸地区で震度6を観測した。さらに翌22日午後7時19分05秒にはマグニチュード5.6の最大余震が発生し、これも震度5を記録している。 気象庁は21日午前10時44分の地震を「えびの地震」と命名し、8時51分の地震を前震、22日の地震を余震と位置づけた。震度5以上の揺れは、前震から3月25日の余震までの間に5回を数えた。強い揺れが繰り返されたことが、住民の不安と建物被害を大きくした。
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被害の状況

一連の地震による被害は、死者3人、負傷者44人、住家の全壊498戸、半壊1,278戸、一部損壊4,866戸である。被害は宮崎県のえびの町を中心に、鹿児島県姶良郡吉松町(現・湧水町吉松地区)と熊本県の一部に及んだ。宮崎県内に限ると、住家全壊451戸・半壊896戸、被害総額は農業被害を含めて約65億円にのぼった。 宮崎県の記録によれば、県内の人的被害は屋外へ逃げ出す際の転倒などによる負傷者35人と、ショック死とみられる1人で、建物の倒壊や火災による直接の死者はいなかった。1回目の前震の後に住民がいち早く避難したことや、地元消防団・警察による初期の避難誘導が被害を抑えた要因とされている。地震当日は雪の降る厳冬の日で、道路の寸断や雪のために避難所へたどり着けず屋外で夜を過ごした人もいた。 えびの町の住家全壊451戸のうち92%は真幸地区に集中した。真幸地区は川内川の運んだ土砂が堆積した沖積層と、シラスからなる弱い地盤の上にあり、地震動そのものの強さに加えて地盤の条件が被害の分布を左右した。

シラス地盤という条件

南九州の広い範囲は、シラスと呼ばれる火山噴出物に覆われている。姶良カルデラの巨大噴火などによって降り積もった軽石や火山灰が固まりきらないまま堆積した地層で、乾いているときは崩れにくいが、水を含むと極端にもろくなる性質を持つ。 えびの地震では、このシラスの斜面が各所で崩壊した。家屋の被害の一部は、揺れそのものよりも地盤の崩壊によって生じている。 さらに問題は地震の後にも続いた。1972年(昭和47年)7月の集中豪雨の際、地震で緩んでいた地盤が改めて崩れ、被害が生じたのである。地震が地盤に与えた影響が数年後の豪雨災害として現れるという現象は、複合的な災害を考えるうえで重要な事例とされている。

加久藤カルデラと火山性地震

えびの地震の震源域は、加久藤カルデラと呼ばれる巨大な陥没地形の内部にあたる。約33万年前の大規模な噴火によって形成された地形で、周辺には霧島火山群が広がる。 火山地帯では、マグマや熱水の動きに関係して群発的な地震が起こることが知られている。えびの地震も、単発の大地震というよりは、前震・本震・多数の余震からなる一連の活動として推移した。宮崎県が「戦後最大の火山性地震」という表現でこの地震を記録しているのは、その性格を踏まえたものである。 火山の近くで起きる地震は、規模の割に震源が浅く、局地的に強い揺れをもたらす。えびの地震の被害が限られた範囲に集中したのも、この性質によるところが大きい。

観測と研究への影響

現地は気象庁の観測点から遠かったため、地震直後から宮崎・鹿児島両県は専門家の派遣と観測体制の強化を要望した。2月25日にはえびの町京町に「えびの地震総合観測班」が設けられ、気象庁と東京大学地震研究所が中心となって5月15日まで現地で観測を続け、地震活動の把握と地震情報の発表・解説を一元的に行った。のちに国立防災科学技術センター(現・防災科学技術研究所)は、この地震に関する特別研究の成果を「えびの・吉松地区地震のあらまし」(防災科学技術総合研究報告 第26号、1971年)にまとめている。 この地震は防災行政にも影響を残した。被害が局地的でありながら建物の損壊やシラス台地の崩壊が著しかったことから、えびの・吉松地区には激甚災害に準ずる措置がとられ、これを機に、局地的であっても被害の著しい場合には激甚災害の指定を受けられる道が開かれた(1968年11月22日、局地激甚災害指定基準の制定)。 霧島連山の新燃岳は2011年(平成23年)に本格的なマグマ噴火を起こしており、この地域が火山と地震の両面で活動的であることは現在も変わらない。

経過

  1. 1968年2月21日
    昭和43年

    事件・事故 えびの町を震央とするマグニチュード6.1の地震が発生

    午前10時44分。えびの町真幸で震度6を観測。午前8時51分にマグニチュード5.7の前震があった。

  2. 1968年2月22日
    昭和43年

    その他 マグニチュード5.6の最大余震が発生

    午後7時19分。震度5を記録し、3月25日まで震度5以上の地震が続いた。

  3. 1968年2月25日
    昭和43年

    捜査 えびの町京町に「えびの地震総合観測班」を設置

    気象庁と東京大学地震研究所が中心となり5月15日まで現地で観測

  4. 1968年3月25日
    昭和43年

    その他 震度5の強い余震が2回発生

    午前0時58分(M5.7)と午前1時20分(M5.4)。被害の少なかった加久藤・飯野地区にも被害が広がった

  5. 1968年11月22日
    昭和43年

    その他 局地激甚災害指定基準が制定される

    局地的でも被害の著しい災害を激甚災害に指定できる道が開かれた

  6. 1972年7月
    昭和47年

    その他 集中豪雨により地震で緩んだ地盤が崩壊

    地震の影響が数年後の豪雨災害として現れた事例となった。

出典・公的資料

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日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

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「えびの地震」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1968-ebino-earthquake/
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更新履歴

  • 2026年9月29日 事実精度監査:人的被害が少なかった理由を県の記録に基づき訂正、現地観測の実施主体を訂正、局地激甚災害指定基準の制定を追記、年表を追加
  • 2026年8月24日 初版公開

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