日本海中部地震

発生日 1983年5月26日(昭和58年)
経過 発生から43年2か月
発生場所 秋田県 男鹿市ほか(秋田県・青森県沿岸)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 104人  負傷者 324人
1983年(昭和58年)5月26日正午前、秋田県沖合の日本海を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。地震とその後の津波により、秋田県・青森県を中心に104人が死亡(うち100人が津波によるもの)、324人が負傷した。遠足中だった秋田県の小学生ら13人が津波の犠牲になったことでも知られる。
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地震・津波の経過

1983年5月26日午前11時59分ごろ、秋田県沖合の日本海を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。震源が海底であったため、地震発生から短時間で津波が沿岸部を襲った。特に秋田県では、地震の揺れがそれほど強く感じられなかった地域でも、数分から十数分後に大津波が到達し、避難が間に合わなかった住民が多数犠牲となった。地震・津波による死者は104人にのぼり、このうち100人が津波によるものであった。負傷者は324人、住家の全壊・流出は1,584棟、半壊は3,515棟に及んだ。
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被害の特徴と教訓

この地震で特に大きな衝撃を与えたのが、秋田県内陸部の小学校の児童・教員の被災だった。4、5年生の児童45人と教員2人がマイクロバス2台に分乗し、男鹿半島西海岸の漁村・加茂青砂へ遠足に来ており、バスの車内で地震の揺れを感じたものの、目的地の海岸に到着したときには揺れが収まっていたため、教員も児童も浜辺に降りて弁当を広げ始めた。その直後に津波が襲来し、児童・教員13人が犠牲になった。多くの児童は近隣の漁船や住民によって救出されたが、犠牲者を悼み、現地には高さ約3メートルの慰霊碑が建立され、毎年5月26日には遺族や当時の関係者が献花に訪れている。この事故は、「揺れが収まった後も津波が来ることがある」「海岸で地震を感じたら直ちに高台へ避難する」という基本原則を社会に強く印象づけ、学校における津波避難教育の重要性を浮き彫りにした。気象庁が津波警報を発表したのは地震発生から約14分後であり、震源に近い秋田県沿岸の一部地域では、警報が発表される前に津波が到達していた。当時「日本海側に津波は来ない」という誤った認識が住民の間に根強く、避難の遅れにつながったことも指摘されている。この教訓は、10年後の1993年の北海道南西沖地震の際、地震発生からわずか5分で津波警報が発表されるという迅速化に生かされ、災害を教訓に次の被害を減らす取り組みの出発点として位置づけられている。

経過

  1. 1983年5月26日
    昭和58年

    事件・事故 秋田県沖でマグニチュード7.7の地震が発生

    死者104人(うち津波100人)、負傷者324人。

出典・公的資料

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「日本海中部地震」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1983-nihonkai-chubu-earthquake/

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更新履歴

  • 2026年7月17日 初版公開

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