安八水害(長良川堤防決壊) 通称: 9.12水害

発生日 1976年9月12日(昭和51年)
経過 発生から49年11か月 1994年10月27日の確定から31年10か月
発生場所 岐阜県 安八郡安八町大森・安八郡墨俣町(現・大垣市)ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 8人  負傷者 22人
1976年(昭和51年)9月12日午前10時28分ごろ、岐阜県安八郡安八町大森で長良川の右岸堤防が決壊した。台風17号と停滞前線がもたらした1週間近い長雨で水位が上がり続けたためで、決壊口は当初の約20メートルから約80メートルへと広がった。濁流は安八町から下流の墨俣町へ流れ込み、両町を中心に岐阜県内で床上浸水2万4千棟余りという被害を出した。住民は堤防の管理に瑕疵があったとして国を訴え、一審は住民側が勝訴したが、控訴審・上告審では退けられ、1994年に住民側敗訴が確定した。河川管理の責任の範囲を問う代表的な訴訟のひとつである。
安八水害(長良川堤防決壊)を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
広告

台風17号と1週間の長雨

1976年(昭和51年)9月、台風17号は九州の南西海上でほぼ停滞し、日本列島に沿って伸びる前線を刺激し続けた。その動きの遅さから「のろま台風」と呼ばれ、9月8日から14日にかけて各地に長時間の大雨をもたらした。 岐阜県では、9月8日から14日までの総雨量が大日岳で1,175ミリ、八幡町で1,091ミリ、樽見で951ミリ、大垣市で824ミリに達した。1週間近く降り続く雨で長良川の水位は下がる間もなく上昇を続け、上流の山地に降った雨が次々と下流へ集まった。 岐阜県は9月11日午前8時30分に自衛隊へ災害派遣を要請している。決壊はその翌日に起きた。
広告

長良川右岸堤防の決壊

9月12日午前10時28分ごろ、安八郡安八町大森地内で長良川の右岸堤防が決壊した。東海道新幹線の長良川橋梁から300メートルほど下流にあたる地点である。 決壊口は当初およそ20メートルだったが、流れ出る水の勢いで削られ、最終的に約80メートルまで広がった。濁流は安八町の水田と集落を次々に呑み込み、同日夕方までに1,200世帯が浸水した。水は輪中の地形に沿って南へ流れ、下流の墨俣町(現・大垣市)にも達している。 この一帯は木曽三川が集まる低平地で、古くから輪中と呼ばれる堤防に囲まれた集落が発達してきた土地である。堤防が切れれば水が抜けにくいという地形の性質が、浸水を長引かせた。

被害の状況

この豪雨による岐阜県内の人的被害は、死者8人、行方不明1人、重傷6人、軽傷16人である。死者のうち5人は岐阜市で発生した。 住家の被害は広範囲に及び、床上浸水は県内で24,209件、床下浸水は51,276件を数えた。このうち安八町では床上浸水1,744件・床下浸水366件、墨俣町では床上浸水1,190件・床下浸水152件が記録されている。 自衛隊は第10師団が出動し、ヘリコプターによる救助と物資輸送にあたった。決壊口をふさぐ締切工事は難航し、浸水した地域から水が引くまでには日数を要している。決壊地点の近くを東海道新幹線が通っていたため、鉄道の運行にも影響が及んだ。

長良川水害訴訟

被災した住民は、堤防の設置や管理に瑕疵があったとして、国家賠償法第2条第1項に基づき国を相手取る損害賠償請求訴訟を起こした。訴訟は原告の居住地によって二つに分かれ、安八町の住民1,178人による安八訴訟(請求額19億5,459万円)と、墨俣町の住民772人による墨俣訴訟(請求額19億1,076万円)が並行して審理された。 一審の岐阜地方裁判所は、1982年(昭和57年)12月10日の安八訴訟判決で、長良川右岸堤防の築堤工事などに瑕疵があったと認め、15億1,143万円の支払いを国に命じた。一方、1984年(昭和59年)5月29日の墨俣訴訟判決では国側の主張を認め、原告の請求を棄却している。 控訴審の名古屋高等裁判所は1990年(平成2年)2月20日、安八・墨俣の両訴訟についていずれも原告の請求を棄却した。安八訴訟については一審の判断が覆されたことになる。最高裁判所は1994年(平成6年)10月27日に上告を棄却し、住民側敗訴が確定した。

河川管理の瑕疵をめぐる判断

この訴訟の争点は、堤防が切れたという結果から直ちに管理の瑕疵を認めてよいか、という点にあった。国側は、決壊した堤防が昭和初期に築かれて以来約50年にわたり損傷の兆候を見せず、昭和34年・35年・36年のいわゆる昭和三大洪水にも耐えてきたこと、そして1976年の降雨がそれらをはるかに上回る規模だったことを主張した。 河川は道路や建物と違い、もともと自然の営みのなかにある。すべての洪水に耐える堤防を一度に整備することはできず、予算と工期の制約のもとで順次改修していくほかない。この事情をどこまで考慮するかについては、1984年の大東水害訴訟最高裁判決が判断の枠組みを示しており、長良川の訴訟もその流れのなかで判断された。 住民側の敗訴が確定したことで、水害訴訟において国の責任を認めさせる難しさが改めて示された。一方で、一審が瑕疵を認めた事実は、堤防の構造や地盤条件をどこまで調べておくべきかという河川管理の実務に問いを残している。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1976年9月12日
  2. 判決 1982年12月10日 +2,280日
  3. 判決 1984年5月29日 +536日
  4. 判決 1990年2月20日 +2,093日
  5. 判決 1994年10月27日 +1,710日

経過

  1. 1976年9月12日
    昭和51年

    事件・事故 長良川右岸堤防が安八町大森で決壊

    決壊口は約20メートルから約80メートルへ拡大し、安八町・墨俣町が浸水した。

  2. 1982年12月10日
    昭和57年

    判決 岐阜地方裁判所が安八訴訟で住民側勝訴の判決

    長良川右岸堤防の築堤工事等に瑕疵があったとして、国に15億1,143万円の支払いを命じた。

    岐阜地方裁判所

  3. 1984年5月29日
    昭和59年

    判決 岐阜地方裁判所が墨俣訴訟で請求を棄却

    同じ水害をめぐる訴訟で、一審の判断が原告の居住地により分かれた。

    岐阜地方裁判所

  4. 1990年2月20日
    平成2年

    判決 名古屋高等裁判所が安八・墨俣の両訴訟で原告の請求を棄却

    安八訴訟については一審の判断が覆された。

    名古屋高等裁判所

  5. 1994年10月27日
    平成6年

    判決 最高裁判所が上告を棄却し住民側敗訴が確定

    水害訴訟における河川管理の瑕疵の判断枠組みを踏まえた結論となった。

    最高裁判所

出典・公的資料

一次資料 3件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

関連する法律用語

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「安八水害(長良川堤防決壊)」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1976-anpachi-flood/

関連事件

関連する事件

広告

更新履歴

  • 2026年8月24日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。