災害の一覧(75件)・4ページ目
種別「災害」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「災害」には、地震・津波・台風・豪雨・噴火など自然現象を直接の原因とする被害事例を分類しています。人為的なミスや管理不備が直接の原因となった事故は「事故」に分類しています。掲載事件は、気象庁・内閣府防災担当などの公表資料や調査報告書、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
75 件
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昭和南海地震
1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分ごろ、和歌山県南方沖(潮岬南方沖)の南海トラフ沿い、深さ約24キロメートルを震源とするマグニチュード8.0の地震が発生した。四国から近畿・中部にかけて広い範囲が揺れ、土佐湾沿岸を中心に津波が襲来。気象庁の資料によれば全国の死者・行方不明者は1,443人にのぼり、うち高知県の死者は679人と最も多かった。高知平野では地盤沈下により約15平方キロメートルの田園が海面下に没し、水が引くまで半月を要した。終戦の翌年、復興途上の西日本を襲った震災である。
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鳥取地震
1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下ごく浅い場所を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。鳥取市の市街地では木造家屋の倒壊が相次ぎ、気象庁の資料による死者は1,083人にのぼった。震源が浅い内陸直下型の地震で、地表には鹿野断層・吉岡断層と呼ばれる断層のずれが現れ、日本の活断層研究にとって重要な観測例となった。太平洋戦争のさなかに発生したため被害の詳細は報道管制のもとに置かれ、翌1944年の東南海地震、1945年の三河地震とともに、戦時下に相次いだ大地震のひとつに数えられる。
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阪神大水害
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、梅雨前線による豪雨が六甲山系一帯を襲い、神戸市を中心に大規模な土石流・浸水被害が発生した。神戸市だけで616人が死亡するなど、兵庫県内の死者・行方不明者は600人を超え、住宅の損壊・浸水は21万戸以上に及んだ。
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小串鉱山地滑り災害
群馬県嬬恋村の小串硫黄鉱山で背後の斜面が大規模に崩落し、鉱山施設や社宅を押し流して死者245人を出した災害。
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尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事故
秋田県の尾去沢鉱山で鉱滓ダムが決壊し、下流の住宅地を土砂が押し流して死者362人を出した事故。
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北伊豆地震
静岡県伊豆半島北部を震源とする直下型地震。死者・行方不明者272人、負傷者572人を出した。
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十勝岳噴火(大正15年噴火)
1926年(大正15年)5月24日、北海道の十勝岳が噴火し、山頂の残雪が融けて発生した大規模な融雪型火山泥流が上富良野の市街地まで到達し、144人が死亡・行方不明となった。
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関東大震災
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9の地震(大正関東地震)が発生し、東京・横浜を中心に関東地方南部に壊滅的な被害をもたらした。昼食時と重なったことで火災が同時多発し、特に東京の下町では火災旋風により多数の犠牲者を出した。死者・行方不明者は推定10万5千人余にのぼり、日本の自然災害史上最大級の被害となった。9月1日は「防災の日」に定められている。
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桜島の大正大噴火
1914年(大正3年)1月12日午前10時5分頃、鹿児島県の桜島西側中腹で大噴火が発生した。プリニー式噴火により大量の軽石・火山灰を噴出したのち大規模な溶岩の流出が続き、1月29日には溶岩が瀬戸海峡を埋めて桜島は大隅半島と陸続きになった。死者58人、負傷者112人、焼失・全壊した家屋は2,268棟に上り、降灰は遠く仙台にまで達した。20世紀以降の日本の火山噴火として最大規模の噴出量とされる。
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岩内沖合漁船遭難事件
1912年(明治45年)5月4日、北海道岩内町沖合でニシン漁の最中に暴風雨に見舞われ、出漁していた漁船100余隻が遭難し、136人が死亡した海難事故。
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別子大水害
1899年(明治32年)8月28日、愛媛県の別子銅山を襲った台風による集中豪雨で大規模な土石流が発生し、山中だけで513人が死亡した。鉱山開発に伴う森林伐採・煙害による山地の荒廃が被害を拡大させた典型例とされる。
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庄内地震
1894年(明治27年)10月22日、山形県庄内平野を震源に発生したマグニチュード7.0の内陸直下型地震。震源が極めて浅かったため被害が甚大で、死者726人、負傷者8400人超、全壊家屋約3858棟に達し、酒田市では大火も発生して市街地の約8割が焼失した。
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濃尾地震
1891年(明治24年)10月28日午前6時38分、岐阜県・愛知県を震源に発生したマグニチュード8.0の内陸直下型地震。日本の観測史上最大級の内陸地震とされ、死者7273人、負傷者1万7175人、全壊家屋14万2177戸に達した。震災予防調査会の設立や耐震構造研究の本格化など、後の地震学・建築行政に大きな影響を与えた。
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十津川大水害
1889年(明治22年)8月18日から20日にかけて、停滞する秋雨前線に台風が接近し、紀伊半島の山地に記録的な豪雨をもたらした。奈良県吉野地方では雨量が1,000ミリを超え、十津川郷では1,080か所で山が崩れ、37か所で川がせき止められて天然のダムが生じた。奈良県内の死者は168人、全壊・流出した家屋は426戸にのぼり、耕地を失って生活の基盤をなくした住民はおよそ3,000人を数えた。復旧の見通しが立たないなか、同年10月、2,691人が北海道への移住を決断する。移住先に開かれたのが新十津川村(現・新十津川町)である。深層崩壊による災害の代表例として、現在も砂防の分野で研究が続けられている。
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元禄地震
1703年(元禄16年)12月31日未明、相模トラフ沿いの房総半島南方沖を震源として発生した海溝型巨大地震。マグニチュードは7.9から8.5と推定され、房総半島から相模湾沿岸にかけて津波と家屋倒壊により甚大な被害をもたらした。1923年の関東大震災と同型の地震とされ、隆起量など一部の指標では元禄地震の方が規模が大きかったとされる。
出典: https://jiken.jp/category/disaster/?page=4(2026-09-15 取得)/ 事件JP