災害の一覧(92件)・4ページ目
種別「災害」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「災害」には、地震・津波・台風・豪雨・噴火など自然現象を直接の原因とする被害事例を分類しています。人為的なミスや管理不備が直接の原因となった事故は「事故」に分類しています。掲載事件は、気象庁・内閣府防災担当などの公表資料や調査報告書、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
92 件
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四日市ぜんそく
三重県四日市市で、1959年(昭和34年)に操業を始めた石油化学コンビナートから出る硫黄酸化物などによる大気汚染で、隣接する磯津地区などにぜんそくなどの呼吸器疾患の患者が多発した公害。1967年9月1日、磯津地区の患者9人がコンビナートの6社を相手に損害賠償を求めて提訴し、津地方裁判所四日市支部は1972年7月24日、6社の共同不法行為を認めて原告勝訴の判決を言い渡した。被告は控訴せず判決は確定した。判決は公害健康被害補償法の制定や硫黄酸化物の総量規制など、その後の公害行政に大きな影響を与えた。
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足和田災害
1966年(昭和41年)9月25日未明、台風26号による豪雨で、山梨県南都留郡足和田村(現・南都留郡富士河口湖町)の根場・西湖の両集落を土石流が襲った。西湖の北岸に並ぶ二つの集落は壊滅し、林業試験場の研究報告によれば死者・行方不明者は93名にのぼった。同じ日に台風24号と26号が相次いで本州に上陸するという異例の気象条件のもとで、山梨県全体では死者・行方不明者174名を数えている。生き残った住民は集落を離れて西湖の対岸へ集団移転し、根場の茅葺き集落は失われた。この災害は、予防治山と局所的な防災工事の必要性を強く認識させる契機となった。
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マリアナ海域漁船集団遭難事件
1965年(昭和40年)10月7日、マリアナ諸島アグリガン島沖で操業していた静岡県のカツオ釣り漁船団が、急速に発達した台風29号に直撃され、7隻が沈没した事件。死者1人・行方不明208人を出し、海上自衛隊が創設以来初めて海外への災害派遣を行う事態となった。
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新潟水俣病(第二水俣病)確認
1965年(昭和40年)6月12日、新潟県阿賀野川下流域で有機水銀中毒による健康被害が公式に確認された。原因は昭和電工鹿瀬工場が排出したメチル水銀で、熊本の水俣病に次ぐ「第二水俣病」として社会問題化した。
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豊浜山津波
1962年(昭和37年)10月17日、北海道乙部町豊浜地区で発生した土石流(山津波)が、走行中の函館バスの路線バスを海中に押し流した事故。乗務員2人は生還したが、乗客のうち11人が死亡、3人が行方不明、14人が重軽傷を負った。事故後、現場の旧道は廃止され、新たなトンネル・道路が整備された。
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奥新冠ダム建設工事雪崩災害
1961年(昭和36年)4月5日未明、北海道日高地方の平取町振内と新冠村(現・新冠町)奥新冠で、北海道電力が進めていた日高電源一貫開発計画の一環である奥新冠ダム・発電所建設工事の作業員宿舎が相次いで表層雪崩に襲われた。前日までの高温と降雨で緩んだ積雪が崩落し、平取町側で12人、新冠側で22人、合わせて34人が死亡、11人が負傷した。北海道警察などの現場検証は「事前予知が到底困難な自然災害」と結論づけた。工事用道路の復旧や作業員の離散により工事の全面再開には時間を要し、後年、現場付近と発電所そばに慰霊碑が建立された。
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伊勢湾台風
1959年(昭和34年)9月26日夕方に和歌山県潮岬の西に上陸した台風第15号は、伊勢湾に観測史上最高の高潮をもたらし、愛知・三重両県を中心に死者4,697人・行方不明者401人、計5,098人の犠牲者を出した。台風による犠牲者としては明治以降最大である。名古屋港では潮位が3.89メートルに達し、堤防は220か所、33キロ近くにわたって決壊した。この災害を契機に、防災行政を総合的に進めるための災害対策基本法が1961年に制定され、伊勢湾沿岸では伊勢湾台風の潮位を前提とした高潮対策が進められた。
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水俣病
1956年(昭和31年)5月1日、熊本県水俣市のチッソ(当時は新日本窒素肥料)水俣工場附属病院の院長が、原因不明の神経疾患の患者が入院したことを水俣保健所に報告した。これが水俣病の「公式確認」である。原因は同工場の排水に含まれたメチル水銀化合物に汚染された魚介類で、政府が原因を認めたのは12年後の1968年だった。被害は不知火海沿岸に広がり、公害健康被害補償法による被認定者は熊本・鹿児島両県で2,284人(2026年1月末時点、環境白書の県別数値の合計)に上る。刑事裁判でチッソの元社長らの有罪が確定し、2004年には最高裁が国と熊本県の責任も認めた。
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メイストーム海難事故
1954年(昭和29年)5月9日から10日にかけて急速に発達した低気圧により北海道近海で暴風が発生し、サケ・マス漁の漁船が多数遭難、361人が死亡・行方不明となった海難事故。
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昭和28年7月南紀豪雨
1953年(昭和28年)7月、梅雨前線の活動により九州から東北にかけて大雨となり、特に紀伊半島では17日から18日を中心に期間降水量が700ミリを超える豪雨となった。和歌山県では有田川・日高川などが決壊・氾濫し、有田川上流の花園村では大規模な崩壊で天然ダムが生じた。和歌山県内だけで死者・行方不明者は1,000人を超え、被災者は当時の県人口の約4分の1にあたる約26万人に達した。7月16日から25日までの一連の大雨による全国の被害は、死者713人・行方不明者411人・負傷者5,819人とされる。
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昭和28年西日本水害
1953年(昭和28年)6月25日から29日にかけて、梅雨前線による記録的豪雨が九州北部を中心に西日本を襲い、死者759人・行方不明者242人を出した大水害。熊本市街地の広範囲が浸水するなど、戦後最悪級の被害となった。
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十勝沖地震
1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。池田・幕別などで震度6を観測し、津波が太平洋沿岸を襲って浜中町霧多布などに大きな被害が出た。死者28人・行方不明5人・負傷者287人、家屋の全半壊・一部損壊は8,500棟を超えた。
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ルース台風
1951年(昭和26年)10月14日、中心気圧935hPaという統計開始以降4番目の低さで鹿児島県串木野市付近に上陸した台風。速い速度で九州を縦断し、死者572人・行方不明者371人・負傷者2644人、損壊家屋7万2664棟という甚大な被害を全国にもたらした。
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キティ台風
1949年(昭和24年)8月31日、台風10号(キティ台風)が神奈川県小田原市付近に上陸し関東地方を縦断した。暴風・大雨・高潮により死者135人、行方不明者25人にのぼり、戦後復興途上の首都圏に大きな被害をもたらした。
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福井地震
1948年6月28日16時13分、福井平野の直下の浅い所を震源として発生したマグニチュード7.1の地震。当時の震度階級で最大の震度6を観測し、福井市では総戸数の8割を超える家屋が全壊、震源に近い集落では全壊率がほぼ100%に達した。地震直後には福井市内の各所から火が出て、多くの家屋が焼失した。死者は福井・石川両県で3,769人にのぼった。この地震の壊滅的な被害を受けて、気象庁は翌1949年に震度階級に「震度7」を加えた。
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昭和南海地震
1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分ごろ、和歌山県南方沖(潮岬南方沖)の南海トラフ沿い、深さ約24キロメートルを震源とするマグニチュード8.0の地震が発生した。四国から近畿・中部にかけて広い範囲が揺れ、土佐湾沿岸を中心に津波が襲来。気象庁の資料によれば全国の死者・行方不明者は1,443人にのぼり、うち高知県の死者・行方不明者は679人と最も多かった。高知平野では地盤沈下により約15平方キロメートルの田園が海面下に没し、水が引くまで半月を要した。終戦の翌年、復興途上の西日本を襲った震災である。
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三河地震
1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分、愛知県の三河湾の地下を震源とするマグニチュード6.8の内陸直下型地震が起き、旧幡豆郡・碧海郡(現在の西尾市・安城市・蒲郡市・幸田町など)を中心に死者2,306人(地震調査研究推進本部)、住家全壊7,221棟の被害が出た。37日前の昭和東南海地震で傷んだ家屋が多く、就寝中に倒壊した家屋の下敷きになった人が多かった。疎開先の寺院が倒れ、名古屋から集団疎開していた児童も犠牲になった。戦時下の報道統制のもとで被害の実態は伝えられず、「隠された地震」とも呼ばれる。
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鳥取地震
1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下ごく浅い場所を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。鳥取市の市街地では木造家屋の倒壊が相次ぎ、気象庁の資料による死者は1,083人にのぼった。震源が浅い内陸直下型の地震で、地表には鹿野断層・吉岡断層と呼ばれる断層のずれが現れ、日本の活断層研究にとって重要な観測例となった。太平洋戦争のさなかに発生したため被害の詳細は報道管制のもとに置かれ、翌1944年の東南海地震、1945年の三河地震とともに、戦時下に相次いだ大地震のひとつに数えられる。
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阪神大水害
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、梅雨前線による豪雨が六甲山系一帯を襲い、神戸市を中心に大規模な土石流・浸水被害が発生した。神戸市だけで616人が死亡するなど、兵庫県内の死者・行方不明者は600人を超え、住宅の損壊・浸水は21万戸以上に及んだ。
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小串鉱山地滑り災害
群馬県嬬恋村の小串硫黄鉱山で背後の斜面が大規模に崩落し、鉱山施設や社宅を押し流して死者245人を出した災害。
出典: https://jiken.jp/category/disaster/?page=4(2026-10-30 取得)/ 事件JP