十勝沖地震

発生日 1952年3月4日(昭和27年)
経過 発生から74年6か月
発生場所 北海道 十勝沖(日高・十勝・釧路地方沿岸)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 28人
1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。日高・十勝・釧路地方を中心に被害が及び、津波は厚岸で6.5メートルに達した。死者28人・行方不明5人、住宅全壊815戸にのぼる、戦後の北海道における最大級の地震災害となった。
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地震の発生

1952年3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖(北緯41度42.3分・東経144度9.0分、深さ54キロメートル)を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。浦幌・帯広・釧路などで震度5を観測し、日高・十勝・釧路地方の沿岸低地を中心に被害が及んだ。
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被災地の状況

震源に近い日高・十勝地方の沿岸集落では、地震の揺れそのものによる家屋倒壊に加え、その後の津波によって漁業関連施設や住居が押し流される二重の被害を受けた。冬季の厳しい寒さの中での避難生活を強いられた住民も多く、行政による応急対応が急がれた。

津波と被害の実態

地震発生から約50分後、津波が沿岸各地に到達し、特に釧路・根室地方の沿岸で被害が大きく、厚岸では波高6.5メートルを記録した。死者28人・行方不明5人(あわせて33人)、住宅全壊815戸以上という被害が生じ、北海道内では戦後最大級の地震災害となった。

国の調査と記録

内閣府防災担当は、本地震を北海道における主要な歴史地震の一つとして防災教育資料に取り上げており、被害の実態や教訓を後世に伝える取り組みを続けている。文部科学省の防災教育ポータルサイトでも、道内の学校における防災学習の教材として紹介されている。

十勝沖地震という震源域の特徴

十勝沖から根室沖にかけての海域は、太平洋プレートが沈み込むプレート境界にあたり、大規模な海溝型地震が周期的に発生することで知られる。本地震は、この震源域で発生した昭和期最大級の地震として、後年の1968年十勝沖地震・2003年十勝沖地震などと並び、地震学における重要な研究対象とされてきた。十勝沖地震はまた、北海道における地震保険・住宅耐震化の議論の出発点の一つともされ、後年発生した1993年釧路沖地震や2003年十勝沖地震の被害想定にも、本地震の記録が参照されている。

当時の地震観測体制

1952年当時、日本の地震・津波観測網は現在ほど整備されておらず、津波警報の発表や住民への伝達にも時間を要した。本地震は、地震発生後の津波到達までの限られた時間の中で、住民への迅速な情報伝達がいかに重要かを示す事例として、後年の津波防災体制整備の議論でしばしば参照されている。

防災対策への影響

本地震の教訓は、北海道における津波避難対策や防潮堤整備の必要性を示す事例として、後年の防災計画の中でたびたび参照されている。文部科学省・内閣府の防災教育資料でも、道内の主要な歴史地震の一つとして紹介されている。

十勝沖地震と防災教育

内閣府や北海道教育委員会は、本地震を含む道内の主要な歴史地震を題材とした防災教育プログラムを作成しており、学校現場での防災学習に活用されている。震源域が今日でも大規模地震の発生が懸念される地域であることから、過去の被害の記憶を継承する取り組みは現在も続けられている。当時の新聞報道では、震源に近い漁村での被害状況が詳しく伝えられ、寒冷地における震災復興の難しさが浮き彫りになった。行政による住宅再建支援や漁業再開への支援策も、その後の災害対応の先例として参照されている。

経過

  1. 1952年3月4日
    昭和27年

    事件・事故 十勝沖でマグニチュード8.2の地震が発生

    日高・十勝・釧路地方に被害が及び、津波が沿岸を襲った。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「十勝沖地震」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1952-tokachi-oki-earthquake/

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更新履歴

  • 2026年8月19日 初版公開

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