菅生事件
| 発生日 | 1952年6月2日(昭和27年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から74年3か月 1960年1月16日の確定から66年7か月 |
| 発生場所 | 大分県 直入郡菅生村(現・竹田市) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 0人 負傷者 0人 |
1952年(昭和27年)6月2日、大分県の菅生村駐在所が爆破され、居合わせた共産党員5人が逮捕・起訴された事件。後に、警察官による自作自演の謀略事件であったことが判明し、被告らの無罪が確定した。
広告
事件の経過
1952年6月2日午前0時半ごろ、大分県直入郡菅生村の駐在所が、ダイナマイトを詰めた瓶で爆破された。警察は事前に約100人の警察官を現場周辺に配置しており、爆発直後、付近を通りかかった日本共産党員5人を逮捕・起訴した。
広告
警察官による自作自演の発覚
弁護団の調査により、「市木春秋」という偽名で被告人らに接近していた人物が、実は警察官の戸高公徳であったことが判明した。戸高は潜入捜査を名目に共産党員へ接触し、爆発物を持ち込む役割を担っていたとみられる。駐在所巡査の妻も、事前に爆破を知らされていたとの趣旨の証言をしていた。
裁判の経過とその後の評価
一審(1955年)では被告全員に有罪判決が言い渡されたが、1958年の控訴審で福岡高裁は全員に無罪を言い渡し、1960年に最高裁で無罪が確定した。ダイナマイトは被告らが投げ込んだのではなく、駐在所内部にあらかじめ仕掛けられていたことが鑑定で判明し、警察による自作自演と認定された。この事件は、公安警察によるフレームアップ(でっち上げ)事件の典型例として、その後の警察活動のあり方をめぐる議論に大きな影響を与えた。
破壊活動防止法との関係
事件が発覚した1952年は、朝鮮戦争を背景に共産主義運動への警戒が強まっていた時期であり、同年7月には破壊活動防止法が成立している。菅生事件は、こうした社会情勢のもとで公安警察が独自に「危険な組織」を摘発しようとした結果、謀略的な事件をでっち上げるに至った経緯が後年明らかになった。
事件の位置づけ
菅生事件は、松川事件・下山事件などと並び、占領期から独立回復期にかけて発生した「国鉄三大ミステリー事件」や謀略事件とともに、戦後日本の治安維持活動における国家権力の行き過ぎを象徴する事例として、歴史研究でたびたび取り上げられている。
戸高公徳のその後
事件を主導したとされる警察官・戸高公徳自身は、刑事責任を問われることはなく、警察組織内での処遇にとどまった。この点は、事件の全容解明が最後まで不十分であったとする批判の根拠ともなっている。
経過
-
1952年6月2日
昭和27年事件・事故 駐在所が爆破され共産党員5人が逮捕・起訴される
-
1958年6月9日
昭和33年判決 福岡高等裁判所が全員に無罪を言い渡す
福岡高等裁判所
-
1960年1月16日
昭和35年判決 最高裁判所が上告を棄却し無罪が確定
最高裁判所
出典・公的資料
- その他
- その他
関連する法律用語
この記事を引用する
レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「菅生事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1952-sugao-incident/
関連事件
関連する事件
広告
本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。