辰野事件

発生日 1952年4月30日(昭和27年)
経過 発生から74年4か月 1972年12月1日の確定から53年9か月
発生場所 長野県 上伊那郡(辰野町・箕輪町・伊那市)
種別 その他
状態 終結
被害 死者 0人  負傷者 0人
1952年(昭和27年)4月30日未明、長野県上伊那郡の辰野警察署や伊那税務署など複数の官公庁施設が、ダイナマイトや火炎瓶で相次いで襲撃された。長野県警察は日本共産党員13人を逮捕・起訴し、1960年の第一審・長野地方裁判所飯田支部は全員を有罪としたが、1972年12月1日、東京高等裁判所は証拠不十分として逆転無罪を言い渡し、検察も上告を断念して無罪が確定した。発生から確定まで20年7か月を要した、戦後の冤罪事件の一つとされる。
広告

事件の経過

1952年(昭和27年)4月29日深夜から30日未明にかけて、長野県上伊那郡の辰野警察署本署と辰野駅前派出所(辰野町)、伊那警察署の東箕輪村駐在所(箕輪町)と非持駐在所(当時の美和村)、伊那税務署(伊那市)が、何者かによってダイナマイトや火炎瓶で相次いで襲撃された。人的被害は伝えられていないが、複数の官公庁施設が同時多発的に狙われたことから、長野県警察は組織的な犯行とみて捜査を開始した。
広告

日本共産党員13人の逮捕と起訴

捜査の結果、長野県警察は日本共産党員13人を容疑者として逮捕した。取調べの過程で13人のうち10人が犯行を自供したとされ、全員が爆発物取締罰則違反・放火未遂などの罪で起訴された。しかし起訴後、被告人13人は全員が一貫して容疑を否認した。日本共産党はこの事件について「党に対する攻撃であり、でっち上げである」とする抗議声明を発表したとされる。 1952年前後は、同年2月の東京・大津事件、6月の大分県での菅生事件(既存記事参照)、大阪の吹田事件など、日本共産党関係者が捜査・起訴の対象となった事件が各地で相次いだ時期でもあった。

第一審有罪から東京高裁の逆転無罪へ

事件から8年後の1960年、長野地方裁判所飯田支部は13人全員を有罪と認定し、首謀者とされた被告に懲役7年を言い渡すなど、10人に実刑判決を、3人に執行猶予付きの判決を下した。一審の審理には8年を要したが、この間、被告側の弁護人は国会議員を兼ねる1人だけであったため、国会が開かれる時期には公判が開けず、審理が繰り返し中断したことが長期化の一因になったとされる。 被告側は控訴し、東京高等裁判所での審理にはさらに12年を要した。事件発生から20年7か月が経過した1972年12月1日、同高裁は第一審判決を破棄し、証拠不十分を理由に被告人全員に無罪を言い渡した。判決は、被告人らの自白の内容が現場の客観的な状況と食い違うこと、自白どおりの方法で爆発物を作動させられたか疑わしいこと、目撃証言が別人の犯行をうかがわせる不自然さを含むこと、被告人にアリバイが認められることなどを指摘したとされる。検察側は上告を断念し、無罪が確定した。

戦後の「謀略事件」としての位置づけ

辰野事件は、同じ時期に発生した菅生事件(大分県、警察官による自作自演と後に判明)などとともに、占領期から独立回復期にかけて日本共産党の関係者が捜査・起訴の対象となった一連の事件のひとつに数えられる。事件のわずか1日後の1952年5月1日には、皇居前広場でデモ隊と警官隊が衝突した血のメーデー事件が起き、こうした一連の騒擾・爆発物事件を背景に、同年7月21日には団体等規正令に代わる治安立法として破壊活動防止法が制定された。辰野事件そのものが同法制定の直接の契機とされているわけではないが、当時の治安情勢を象徴する事件の一つとして位置づけられている。 真犯人が別に存在したのか、そもそも組織的な犯行があったのか自体が判決で明らかにされたわけではなく、無罪確定によって法的な決着だけがついた。被告とされた13人の名誉回復までに要した20年余りの歳月と、自白の信用性が公判で崩れたという経過は、自白偏重の捜査・裁判が誤った有罪判決を生む危険性を示す事例として、その後も取り上げられている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1952年4月30日
  2. 公判 1960年 +2,802日
  3. 判決 1972年12月1日 +4,718日

経過

  1. 1952年4月30日
    昭和27年

    事件・事故 辰野警察署など複数の施設がダイナマイト・火炎瓶で襲撃される

    長野県上伊那郡の警察施設・税務署が相次いで襲撃された。

  2. 1960年
    昭和35年

    公判 長野地方裁判所飯田支部が第一審判決(13人全員有罪)

    首謀者とされた被告に懲役7年など、10人に実刑、3人に執行猶予付きの判決。

    長野地方裁判所飯田支部

  3. 1972年12月1日
    昭和47年

    判決 東京高等裁判所が逆転無罪を言い渡し、検察が上告を断念して無罪が確定

    証拠不十分を理由に被告人全員が無罪となった。

    東京高等裁判所

出典・公的資料

  • その他
    ウィキペディア日本語版
    百科事典。発生日時・場所・逮捕者数・一審有罪から二審無罪確定までの経過を確認。
  • その他
    日本共産党(藤野保史衆議院議員サイト)
    日本共産党関係者による記事。事実関係(発生日・逮捕者数・判決日)はWikipediaと一致することを確認したうえで、独立した第二の情報源として日付の裏取りに使用。党の立場からの評価(「でっち上げ」等の表現)は本文には採用していない。

関連する法律用語

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「辰野事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1952-tatsuno-incident/

関連事件

  • 1952年6月2日 同時期に発生した、日本共産党関係者が捜査対象となった同種の冤罪事件

    菅生事件

関連する事件

広告

更新履歴

  • 2026年8月27日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。