吹田・枚方事件

発生日 1952年6月24日(昭和27年) 〜 1952年6月25日
経過 発生から74年2か月 1972年3月17日の確定から54年5か月
発生場所 大阪府 吹田市・豊中市・枚方市
種別 その他
状態 終結
被害  負傷者 4人
1952年(昭和27年)6月24日から25日にかけて、朝鮮戦争開戦2周年を機に、大阪府吹田市では労働者・学生・在日朝鮮人らが国鉄吹田操車場に突入して警察官と衝突し(吹田事件)、同時期に枚方市では旧陸軍工廠の施設が爆破される事件が発生した(枚方事件)。血のメーデー事件・大須事件と並ぶ戦後三大騒擾事件の一つとされる。吹田事件では111人が騒擾罪などで起訴されたが、1972年3月17日の最高裁判決で騒擾罪の不成立が確定した。
吹田・枚方事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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吹田事件の経過

1952年(昭和27年)6月24日夕方、朝鮮戦争開戦2周年にあたり、大阪大学豊中キャンパスで開かれた集会に労働者・学生・在日朝鮮人など約1000人が参加した。集会後、参加者は「山越部隊」と「電車部隊」に分かれて行動し、朝鮮戦争への軍事物資輸送に反対して大阪府吹田市の国鉄吹田操車場を目指した。25日未明に両部隊が合流し、明け方には操車場構内に入って気勢をあげた。事前に軍用列車は移動されており、直接の妨害には至らなかった。デモ隊が吹田駅で解散した後、追跡してきた警察官約30人と一部の参加者が衝突し、警察官の発砲により4人が重傷を負った。この事件で現場付近にいた約300人の身柄が確保され、うち111人が騒擾罪などで起訴された。
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枚方事件の経過

同じ6月24日未明、実行犯が大阪府枚方市の旧陸軍工廠だった枚方製造所に侵入し、第四搾出工場の水圧ポンプに時限爆弾を取り付けて爆破した。その日の夜には、枚方市内の丘陵地で朝鮮戦争2周年を記念する集会が開かれ、在日朝鮮人や日本共産党員ら北朝鮮を支持する立場の約100人が集まった。集会後の25日未明、参加者の一部が関係先とみられた民家に押しかけ、火炎びんを投げ込んで玄関や車庫、自動車の一部を焼損させた。大阪地方検察庁はこの一連の行為について、爆発物取締罰則違反・放火未遂・公務執行妨害などの容疑で65人を起訴した。

裁判の経過

吹田事件の刑事裁判は、起訴から判決確定まで約20年に及んだ。大阪地方裁判所は1963年6月22日、騒擾罪の成立を認めない一審判決を言い渡し、暴力行為等処罰法違反などで15人を有罪とするにとどめた。検察・被告双方が控訴した控訴審で、大阪高等裁判所は1968年7月25日、騒擾罪の不成立という判断を維持しつつ、吹田操車場での行為について威力業務妨害罪の成立を認め、46人を有罪とした。最高裁判所は1972年3月17日、上告を棄却し判決が確定した。起訴から実に20年、一審判決だけでも11年を要した長期裁判となり、この間に被告とされた者のうち複数が判決を待たずに死去したことも指摘されている。枚方事件についても大阪地裁で審理が行われ、起訴された65人のうち大半が有罪の判決を受けた。

社会的影響

吹田事件・枚方事件は、同年5月1日に皇居前広場周辺で発生した血のメーデー事件、7月の大須事件(名古屋)と合わせて「戦後三大騒擾事件」と呼ばれる。これら一連の事件が相次いだことを背景に、当時の国会では暴力主義的破壊活動を行う団体を規制するための破壊活動防止法の審議が進められ、同法は1952年7月21日に公布・施行された。もっとも同法制定の直接の契機とされるのは主に血のメーデー事件であり、吹田・枚方事件は法案審議が大詰めを迎えていた時期に相次いで発生し、治安立法の必要性を訴える論拠として取り上げられた事件という位置づけである。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1952年6月24日
  2. 事件・事故 1952年6月25日 +1日
  3. 公判 1963年6月22日 +4,014日
  4. 公判 1968年7月25日 +1,860日
  5. 判決 1972年3月17日 +1,331日

経過

  1. 1952年6月24日
    昭和27年

    事件・事故 枚方市の旧陸軍工廠で爆破事件(枚方事件)

    実行犯が枚方製造所の水圧ポンプに時限爆弾を仕掛けて爆破した。

  2. 1952年6月25日
    昭和27年

    事件・事故 吹田操車場にデモ隊が突入、警官発砲(吹田事件)

    デモ隊と警察官が衝突し、警察官の発砲で4人が重傷を負った。約300人の身柄が確保された。

  3. 1963年6月22日
    昭和38年

    公判 大阪地裁が一審判決、騒擾罪不成立

    暴力行為等処罰法違反などで15人を有罪としたが、騒擾罪の成立は認めなかった。

    大阪地方裁判所

  4. 1968年7月25日
    昭和43年

    公判 大阪高裁が控訴審判決

    騒擾罪の不成立は維持しつつ、威力業務妨害罪の成立を認め46人を有罪とした。

    大阪高等裁判所

  5. 1972年3月17日
    昭和47年

    判決 最高裁が上告棄却、判決が確定

    騒擾罪不成立のまま業務妨害罪等の有罪判決が確定した。

    最高裁判所

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    脇田憲一(CiNii Research収録)
    事件の歴史的背景・裁判の長期化・戦後三大騒擾事件としての位置づけを確認。
  • その他
    Wikipedia
    デモの経過・警察官発砲による負傷者数・逮捕起訴人数・地裁/高裁/最高裁の判決日を確認。
  • その他
    Wikipedia
    枚方製造所爆破・放火の経過と起訴人数を確認(本記事は出典への言及が少ない旨の注記があり、他資料と整合する事実関係のみ採用した)。
  • その他
    Wikipedia
    同法の公布・施行日(1952年7月21日)と、血のメーデー事件・吹田事件・大須事件との関係を確認。

関連する法律用語

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「吹田・枚方事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1952-suita-hirakata-incident/

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更新履歴

  • 2026年8月20日 初版公開

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