出歯亀事件

発生日 1908年3月22日(明治41年)
経過 発生から118年5か月
発生場所 東京都 南豊島郡大久保村(現・新宿区大久保)
種別 殺人
状態 判決確定
被害 死者 1人  負傷者 0人
1908年(明治41年)3月22日夜、東京府南豊島郡大久保村(現・新宿区大久保)で、銭湯帰りの女性が何者かに暴行され殺害された。女湯を覗く常習者だった池田亀太郎が犯人として逮捕され、無期懲役の判決を受けた。出っ歯が特徴だった池田の通称「出歯亀」は、後に覗き見をする者を指す一般名詞として定着した。
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事件の発生

1908年3月22日夜、東京府南豊島郡大久保村(現・新宿区大久保)で、銭湯からの帰宅途中だった女性が何者かに暴行され、殺害された。被害者の夫が下谷電話交換局長という社会的地位のある人物だったこともあり、事件は当時大きく報じられた。
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事件当時の社会状況

明治末期の東京では、銭湯の女湯を覗き見る行為が一部で問題視されつつも、今日ほど厳格には取り締まられていなかった。本事件は、こうした覗き見行為が凶悪な性犯罪・殺人に発展しうるという危険性を社会に強く印象づけ、警察による銭湯周辺の警戒強化にもつながったとされる。

容疑者の逮捕と裁判

女湯を覗く常習者として近隣で知られていた植木職人の池田亀太郎が容疑者として逮捕された。池田は当初犯行を自供したが、公判では取調べによる強要を主張して否認に転じた。裁判所は無期懲役の判決を言い渡し、池田は控訴審を経て服役し、13年後に出所した。

メディア報道の影響

当時の新聞各紙は事件を扇情的に報じ、池田の風貌や生い立ちにまつわる憶測記事も多数掲載された。こうした過熱報道のあり方自体が、後年の冤罪疑惑の背景として指摘されることもあり、明治期のメディアと刑事司法の関係を考えるうえでも参照される事件である。

「出歯亀」という言葉の定着

出っ歯が特徴だった池田の通称「出歯亀」は、事件を報じた新聞報道を通じて広く知られるようになり、以後、女性の入浴などを覗き見る者を指す一般名詞として日本語に定着した。今日でも「出歯亀根性」「出歯亀行為」といった表現で使われている。

池田亀太郎のその後

無期懲役の判決を受けた池田は、その後の恩赦等により減刑され、約13年間の服役を経て出所したとされる。出所後の消息については確たる記録が乏しく、事件そのものよりも「出歯亀」という言葉が独り歩きして社会に定着したことが、本件の最も大きな影響として残っている。「出歯亀」という言葉は、その後大正・昭和期の川柳や小説にも取り入れられ、日本語の中で独自の位置を占める語彙として定着した。事件の是非とは別に、言葉そのものが持つ社会的な影響力の大きさを示す事例としても興味深い。

冤罪の可能性についての指摘

後年、劇作家が遺したメモの中に「出歯亀冤罪」と題した記述が見つかり、池田には犯行時刻のアリバイがあったとする指摘がなされたことがある。真相は今日まで確定しておらず、日本の刑事司法史における古い時代の捜査・裁判の限界を考えるうえで、しばしば言及される事件である。

同時代の類似事件との比較

明治末期から大正期にかけては、覗き見や痴漢行為が発端となる暴行・殺人事件がたびたび社会問題化しており、出歯亀事件はその代表例として、後年の犯罪史・風俗史の研究対象となっている。都市化が進み見知らぬ他人同士が密集して暮らすようになった当時の東京特有の治安問題を象徴する事件としても位置づけられる。事件が起きた大久保村周辺は、その後の東京の市街地拡大とともに姿を変え、現在の新宿区大久保・百人町一帯は多国籍な住民が暮らす街として知られるが、事件当時の面影を伝える史跡等は残っていない。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1908年3月22日
  2. 判決 1908年6月 +71日

経過

  1. 1908年3月22日
    明治41年

    事件・事故 大久保村で女性が殺害される

    銭湯帰りの女性が暴行を受けて殺害された。

  2. 1908年6月
    明治41年

    判決 池田亀太郎に無期懲役の判決

    容疑者の池田亀太郎に無期懲役の判決が言い渡された。

出典・公的資料

関連する法律用語

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「出歯亀事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1908-debagame-incident/

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更新履歴

  • 2026年8月19日 初版公開

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