事件一覧
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179 件が見つかりました
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朝霞自衛官殺害事件
1971年(昭和46年)8月21日夜、埼玉県朝霞市の陸上自衛隊朝霞駐屯地で、警備任務中の自衛官・一場哲雄士長(当時21歳)が、新左翼グループ「赤衛軍」を名乗る学生らに襲撃され殺害された事件。犯人グループは幹部自衛官の制服を着用して駐屯地に侵入したとされる。
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全日空機雫石衝突事故
1971年7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)と航空自衛隊のF-86F訓練機が岩手県岩手郡雫石町上空で空中衝突した。自衛隊機の搭乗員2人はパラシュートで脱出したが、全日空機は空中分解し、乗客乗員162人全員が死亡した。事故調査の結果、自衛隊機が訓練空域を逸脱していたことが主因と認定され、訓練を指導した教官の刑事責任が問われた。
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ばんだい号墜落事故
1971年(昭和46年)7月3日夕、東亜国内航空63便「ばんだい号」(YS-11型機)が札幌から函館へ向け飛行中、函館市の横津岳付近に墜落し、乗員乗客68人全員が死亡した。運輸省の事故調査委員会は、操縦者の位置誤認と強風による飛行経路のずれを事故原因と推定した。
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三島由紀夫事件
1970年(昭和45年)11月25日、作家・三島由紀夫が自ら主宰する民兵組織「楯の会」のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)を訪れ、東部方面総監を人質に取って自衛隊員に決起を呼びかけたのち、割腹自殺した事件。三島と会員1人が死亡し、他の会員3人は逮捕された。戦後日本を代表する作家による衝撃的な最期として、国内外に大きな衝撃を与えた。
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三億円事件
1968年(昭和43年)12月10日、東京都府中市で白バイ警察官を装った男が現金輸送車を停止させ、東芝府中工場従業員のボーナス約2億9,430万円を積んだまま車ごと奪って逃走した強奪事件。犯人は特定されないまま1975年に公訴時効が成立し、戦後最大級の未解決事件として知られる。
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永山則夫連続射殺事件
1968年(昭和43年)10月11日から11月5日にかけて、東京・京都・北海道・愛知の4都道府県で、警備員やタクシー運転手ら男性4人が拳銃で相次いで射殺された事件。犯人は事件当時19歳の少年で、在日米軍基地から盗んだ拳銃を使用していた。少年は翌1969年4月、東京都内で逮捕された。
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少年ライフル魔事件
1965年(昭和40年)7月29日、神奈川県高座郡座間町で、当時18歳の少年が警察官を射殺して銃を奪い、東京都渋谷区の銃砲店に立てこもって警官隊と銃撃戦を繰り広げた。少年は逮捕され、1969年に死刑が確定、1972年に執行された。
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智行ちゃん誘拐殺人事件
1964年(昭和39年)12月21日、宮城県仙台市で、元映画俳優の男が5歳の男児を誘拐し、身代金を要求したうえで殺害した事件。男は身代金の受け渡し場所で同日中に現行犯逮捕された。第一審の仙台地方裁判所は無期懲役を言い渡したが、検察官の控訴を受けた仙台高等裁判所は原判決を破棄し死刑を言い渡した。被告側は上告したが、1968年(昭和43年)に最高裁判所が上告を棄却して死刑が確定し、1974年(昭和49年)に刑が執行された。芸能界出身者が死刑に処された数少ない事例として知られる。
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三井三池炭鉱三川鉱炭じん爆発事故
1963年(昭和38年)11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川坑で、坑内を暴走した石炭運搬用トロッコから出火し炭じんが爆発した。爆発そのものによる犠牲に加え、坑内に高濃度の一酸化炭素が長時間滞留したことで多数の坑員が中毒し、死者458人・一酸化炭素中毒患者839人にのぼる戦後最悪の炭鉱事故となった。
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西口彰事件
1963年(昭和38年)10月18日から12月にかけて、西口彰(当時40歳)が福岡・静岡・東京で5人を殺害した連続殺人事件。西口は瀬戸内海で投身自殺を偽装して逃走を続け、翌1964年1月3日、熊本県で逮捕された。この事件は佐木隆三の小説「復讐するは我にあり」のモデルとなった。
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みどり丸沈没事故
1963年(昭和38年)8月17日、那覇と久米島を結ぶ貨客船「みどり丸」が那覇沖で横波を受けて転覆・沈没し、死者86人、行方不明者26人、あわせて112人の犠牲者を出した。沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となった。
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南武線久地駅・津田山駅間踏切事故
1962年(昭和37年)8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間の踏切で、トラックと電車が衝突したのち対向電車とも二重に衝突する事故が発生し、3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切事故対策の強化を促す契機となった。
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豊州炭鉱水没事故
1960年(昭和35年)9月20日未明、福岡県田川郡川崎町の上尊鉱業豊州炭鉱で、集中豪雨により増水した中元寺川の川底が陥没し、坑内に川の水が大量に流れ込んで水没した事故。坑内で作業していた約220人のうち67人が逃げ遅れて死亡し、二次災害のおそれから多くの遺体は収容されないまま坑内に取り残された。
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岸信介内閣総理大臣刺傷事件
1960年7月14日午後、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党総裁交代の祝賀会からの退出時、岸信介首相(当時)が男に登山用ナイフで左尻・大腿部を6回刺され重傷を負った。日米安保条約改定を巡る混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸首相は翌日総辞職を表明し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の判決が確定した。
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雅樹ちゃん誘拐殺人事件
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区の花火問屋が経営する花火工場の倉庫で爆発が発生し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。爆風は周辺の建物にも被害を及ぼし、住宅密集地における花火の保管・製造の危険性を浮き彫りにした。
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橋北中学校水難事件
1955年7月28日、三重県津市立橋北中学校の水泳訓練中、中河原海岸で急激な水位上昇と異常な流れが発生し、多数の女子生徒が溺れて36人が死亡した。学校長ら3人が業務上過失致死罪で起訴され、津地方裁判所は執行猶予付き有罪判決を言い渡したが、名古屋高等裁判所は異常な流れを「不可抗力」と認定して無罪を言い渡し、判決が確定した。
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洞爺丸事故
1954年(昭和29年)9月26日夜、台風15号(洞爺丸台風)による強風の中、青函連絡船「洞爺丸」が北海道・函館港沖の七重浜沖合で転覆・沈没した事故。乗員乗客1314人のうち1155人が死亡・行方不明となり、日本海難史上最悪の惨事となった。この事故を契機に、本州と北海道を結ぶ青函トンネルの建設構想が具体化した。
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昭和28年7月南紀豪雨
1953年7月17日深夜から18日朝にかけ、梅雨前線の停滞により和歌山県北部・中部の山間部で24時間降水量が500mmを超える豪雨となった。有田川・日高川など県内の河川が氾濫・決壊し、有田川上流の花園村では大規模な地すべりで集落が被害を受けた。気象庁の災害調査報告によれば死者713人・行方不明411人・負傷者5,819人にのぼり、当時の県人口の約4分の1が被災した。
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金閣寺放火事件
1950年(昭和25年)7月2日未明、京都市の鹿苑寺(金閣寺)で、同寺の徒弟僧(当時21歳)が国宝の舎利殿(金閣)に放火し全焼させた事件。人的被害はなかったが、足利義満坐像など国宝の寺宝も焼失した。三島由紀夫の小説「金閣寺」のモチーフになったことでも知られる。