桜島の大正大噴火

発生日 1914年1月12日(大正3年) 〜 1914年1月29日
経過 発生から112年7か月
発生場所 鹿児島県 鹿児島市(桜島)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 58人  負傷者 112人
1914年(大正3年)1月12日午前10時5分頃、鹿児島県の桜島西側中腹で大噴火が発生した。プリニー式噴火により大量の軽石・火山灰を噴出したのち大規模な溶岩の流出が続き、1月29日には溶岩が瀬戸海峡を埋めて桜島は大隅半島と陸続きになった。死者58人、負傷者112人、焼失・全壊した家屋は2,268棟に上り、降灰は遠く仙台にまで達した。20世紀以降の日本の火山噴火として最大規模の噴出量とされる。
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噴火の経過

1914年(大正3年)1月12日午前10時5分頃、桜島の西側中腹で大規模な噴火が始まった。噴火は南側でもほぼ同時に始まり、大量の軽石・火山灰を吹き上げるプリニー式噴火となった。翌13日には噴煙が最盛期を迎え、噴煙柱は上空高くまで達し、降灰は九州各地を越えて遠く仙台にまで及んだ。噴火に伴って桜島島内では地震活動も活発化し、1月12日夕方には桜島直下を震源とするマグニチュード7.1の地震(桜島地震)も発生した。
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被害の状況

噴火と溶岩流出により、桜島島内の集落は壊滅的な被害を受けた。焼失・埋没・全半壊した家屋は2,268棟に上り、死者58人、負傷者112人を数えた。噴火直前から島内では有感地震が相次いでおり、住民の多くは異常を察知して独自の判断で島外へ避難したが、避難が遅れて犠牲になった住民もいた。

陸続き化という地形変化

噴火に伴って大量に流出した溶岩は、1月29日までに桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡(幅約400メートル)を埋め尽くし、それまで島であった桜島は大隅半島と陸続きになった。この地形変化は現在まで続いており、桜島は地理的には「島」でありながら陸路で本土と行き来できる特異な火山として知られるようになった。

測候所の判断と防災上の教訓

噴火直前、鹿児島地方気象台(当時の測候所)は活発化していた地震活動について「桜島に噴火の兆候なし」との趣旨の見解を発表していたとされ、噴火後にこの判断が問題視された。一方で、住民の間には長年の言い伝えに基づく独自の危険予知があり、測候所の発表を待たずに避難した住民も多かったとされる。この経験は、後年の火山防災における住民主体の避難判断の重要性を示す事例として取り上げられている。

現在への継承

鹿児島県・鹿児島市は毎年1月12日を「桜島の日」と定め、大正噴火の教訓を継承する防災訓練を実施している。桜島は大正噴火後も昭和噴火(1946年)をはじめ活発な火山活動を続けており、現在も気象庁が24時間体制で監視を行う日本を代表する活火山の一つとなっている。

経過

  1. 1914年1月12日
    大正3年

    事件・事故 桜島西側中腹で大噴火が発生

    死者58人・負傷者112人、家屋2,268棟が焼失・全半壊した。

  2. 1914年1月29日
    大正3年

    その他 溶岩流出により桜島が大隅半島と陸続きになる

    瀬戸海峡が溶岩で埋まり、桜島は地続きとなった。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書
    噴火の時系列、死者58人・負傷112人の被害数値、陸続き化の経過を確認。内閣府防災担当の公式報告書。
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    噴火規模・噴出量・広域降灰の記述、測候所の対応を確認の起点として使用し、内閣府報告書で裏取り。

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「桜島の大正大噴火」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1914-sakurajima-taisho-eruption/

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更新履歴

  • 2026年9月1日 初版公開

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