庄内地震

発生日 1894年10月22日(明治27年) 1894年(明治27年)の事件 / 10月22日に起きた事件
経過 発生から132年
発生場所 山形県 酒田市周辺(庄内平野)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 726人  負傷者 1,060人
1894年(明治27年)10月22日、山形県庄内平野を震源に発生したマグニチュード7.0の内陸直下型地震。震源が極めて浅かったため被害が甚大で、死者726人、負傷者1060人、全壊家屋約3858棟に達し、酒田市では大火も発生して市街地の約8割が焼失した。
庄内地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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地震の概要

1894年(明治27年)10月22日午後5時35分、山形県庄内平野北部を震源にマグニチュード7.0の地震が発生した。震源は現在の酒田市付近にあたり、庄内平野東縁断層帯の活動によるものとされる。震源が極めて浅い内陸直下型地震だったため、震央付近では当時の震度階級(微震・弱震・強震・烈震)のうち最も強い「烈震」に達したとみられている。
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被害の状況

地震により山形県内で死者726人、負傷者1060人、全壊・全焼家屋は合わせて約6000棟という甚大な被害が生じた。特に酒田町(現・酒田市中心部)では、地震の激しい揺れで倒壊した家屋から火の手が上がり、大規模な火災に発展した。強風にあおられた炎は町の広範囲に燃え広がり、酒田町だけで1747棟が焼失、これとは別に全壊家屋2150棟・半壊家屋約1550棟にのぼる甚大な被害を受けた。地震にともなって地面には無数の亀裂や陥没が生じ、地中から噴き出した土砂が小さな山を形成する液状化現象も各地で観測された。地震と火災の複合災害により当時の酒田は壊滅的な打撃を受け、この震災を機に、日本の伝統的な木造建築の耐震性についての本格的な調査・研究が進められるようになった。庄内地震は、明治期に発生した地震の中でも被害記録が比較的詳細に残されている事例であり、震源となった庄内平野東縁断層帯は、政府の地震調査研究推進本部によって将来の地震発生可能性が評価される活断層の一つに位置づけられている。地震と火災という複合災害への備えは、その後の酒田市における防災まちづくりの原点の一つともなった。奇しくも酒田市は、この地震から82年後の1976年にも「酒田大火」と呼ばれる大規模な都市火災に見舞われており、地震・火災の双方に繰り返し向き合ってきた土地の歴史として、防災教育の教材にも用いられている。震源に近い酒田・鶴岡両市は、江戸時代以降も庄内地方特有の地震活動に繰り返し見舞われており、庄内地震はその中でも人的被害の規模が突出した事例として、地域の防災意識の形成に大きな影響を与え続けている。

経過

  1. 1894年10月22日
    明治27年

    事件・事故 庄内平野でM7.0の地震、死者726人

    酒田市で大火も発生し市街地の8割焼失

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    発生日時・マグニチュード・被害状況を確認
  • 白書・統計資料
    山形県
    死者726・負傷者1060・全壊3858・半壊2397・焼失2148。本文の負傷者数をこれに基づき修正(訂正前は8400人以上、家屋被害戸数合計と混同していた可能性)

さらに調べるには

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日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

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「庄内地震」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1894-shonai-earthquake/
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更新履歴

  • 2026年9月23日 負傷者数を8400人以上→1060人に訂正(山形県公式資料に基づく)、出典追加
  • 2026年7月30日 初版公開

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