岩内沖合漁船遭難事件

発生日 1912年5月4日(明治45年)
経過 発生から114年4か月
発生場所 北海道 岩内町沖合(日本海)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 136人
1912年(明治45年)5月4日、北海道岩内町沖合でニシン漁の最中に暴風雨に見舞われ、出漁していた漁船100余隻が遭難し、136人が死亡した海難事故。
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事故の経過

1912年5月4日、北海道岩内町の沿岸ではニシンの第2期漁獲のため、150隻余りの大小漁船が沖合に出漁していた。当日午後7時ごろから、岩内地方特有の「山背風」に伴う雨が降り始め、午前9時ごろから風勢が急激に強まり、風速30メートルを超える暴風雨となった。突発的な暴風により、沖合にいた漁船が次々と転覆・沈没するなど遭難が相次いだ。
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救助活動と被害

岩内救難所と川崎船漁業組合は、岩内警察署長の指揮のもとで一致協力し、陸岸から沖合の遭難船や漂流する漁夫の救助にあたった。陸岸からロープを結びつけた川崎船を沖合へ出し、午後9時ごろから決死の救助活動を続けたが、暴風はやまず、最終的に漁船100隻余りと136人の人命が失われる大惨事となった。

地域への影響

この遭難は、当時のニシン漁で沿岸経済が潤っていた岩内地方に大きな衝撃を与えた。多くの漁家が働き手を一度に失い、地域社会に深い爪痕を残した。岩内町では、この海難事故を含む地域の歴史的な災害の記録が、町史や慰霊碑を通じて今日まで語り継がれている。

当時のニシン漁と沿岸経済

明治末期の岩内地方は、ニシン漁で沿岸経済が大きく潤っていた時期であった。豊漁を期待して多くの漁船が沖合に繰り出していた矢先の突発的な暴風は、地域にとって働き手の大量喪失という深刻な打撃となった。当時のニシン漁夫の日給が上昇していた記録も残っており、漁業が地域経済の中心であったことがうかがえる。

記録の継承

この遭難事故は、岩内町が編纂する町史や公式記録に詳細な経過とともに残されており、地域の防災意識を伝える歴史的資料として今日まで参照され続けている。

慰霊と後世への継承

岩内町では、海難で犠牲になった漁業者を悼む慰霊碑が建立されており、地域の漁業関係者や住民により、命日にあわせた供養が続けられている。

明治期の海難救助体制

当時の海難救助は、警察署の指揮のもと地元漁業者らが自発的に協力する体制に頼っており、通信・気象観測の未整備もあって、突発的な暴風への対応には限界があった。この事故は、後の海難救助体制の整備を求める契機の一つともなった。

経過

  1. 1912年5月4日
    明治45年

    事件・事故 暴風雨により漁船100余隻が遭難

    136人が死亡した。

出典・公的資料

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「岩内沖合漁船遭難事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1912-iwanai-fishing-boat-disaster/

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