弘前大学教授夫人殺し事件 通称: 弘前事件

結末 1977年3月、仙台高裁の再審で無罪が確定。懲役15年の服役後、別の男が真犯人と名乗り出ていた

発生日 1949年8月6日(昭和24年) 1949年(昭和24年)の事件 / 8月6日に起きた事件
経過 発生から77年2か月 1977年3月2日の確定から49年7か月
発生場所 青森県 弘前市
種別 殺人
状態 判決確定
被害 死者 1人
  • 冤罪と再審 — 無罪が確定した事件と再審請求服役を終えた後に真犯人が名乗り出て、白鳥決定の基準を引用した再審開始決定を経て無罪となった。有罪の柱だった血痕鑑定に、再審判決は強い疑問を示した。
1949年8月6日夜、青森県弘前市で、弘前医科大学教授の妻(当時30歳)が就寝中に刃物で首を刺されて殺害された事件。近所に住む男性が逮捕・起訴され、一審の無罪判決が控訴審で覆されて、1953年に懲役15年が確定した。男性が刑期を終えた後の1971年、別の男が真犯人であると名乗り出た。仙台高裁は1976年に白鳥決定の基準を引用して再審開始を決定し、1977年2月15日の再審判決で、男性の犯行と認める証拠は何一つないとして無罪を言い渡し、真犯人を名乗り出た男を真犯人と断定した。
弘前大学教授夫人殺し事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の発生と逮捕

1949年8月6日夜、青森県弘前市で、弘前医科大学(現在の弘前大学医学部)の教授の妻(当時30歳)が、身を寄せていた家の離れで母親らと並んで寝ていたところを、忍び込んだ犯人に鋭利な刃物で首を刺されて殺害された。警察は、犯行時刻を午後11時10分ごろと推定した。8月22日、近所に住んでいた当時25歳の男性が殺人の容疑で逮捕され、男性が着ていた白い開襟シャツと白いズック靴が押収された。男性は勾留と鑑定留置の後、10月12日に自宅にあった拳銃をめぐる銃砲等所持禁止令違反の容疑で別件逮捕され、22日にその罪で起訴されるとともに殺人の容疑で再逮捕されて、殺人罪でも起訴された。
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一審無罪から懲役15年の確定へ

1951年1月12日、青森地裁弘前支部は、殺人について「証明十分ならず」として無罪とし、銃砲等所持禁止令違反についてだけ罰金5,000円の判決を言い渡した。男性は即日釈放されたが、検察官が控訴した。控訴審の仙台高裁は1952年5月31日、一審判決を破棄して男性に懲役15年を言い渡した。男性は6月5日に再び身柄を拘束され、上告も1953年2月19日に棄却されて、有罪判決は3月3日に確定した。男性は服役し、1963年1月に仮出獄した。拘束は、一審判決までの勾留を合わせて長期に及び、のちの刑事補償では4,374日分が補償の対象とされた。

有罪の決め手とされた血痕鑑定

有罪の主な根拠となったのは、押収された白シャツに付いていたとされる血痕の鑑定だった。一審で裁判所から委嘱された法医学者の鑑定は、シャツの血痕の血液型が被害者と同じB・M・Q・E型であり、現場の血痕と同一人の血液である確率は、ベイズの定理を応用すれば98.5パーセントという極めて高いものだとした。しかし、のちの再審判決は、シャツが押収された当初に検査した教授が、問題の斑痕を「赤褐色」とは思われない灰色がかった黒ずんだ色(帯灰暗色)と見ていたことなどを挙げ、その後の鑑定のたびに色合いに違いがあることは「大きな疑問としなければならない」とした。そして、シャツには押収された当時、もともと血痕が付いていなかったのではないかという推察が可能になるとし、確率の適用もその前提を欠いて全く無意味になると判断した。

真犯人の告白と再審開始

再審開始決定によると、別の男は、自分の代わりに服役している人がいることに悩み、修道女と文通を重ねていた。別の事件で服役していた1971年2月ごろ、男は宮城刑務所の病舎で同じ病室の受刑者に、自分の代わりに殺人で15年の刑をつとめた人がいるが、自分はその事件の真犯人だと打ち明けた。男は3月7日に出所し、その後、弁護士に自らの犯行を詳しく申し出た。男性は1971年7月13日、仙台高裁に再審を請求した。いったんは請求が棄却されたが、異議の申立てを受けた仙台高裁は1976年7月13日、再審開始を決定した。決定は、前年の白鳥事件の最高裁決定を引用し、再審開始の判断にも「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるとした。そのうえで、名乗り出た男の供述の信憑性は極めて高く、男性を有罪とした確定判決は「証拠上極めて疑わしいの一語に尽きる」と述べた。

再審無罪判決

1977年2月15日、仙台高裁は再審の判決で、殺人について一審の無罪判決に対する検察官の控訴を棄却し、男性の無罪を認めた。判決は、記録を精査し一切の証拠を検討しても、男性の犯行と認めるに足る証拠は何一つ存在しないとした。さらに、名乗り出た男が一貫して自分が真犯人だと供述していることなどから、「本件の真犯人は乙であると断定する」と述べた。判決は3月2日に確定した。名乗り出た男は、すでに公訴時効が成立していたため罪に問われていない。1977年3月の国会で、法務大臣はこの事件について、検察、裁判の面から見て容易ならざることであり、人権を擁護する法務省の立場からは汚点を残したと答弁した。

刑事補償と国家賠償訴訟

男性には刑事補償として、当時の最高額である1日3,200円の割合で4,374日分が支払われた。男性と家族はさらに国に損害賠償を求めて提訴した。1981年4月27日、青森地裁弘前支部は男性の請求の一部を認めたが、家族の請求は退けた。日本弁護士連合会は、雪冤者の実質的救済にとって画期的だとする一方、認容額が極めて少ないと批判した。しかし、1986年11月28日、仙台高裁は国側の主張を認めて男性の請求を退け、仮執行で支払われていた1,130万円余りの返還を命じた。高裁は、シャツに故意に血痕が付けられたと推認するに足りる証拠や状況はないとも述べた。1990年7月20日、最高裁は上告を棄却した。裁判官の判断が国家賠償法上違法とされるのは特別の事情がある場合に限られ、その理は上告審で確定した有罪判決が再審で取り消されて無罪が確定した場合でも異ならないとした。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1949年8月6日
  2. 逮捕 1949年8月22日 +16日
  3. 逮捕 1949年10月12日 +51日
  4. 判決 1951年1月12日 +457日
  5. 判決 1952年5月31日 +505日
  6. 判決 1953年3月3日 +276日
  7. 公判 1971年7月13日 +6,706日
  8. 公判 1976年7月13日 +1,827日
  9. 判決 1977年2月15日 +217日
  10. 判決 1977年3月2日 +15日
  11. 判決 1981年4月27日 +1,517日
  12. 判決 1986年11月28日 +2,041日
  13. 判決 1990年7月20日 +1,330日

経過

  1. 1949年8月6日
    昭和24年

    事件・事故 弘前市で大学教授の妻が就寝中に殺害される

    犯行時刻は午後11時10分ごろと推定

  2. 1949年8月22日
    昭和24年

    逮捕 近所の男性を殺人容疑で逮捕

    白シャツなどを押収

  3. 1949年10月12日
    昭和24年

    逮捕 銃砲等所持禁止令違反の容疑で別件逮捕

  4. 1951年1月12日
    昭和26年

    判決 一審が殺人について無罪判決

    銃砲等所持禁止令違反は罰金5,000円

    青森地方裁判所弘前支部

  5. 1952年5月31日
    昭和27年

    判決 控訴審が逆転で懲役15年の判決

    仙台高等裁判所

  6. 1953年3月3日
    昭和28年

    判決 上告棄却を経て懲役15年が確定

    上告棄却は2月19日

    最高裁判所

  7. 1963年1月8日
    昭和38年

    その他 男性が仮出獄

  8. 1971年2月
    昭和46年

    その他 別の男が刑務所内で真犯人だと告白

  9. 1971年7月13日
    昭和46年

    公判 男性が仙台高裁に再審を請求

    仙台高等裁判所

  10. 1976年7月13日
    昭和51年

    公判 仙台高裁が再審開始を決定

    白鳥決定の基準を引用

    仙台高等裁判所第二刑事部

  11. 1977年2月15日
    昭和52年

    判決 再審判決で殺人について無罪

    真犯人は名乗り出た男と断定

    仙台高等裁判所第二刑事部

  12. 1977年3月2日
    昭和52年

    判決 再審無罪判決が確定

  13. 1981年4月27日
    昭和56年

    判決 国家賠償訴訟の一審が男性の請求を一部認める

    青森地方裁判所弘前支部

  14. 1986年11月28日
    昭和61年

    判決 国家賠償訴訟の控訴審が男性の請求を棄却

    仙台高等裁判所

  15. 1990年7月20日
    平成2年

    判決 最高裁が上告を棄却し、国家賠償訴訟が終わる

    最高裁判所第二小法廷 (事件番号: 昭和62年(オ)第667号)

出典・公的資料

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「弘前大学教授夫人殺し事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1949-hirosaki-professor-wife-murder/
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更新履歴

  • 2026年10月14日 初版公開

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