阪神大水害

発生日 1938年7月5日(昭和13年)
経過 発生から88年
発生場所 兵庫県 神戸市ほか(六甲山系南麓)
種別 災害
状態 終結
被害 死者 616人
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、梅雨前線による豪雨が六甲山系一帯を襲い、神戸市を中心に大規模な土石流・浸水被害が発生した。神戸市だけで616人が死亡するなど、兵庫県内の死者・行方不明者は600人を超え、住宅の損壊・浸水は21万戸以上に及んだ。
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災害の経過

1938年7月3日から5日にかけて、本州付近に停滞していた梅雨前線の活動が活発化し、神戸市を中心とする阪神間に猛烈な豪雨が降った。3日間の総雨量は、神戸市中央区で456ミリ、住吉(神戸市東灘区)で436ミリ、西宮市で362ミリに達した。この記録的な豪雨により、六甲山地を刻む無数の谷で土石流が同時多発的に発生し、下流に位置する神戸市・芦屋市・西宮市などの市街地を襲った。土砂や流木は住宅地になだれ込み、河川の氾濫と相まって被害を拡大させた。神戸市内だけで死者616人にのぼり、兵庫県内全体では死者・行方不明者が600人を超える惨事となった。損壊・浸水した家屋は21万戸以上に達した。
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被害の背景

六甲山の森林は、建材や燃料として伐採が続けられたことで「はげ山」化しており、明治以降に植林事業が進められていたものの、水害発生当時はいまだ土砂の流出を防ぐには不十分な状態だった。荒廃した山地に集中的な豪雨が降ったことが、土石流の発生と被害拡大の一因になったとされる。被害の甚大さを受け、六甲山系の砂防・治水事業はそれまでの兵庫県から国へ移管されることになり、水害発生から2か月後の1938年9月、内務省六甲砂防事業所(現在の国土交通省六甲砂防事務所)が設置された。以後、六甲山系では長期間にわたり国直轄の砂防事業が続けられ、山地の荒廃を防ぐ体制が段階的に整えられていった。

その後の影響

この水害を教訓に、兵庫県と神戸市は六甲山系での本格的な砂防事業と治山緑化事業に着手し、以後長期にわたって山地の保全が進められた。作家の谷崎潤一郎は、水害から十数年後に発表した小説「細雪」の中で、この水害当日の神戸の様子を詳細に描いている。谷崎自身は水害発生時に危険な場所にはいなかったが、発生から数時間後に被災地を見て回り、実際に被災した学校の児童・生徒が書いた作文を数多く参考にしたと自ら述べている。阪神大水害は、戦前日本における都市型土砂災害の代表例として、現在も防災教育の題材として取り上げられている。

経過

  1. 1938年7月5日
    昭和13年

    事件・事故 六甲山系で土石流が多発、阪神間が被災

    神戸市だけで死者616人。

出典・公的資料

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「阪神大水害」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1938-hanshin-flood/

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更新履歴

  • 2026年7月18日 初版公開

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