小串鉱山地滑り災害

発生日 1937年11月11日(昭和12年) 1937年(昭和12年)の事件 / 11月11日に起きた事件
経過 発生から88年11か月
発生場所 群馬県 吾妻郡嬬恋村
種別 災害
状態 終結
被害 死者 245人  負傷者 32人
  • 炭鉱事故・産業災害硫黄鉱山の背後で大規模な斜面崩落が起き、鉱山施設と社宅を押し流して245人が死亡した。事業所と住居が一体だった鉱山集落の脆さが表れた。
群馬県嬬恋村の小串硫黄鉱山で背後の斜面が大規模に崩落し、鉱山施設や社宅を押し流して死者245人を出した災害。
小串鉱山地滑り災害を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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災害の経過

1937年(昭和12年)11月11日午後3時30分ごろ、群馬県吾妻郡嬬恋村にあった小串硫黄鉱山(小串鉱山)の背後の斜面が崩壊した。崩れた土砂は鉱山施設や従業員の社宅、小学校の分教場を埋没させ、さらに被災した社宅から出た火が精錬済みの硫黄に燃え移って火災も発生した。この災害により死者245人、負傷者32人、倒壊・埋没家屋62戸、焼失家屋38戸という甚大な被害が生じた。居住区域が被災したため、年齢の判明している死者のうち18歳以下が86人(36%)を占め、分教場では教員2人と児童約120人の半数が犠牲になった。崩落の規模は「長さ1キロメートル・幅30メートル」など記録によってまちまちだが、当時の写真と現地調査・空中写真を対比した研究では、長さ150メートル・幅150メートルが崩落し、土砂は620メートル流下したとみられている。
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被害拡大の背景

崩壊の原因としては、崩壊前の降雨が指摘されている。前橋測候所の記録では11月上旬にまとまった降水があり、9日夜からは冬型の気圧配置となって現地でも降雪があったと考えられる。災害地は熱水や噴気で変質した第三紀の安山岩類が分布する地域にあたり、古い崩壊地形の内部が再び崩落したとみられている。小串鉱山は日本で2番目の規模を誇る硫黄鉱山で、1929年から北海道硫黄株式会社(三井物産系)が採掘を行っていた。崩れた斜面の下に鉱山施設と居住区が集まっていたため、就業中の作業員だけでなく、子どもを含む多くの住民が犠牲になった。

その後

鉱山は災害後に操業を再開したが、戦後、石油精製の副産物として得られる回収硫黄が増加して硫黄価格が下落したことなどから、1971年に閉山した。現在、鉱山跡地は「天空のゴーストタウン」とも呼ばれ、犠牲者を悼む地蔵などの慰霊碑が残されている。急峻な地形における鉱山集落の防災上の課題を示す事例として、災害史研究でもたびたび取り上げられている。

険しい立地と慰霊

小串鉱山は群馬・長野県境の毛無峠(標高1823メートル)の南東斜面、標高約1600メートルの山中に形成された鉱山町であった。災害後の救助活動と遺体の収容は雪の中、翌1938年2月頃まで続けられ、同年3月には操業が再開された。閉山後、鉱山跡は往時の姿をとどめたまま残され、現地には犠牲者を追悼する地蔵が建立され、今日まで慰霊が続けられている。

戦略物資としての硫黄

小串鉱山の硫黄は、火薬やマッチの原料として重要な戦略物資であり、鉱山は日中戦争が拡大する時期の増産体制下にあった。

経過

  1. 1937年11月11日
    昭和12年

    事件・事故 小串鉱山で大規模な地滑りが発生

    死者245人、負傷者32人を出した。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「小串鉱山地滑り災害」事件JP、2026年11月2日閲覧。https://jiken.jp/cases/1937-ogushi-mine-landslide/
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更新履歴

  • 2026年9月28日 砂防学会の研究報告に基づき、崩落規模・原因・標高・経営会社の記述を訂正、火災の発生と犠牲者の年齢構成を補記、出典のない記述を削除

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