松山城放火事件 通称: 西日本13府県連続放火事件

発生日 1933年7月9日(昭和8年)
経過 発生から93年 1937年11月12日の確定から88年8か月
発生場所 愛媛県 松山市
種別 放火
状態 判決確定
1933年(昭和8年)7月9日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、小天守・隅櫓など複数の建物が焼失した。放火したのは、1932年から4年間にわたり近畿・四国・九州の45か所に放火を重ねていた男で、1937年に死刑判決を受け、1939年に刑が執行された。
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事件の経過

1933年7月9日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、小天守・南北隅櫓・多聞櫓が焼失した。天守そのものは類焼を免れた。火をつけたのは、1902年に福井県で生まれ、少年時代から窃盗を繰り返して前科を重ねていた男だった。1932年9月から近畿・四国・九州地方の寺院や学校などの大きな建物を狙って放火を繰り返し、犯行は同月15日、道後温泉の道後ホテルへの放火に始まり、その19時間後には近くの寺院にも放火するなど、松山城放火事件はこの一連の連続放火の一つだった。男は1936年までの4年間に45か所(有罪となったのは37か所)に放火し、被害額は当時の金額で120万円に及んだ。松山城のほか、和歌山県の天理教和歌山教務支庁、那覇市の沖縄県立第二高等女学校なども焼失している。
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捜査と裁判

男は放火を重ねた末、愛媛県の宇和島城に放火するため現地に戻ったところを1936年5月、偽名で宿泊していた宇和島市内の宿で逮捕された。男は梅毒に罹患しており手足から血膿が出ていたため、放火現場に残された血痕や膿の付着した紙くずから足がついたとされる。1937年11月12日、松山地方裁判所は放火罪で定めうる最高刑である死刑を言い渡し、控訴審の広島控訴院でも判決が支持されて確定した。1939年9月15日、広島刑務所で死刑が執行された。逮捕までの4年間、犯行は複数の県境をまたいで行われたため、当時の警察の管轄をまたぐ捜査協力の難しさも浮き彫りになった。

その後

焼失した松山城の小天守・櫓群は、戦後の1968年に木造で復元され、現在は天守などとともに国の重要文化財に指定されている。連続放火事件全体を指して「西日本13府県連続放火事件」とも呼ばれるこの事件は、単独犯による放火事件として、戦前日本で被害地域・被害件数ともに類例のない規模となった。松山城は近世の天守が現存する全国12城の一つに数えられ、放火による焼失と復元の経緯は、城の歴史を紹介する資料でもたびたび取り上げられている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1933年7月9日
  2. 逮捕 1936年5月 +1,027日
  3. 判決 1937年11月12日 +560日

経過

  1. 1933年7月9日
    昭和8年

    事件・事故 松山城で放火による火災が発生

    小天守・隅櫓・多聞櫓が焼失。

  2. 1936年5月
    昭和11年

    逮捕 宇和島市内で男を逮捕

  3. 1937年11月12日
    昭和12年

    判決 松山地方裁判所の死刑判決が控訴審でも支持され確定

    松山地方裁判所

  4. 1939年9月15日
    昭和14年

    その他 広島刑務所で死刑執行

出典・公的資料

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    発生日・犯人の逮捕経緯・判決内容を確認
  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    戦後の復元経緯・重要文化財指定を確認

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「松山城放火事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1933-matsuyama-castle-arson/

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更新履歴

  • 2026年7月18日 初版公開

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