尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事故

発生日 1936年11月20日(昭和11年) 1936年(昭和11年)の事件 / 11月20日に起きた事件
経過 発生から89年11か月
発生場所 秋田県 鹿角市
種別 災害
状態 終結
被害 死者 362人
  • 炭鉱事故・産業災害鉱滓ダムが決壊し、下流の住宅地を土砂が押し流して362人が死亡した。鉱山の廃棄物処理施設が周辺住民の生命に直結することを示した。
1936年(昭和11年)11月20日、秋田県の尾去沢鉱山で鉱滓ダム(中沢ダム)が決壊し、下流の長屋や市街地を泥状の鉱滓が押し流して362人が死亡、家屋258戸が流失した事故。同年12月22日の再決壊でさらに12人が死亡した。
尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事故を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事故の経過

1936年(昭和11年)11月20日午前4時ごろ、秋田県尾去沢町(現・鹿角市)の尾去沢鉱山(三菱鉱業が経営)で、鉱石を選別した後の残りかす(鉱滓)をためる中沢鉱滓ダムが決壊した。決壊により大量の土砂が土石流となって流れ下り、下流にあった鉱山従業員の長屋や市街地を襲い、作業員や住民ら362人が死亡、家屋258戸が流失する甚大な被害をもたらした。この惨事は昭和天皇にも報告され、見舞いのための侍従が派遣されるとともに、被災地には御下賜金が贈られた。
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再決壊という二重の惨事

ダムは事故後に応急的な修復が行われたが、同年12月22日午前4時40分ごろ、再び決壊し、さらに12人が犠牲となった。短期間のうちに同じダムが二度にわたって決壊し、合計で370人を超える犠牲者を出したことは、鉱滓ダムという鉱山特有の施設が抱える危険性を浮き彫りにした。

鉱山災害としての教訓

鉱滓ダムの決壊による大規模な土砂災害は、その後も国内外の鉱山で繰り返されており、尾去沢鉱山の事故は日本における鉱滓ダム管理の危険性を示す代表的な事例として、鉱山工学・防災分野の研究でしばしば取り上げられている。尾去沢鉱山自体は1978年に閉山し、現在は鉱山跡が観光施設として公開されている。

鉱山の歴史と鉱滓ダム

尾去沢鉱山は和銅元年(708年)に発見されたとの伝説を持つ歴史ある鉱山で、近代以降は三菱鉱業(現・三菱マテリアル)が経営し、銅を中心に採掘する国内有数の鉱山として発展していた。鉱滓ダムは、選鉱の過程で生じる不要な岩石や泥(鉱滓)を沈殿させるための施設であり、当時は堤体の構造や排水管理に関する技術的な知見が現在ほど確立されていなかった。急速な増産を優先するあまり、鉱滓処理施設の安全管理が後回しにされた結果とも指摘されている。

鉱滓ダム管理の教訓

尾去沢鉱山の事故は、日本の近代鉱業が抱えていた安全管理上の課題を象徴する事例の一つとされる。2度の決壊による犠牲者は合わせて374人に上り、鉱山を運営する史跡尾去沢鉱山の沿革でも「大災害」として記録されている。

御下賜金の記録

事故の惨状は当時の新聞でも大きく報じられ、皇室からの見舞いという異例の対応がとられたことからも、その被害の甚大さがうかがえる。

経過

  1. 1936年11月20日
    昭和11年

    事件・事故 尾去沢鉱山の鉱滓ダムが決壊

    死者362人を出した。

  2. 1936年12月22日
    昭和11年

    その他 修復後のダムが再び決壊

    さらに12人が死亡した。

出典・参考資料

この事件については、判決文・調査報告書などの一次資料をまだ確認できていません。以下は報道・文献などの参考資料です(出典の方針)。

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「尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事故」事件JP、2026年11月2日閲覧。https://jiken.jp/cases/1936-osarizawa-mine-dam-collapse/
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更新履歴

  • 2026年9月28日 発生時刻・当時の町名・家屋258戸流失を補記、鉱山の起源の表現と裏付けのない事故後対応の記述を修正、出典の種別を訂正し出典2件を追加

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