東京都の事件一覧:その他(13件)
東京都で発生した事件のうち「その他」に該当するものを発生日の新しい順に掲載しています。
13 件
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電通過労自殺事件
2015年、大手広告代理店・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が、本採用直後からの急激な業務量増加による極度の長時間労働とパワーハラスメントによりうつ病を発症し自殺した事件。三田労働基準監督署が労災認定し、法人としての電通は労働基準法違反で有罪判決(罰金50万円)を受けた。政府が推進した「働き方改革」関連法制定の直接的な契機となった。
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フライデー襲撃事件
1986年(昭和61年)12月9日未明、東京都文京区の講談社本館にあるフライデー編集部に、タレントのビートたけし(北野武)とたけし軍団のメンバー計12人が乱入し、編集部員に暴行を加えた事件。前日に同誌契約記者がたけしの交際相手の女性に強引な取材を行い負傷させたことへの抗議が発端だった。たけしは現行犯逮捕され、傷害罪で有罪判決(懲役6か月・執行猶予2年)が確定した。写真週刊誌の過熱取材のあり方が社会問題化する契機となった。
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三島由紀夫事件
1970年(昭和45年)11月25日、作家・三島由紀夫が自ら主宰する民兵組織「楯の会」のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)を訪れ、東部方面総監を人質に取って自衛隊員に決起を呼びかけたのち、割腹自殺した事件。三島と会員1人が死亡し、他の会員3人は逮捕された。戦後日本を代表する作家による衝撃的な最期として、国内外に大きな衝撃を与えた。
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新宿騒乱事件
1968年(昭和43年)10月21日、国際反戦デーに合わせて新宿駅に集結した新左翼党派の学生・活動家ら約4,600人が駅構内に乱入し、電車への放火や信号機への投石を繰り返した事件。約2万人の野次馬も加わって騒乱状態となり、734人が検挙され、戦後初めて騒擾罪(現・騒乱罪)が適用された。
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第一次羽田事件
1967年(昭和42年)10月8日、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止を掲げる学生ら約2500人が東京都大田区の羽田空港周辺で機動隊と衝突し、京都大学生の山﨑博昭(当時18歳)が死亡した事件。戦後の学生運動が実力闘争へと転じる象徴的な事件として、その後の運動に大きな影響を与えた。
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安保闘争死亡事件(樺美智子さん)
1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約批准に反対する全学連主流派のデモ隊が国会構内に突入し、警官隊と衝突した。この混乱の中で東京大学生の樺美智子さんが死亡した。
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東大ポポロ事件
1952年(昭和27年)2月20日、東京大学本郷キャンパスで開催された劇団「ポポロ」による演劇発表会に、私服警察官4人が観客として潜入していたことが発覚し、東京大学の学生が警察官に暴行を加えた。学生の行為が正当防衛にあたるかが争われ、最高裁判所大法廷は1963年、大学における学問の自由・大学の自治の憲法上の意義を示す判断を示した。
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人民広場事件
1950年(昭和25年)5月30日、占領下の東京・皇居前広場で開かれた「人民大会」の際に起きた、占領軍兵士への暴行事件。進駐軍が検挙した8人は占領軍の軍事裁判にかけられた。事件後、総司令部(GHQ)の指示により警視総監は6月2日から都内の集会・デモ行進を全面的に制限し、同様の措置は国家地方警察を通じて全国に広がった。政府は翌1951年、この事件を動機として国民公園管理規則を改正し、皇居前広場での政治的・宗教的な目的の集会を許可しないこととした。事件は1951年のメーデーの会場使用が許可されなかった大きな理由ともされた。国会では「五月三十日事件」とも呼ばれた。
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三鷹事件
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴されたが、裁判所は元運転士1人の単独犯行と認定した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に元運転士の死刑が確定した。
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渋谷事件
1946年(昭和21年)7月19日夜、東京都渋谷区の渋谷警察署前で、警察官・暴力団関係者の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間で銃撃戦が発生した。警察官1人と在日台湾人が死亡し、双方あわせて多数の負傷者を出した。同年12月、占領目的阻害罪により関係者に有罪判決が言い渡された。
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「生きてゐる兵隊」筆禍事件
1938年(昭和13年)2月18日、雑誌『中央公論』3月号に掲載された石川達三の小説「生きてゐる兵隊」について、内務省が発売頒布禁止処分を通告した。同作は南京攻略戦に加わった兵士への取材を基に、日本軍将兵による非戦闘員の殺戮などを描いており、著者と編集長・発行人は新聞紙法違反で起訴され、同年9月の一審判決で石川と編集長は禁錮4か月・執行猶予3年、発行人は罰金刑を受けた。
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二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日未明、国家改造を唱える陸軍皇道派の青年将校らが約1,400人の下士官・兵を率いて蜂起し、首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁など永田町・三宅坂一帯を占拠したクーデター未遂事件。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監のほか、首相と誤認された松尾伝蔵首相秘書官と護衛の警察官5人が殺害された。反乱は29日に鎮圧され、首謀者らは特設軍法会議で裁かれた。この事件を境に軍部の政治的発言力が強まり、戦時体制への転換点となった。
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五・一五事件
1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らが陸軍士官学校生徒らとともに首相官邸・警視庁・日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣・犬養毅を殺害したクーデター未遂事件。実行犯らは軍法会議・一般裁判で裁かれたが軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶え、軍部主導の政治体制への転換点となった。
出典: https://jiken.jp/pref/tokyo/?category=other(2026-10-30 取得)/ 事件JP