殺人事件の一覧(70件)・4ページ目
種別「殺人」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「殺人」には、個人・家族間の怨恨や強盗以外の動機による殺人事件を分類しています。無差別に人を殺傷したテロ・通り魔事件は「テロ・無差別襲撃」に、強盗の過程で発生した殺人は「強盗」に分類しています。掲載事件は、判決文・警察白書・信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。捜査・裁判の手続きについては法律用語集の「逮捕」「起訴」「裁判員裁判」「無期懲役」なども併せてご覧ください。
70 件
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ジラード事件
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原演習場で、薬莢拾いのため立ち入った日本人主婦(46歳)が、演習中の在日米陸軍ウィリアム・S・ジラード三等特技兵に銃撃され死亡した。日米地位協定に基づく裁判管轄権をめぐって日米間で外交問題化し、米側が異例の対応として身柄を日本側に引き渡し、日本の裁判所で審理されることになった。前橋地方裁判所は1957年11月19日、傷害致死罪でジラードに懲役3年・執行猶予4年の判決を言い渡し、確定した。1991年には、身柄引き渡しの見返りに量刑を軽くする日米間の申し合わせがあったことが公開文書で明らかになった。
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青森県新和村一家7人殺害事件
1953年(昭和28年)12月12日未明、青森県中津軽郡新和村小友(現・弘前市)のりんご農家で、実家を追われ困窮していた三男の男性(当時24歳)が猟銃で父・長兄夫婦・祖母・伯母・甥姪ら7人を射殺した事件。直後に発生した火災で幼い姪1人も焼死し、死者は計8人にのぼった。刑事裁判では犯行当時の心神喪失が認定され、殺人罪は無罪が確定した。
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徳島ラジオ商殺し事件
徳島市のラジオ商店主が殺害され、店主の内縁の妻が誤って有罪とされたが、死後の再審で日本初の無罪が確定した事件。
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白鳥事件
1952年(昭和27年)1月21日夜、札幌市中央区の路上で、自転車で帰宅途中の札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部(36歳)が背後から拳銃で撃たれ死亡した。警察は日本共産党による組織的犯行とみて捜査し、同年10月、党札幌市委員会委員長の男を共謀共同正犯として逮捕・起訴した。実行犯とされる党員は国外へ逃亡し逮捕を免れたまま、男は1963年に懲役20年の有罪が最高裁で確定した。1975年、再審請求を棄却した最高裁決定(通称「白鳥決定」)は、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用されると初めて明示し、その後の再審制度の運用に大きな影響を与えた。
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北海道拓殖銀行美深支店強盗殺人事件
1950年(昭和25年)4月2日未明、北海道中川郡美深町の北海道拓殖銀行美深支店に賊が侵入し、支店長夫妻・行員夫妻・支店長の娘2人の計6人に麻酔薬とみられる薬品を注射して眠らせたうえ、刃物で頸動脈などを切断して殺害し、現金108万円を奪った事件。幼児を含む多数の犠牲者と、麻酔薬の使用や頸動脈の切断という冷酷な手口から、2年前に東京で12人が毒殺された帝銀事件になぞらえて「第2の帝銀事件」と呼ばれた。捜査線上には延べ3千人が浮かんだが真犯人は特定できず、1965年4月2日、事件発生から15年で公訴時効が成立し、未解決事件となった。
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津山三十人殺し
1938年(昭和13年)5月21日未明、岡山県苫田郡の集落で、男が猟銃や刀を使って11軒の民家を襲い、30人を殺害した後に自殺した事件。日本の犯罪史上最悪級の単独犯による大量殺人事件とされる。
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阿部定事件
1936年(昭和11年)5月18日、東京都荒川区の待合で、阿部定が交際相手の男性を殺害し、遺体の一部を切断して所持したまま逃走した事件。
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玉の井バラバラ殺人事件
1932年(昭和7年)3月7日朝、東京府南葛飾郡寺島町玉の井(現・墨田区)の下水溝で、切断された遺体の一部が相次いで発見された。捜査の結果、被害者から金銭を脅し取り家族に暴力を振るっていた男を、家主の男と弟が撲殺して遺体を切断・遺棄したことが判明した。この事件で「バラバラ殺人」という表現が新聞で初めて使われ、以後定着した。
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出歯亀事件
1908年(明治41年)3月22日夜、東京府南豊島郡大久保村(現・新宿区大久保)で、銭湯帰りの女性が何者かに暴行され殺害された。女湯を覗く常習者だった池田亀太郎が犯人として逮捕され、無期懲役の判決を受けた。出っ歯が特徴だった池田の通称「出歯亀」は、後に覗き見をする者を指す一般名詞として定着した。
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赤穂事件
1703年(元禄15年)12月14日未明(西暦1月30日)、江戸本所の吉良義央邸に、赤穂藩の旧筆頭家老・大石内蔵助ら赤穂浪士47人が討ち入り、前年に江戸城内で刃傷事件を起こして切腹となった主君・浅野内匠頭の仇討ちとして吉良を討ち取った。吉良方の死傷者は史料により幅があり、死者15〜18人、負傷者19〜23人とされる。討ち入り後、浪士46人は自首し、翌年2月4日、幕府は全員に切腹を命じ、各預け先の大名家で執行された。後世「忠臣蔵」として演劇化され、主君への忠義を体現する物語として広く語り継がれている。
出典: https://jiken.jp/category/murder/?page=4(2026-09-15 取得)/ 事件JP