水俣病 通称: 熊本水俣病

発生日 1956年5月1日(昭和31年) 1956年(昭和31年)の事件 / 5月1日に起きた事件
経過 発生から70年5か月 1988年2月29日の確定から38年7か月
発生場所 熊本県 水俣市(水俣湾周辺〜不知火海沿岸。鹿児島県出水市などにも被害)
種別 災害
状態 終結
  • 事件が変えた法律・制度公害健康被害の認定制度、1995年の政治解決、2009年の水俣病被害者救済特別措置法など、被害救済の制度が次々に設けられた。
  • 公害事件 — 四大公害と環境汚染チッソ水俣工場の排水による四大公害病の原点。1968年に政府が原因を認め、2004年の最高裁判決は国と熊本県の責任も認めた。
1956年(昭和31年)5月1日、熊本県水俣市のチッソ(当時は新日本窒素肥料)水俣工場附属病院の院長が、原因不明の神経疾患の患者が入院したことを水俣保健所に報告した。これが水俣病の「公式確認」である。原因は同工場の排水に含まれたメチル水銀化合物に汚染された魚介類で、政府が原因を認めたのは12年後の1968年だった。被害は不知火海沿岸に広がり、公害健康被害補償法による被認定者は熊本・鹿児島両県で2,284人(2026年1月末時点、環境白書の県別数値の合計)に上る。刑事裁判でチッソの元社長らの有罪が確定し、2004年には最高裁が国と熊本県の責任も認めた。
水俣病を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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公式確認まで

水俣病は、チッソ水俣工場から排出されたメチル水銀化合物が魚介類に蓄積し、それを食べた人に起きた中毒性の神経疾患である。主な症状は手足の感覚障害、運動失調、視野が狭くなる求心性視野狭窄、聴力障害などで、母親の胎内でメチル水銀の影響を受けた胎児性水俣病は、成人とは異なる病像を示す。環境省の年表によると、水俣では1953年ごろから、猫が踊るように狂って死ぬ「ネコ踊り病」が多く見られていた。1956年4月、水俣市月浦地区の少女が重い症状で工場の附属病院に入院し、5月1日、附属病院の院長が原因不明の中枢神経疾患の患者が入院したことを水俣保健所に報告した。環境省はこれを「水俣病公式確認」としている。保健所・医師会・市立病院・附属病院・市衛生課は水俣市奇病対策委員会を設け、熊本県は熊本大学に原因の研究を依頼した。
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原因究明の遅れと被害の拡大

1957年3月、厚生省の研究班は、水俣湾で獲れた魚介類を食べたことによる中毒だと報告した。熊本県は食品衛生法を適用できないかを厚生省に照会したが、厚生省は、明らかな根拠が認められないとして適用はできないと回答した。1958年9月、チッソは排水の出口を水俣湾奥の百間港から、水俣川の河口へと変えた。翌年3月以降、河口付近や水俣市の北側でも新たな患者が発生した。1959年7月、熊本大学の研究班は原因物質を有機水銀だとする見解を発表し、同年11月には国の食品衛生調査会も「ある種の有機水銀化合物」が主因だと答申したが、発生源には触れなかった。附属病院の院長は工場の排水を猫に与える実験を行い、10月に猫の発症を確認したが、チッソはこの結果を公表しなかった。12月に完成した排水の処理装置は、水銀を取り除く目的のものではなく、その効果もなかった。工場がメチル水銀を生んでいたアセトアルデヒドの製造をやめたのは、公式確認から12年後の1968年5月である。工場から排出された水銀の量は約80トンから約150トンと推計されている。

見舞金契約と政府統一見解

1959年12月30日、チッソと患者の互助会の間で、いわゆる見舞金契約が結ばれた。この契約には、将来、水俣病が工場排水に起因すると決まった場合でも、新たな補償金の要求は一切行わないとする条項が含まれていた。1965年に新潟県で同じ原因による新潟水俣病が確認されたあと、1968年9月26日、厚生省と科学技術庁は政府統一見解を発表し、熊本の水俣病の原因はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物であるとした。1969年12月には公害による健康被害を救済する特別措置法が施行されて患者の認定制度が始まり、1974年に公害健康被害補償法に引き継がれた。1973年7月にはチッソと患者団体の間で補償協定が結ばれ、一時金(1,600万円から1,800万円の3ランク)に加えて医療費や年金などが支払われることになった。1977年に国が示した認定の判断条件については、「狭い」との批判がある。

民事・刑事の裁判

1969年6月、患者と家族はチッソに損害賠償を求める訴え(熊本水俣病第一次訴訟)を起こした。熊本地方裁判所は1973年3月20日、請求をすべて認め、総額9億3,730万円余り(弁護士費用を含む)の支払いを命じたうえで、見舞金契約は公序良俗に反するとしてその効力を否定した。判決はそのまま確定した。刑事裁判では、1976年5月、チッソの元社長と元水俣工場長が業務上過失致死傷の罪で起訴された。熊本地裁は1979年3月22日、被害者7人のうち2人に対する業務上過失致死罪を認め、2人にそれぞれ禁錮2年・執行猶予3年を言い渡した。国会ではこの判決が、四大公害事件で公害企業の幹部の刑事責任が認められた初めての例だと取り上げられている。1988年2月29日、最高裁判所は上告を棄却し、有罪が確定した。最高裁は、胎児の段階で病変を生じさせ、出生後に死亡させた場合にも業務上過失致死罪が成立すると判断している。さらに2004年10月15日、最高裁は、関西に移り住んだ患者らが起こした訴訟で、国が1959年12月末までに水質二法による規制の権限を行使しなかったこと、熊本県が漁業調整規則による権限を行使しなかったことは違法だったと判断し、国と県の賠償責任を認めた。同日、環境大臣は「誠に申し訳ない」とする談話を出した。

政治解決と救済特措法

認定を求める人が増え、各地で訴訟が続いたことから、政府は1995年12月、与党三党の解決策をもとに「水俣病対策について」を閣議了解した(平成7年の政治解決)。チッソは対象者に一時金260万円を支払い、5つの患者団体に計49億4千万円の加算金を支払った。係争中の訴訟の多くはこの解決策を受けて取り下げられ、関西訴訟だけが続いた。2004年の最高裁判決のあと、認定申請が再び増え、新たな国家賠償訴訟も起こされた。2009年7月には「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」が公布され、一定の症状がある人に一時金210万円などを支給する救済措置が始まった。環境白書によると、救済措置には6万4,836人が申請し、2018年1月までの判定で、一時金等の対象とされたのは熊本・鹿児島・新潟の3県で3万2,249人だった。

環境の回復と現在

水俣湾では1977年から1990年にかけて、水銀を含む底の泥約150万立方メートルをしゅんせつ・埋め立てる事業が行われ、58ヘクタールの埋立地が造られた。費用はチッソが約300億円、国と熊本県がそれぞれ約90億円を負担した。1974年から湾を仕切っていた網は、1997年に熊本県知事が安全宣言を出したあと撤去された。1992年からは毎年5月1日に水俣病犠牲者慰霊式が行われ、2010年には首相として初めての参列があった。環境白書によると、2026年1月末までの被認定者は3県で3,001人(熊本県1,791人、鹿児島県493人、新潟県717人)で、そのうち生存者は290人である。救済の対象から外れた人などによる訴訟は今も続いており、2023年9月の大阪地裁判決は原告128人全員を水俣病と認めた一方、2024年3月の熊本地裁判決は原告の請求を棄却した。いずれの判決も控訴された。2024年5月には、環境大臣と患者団体の懇談の場で、団体側の発言の途中にマイクの音が切られたことが問題となり、大臣が謝罪している。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1956年5月1日
  2. 公判 1969年6月14日 +4,792日
  3. 判決 1973年3月20日 +1,375日
  4. 起訴 1976年5月4日 +1,141日
  5. 判決 1979年3月22日 +1,052日
  6. 判決 1982年9月6日 +1,264日
  7. 判決 1988年2月29日 +2,002日
  8. 判決 2004年10月15日 +6,073日

経過

  1. 1956年5月1日
    昭和31年

    事件・事故 附属病院長が水俣保健所に患者の発生を報告(公式確認)

    原因不明の中枢神経疾患として報告

  2. 1957年3月
    昭和32年

    捜査 厚生省研究班が魚介類による中毒と報告

  3. 1958年9月
    昭和33年

    その他 チッソが排水の出口を水俣川河口へ変更

    翌年以降、河口付近や北側でも患者が発生

  4. 1959年7月
    昭和34年

    捜査 熊本大学研究班が有機水銀説を発表

  5. 1959年11月12日
    昭和34年

    捜査 食品衛生調査会が有機水銀化合物を主因と答申

    発生源には触れなかった

  6. 1959年12月30日
    昭和34年

    その他 チッソと患者互助会が見舞金契約を結ぶ

    将来の補償要求を放棄させる条項を含む

  7. 1968年5月
    昭和43年

    その他 チッソがアセトアルデヒドの製造を停止

  8. 1968年9月26日
    昭和43年

    捜査 政府統一見解でチッソ工場の排水が原因と発表

    厚生省・科学技術庁

  9. 1969年6月14日
    昭和44年

    公判 熊本水俣病第一次訴訟を提起

  10. 1973年3月20日
    昭和48年

    判決 熊本地裁が第一次訴訟で原告勝訴の判決、確定

    約9億3,730万円の賠償。見舞金契約は公序良俗違反で無効

    熊本地方裁判所

  11. 1973年7月9日
    昭和48年

    その他 チッソと患者団体が補償協定を締結

  12. 1976年5月4日
    昭和51年

    起訴 チッソ元社長・元工場長を業務上過失致死傷罪で起訴

  13. 1979年3月22日
    昭和54年

    判決 熊本地裁が元社長らに禁錮2年・執行猶予3年の判決

    被害者7人のうち2人に対する業務上過失致死罪を認定

    熊本地方裁判所

  14. 1982年9月6日
    昭和57年

    判決 福岡高裁が控訴審判決

    福岡高等裁判所

  15. 1988年2月29日
    昭和63年

    判決 最高裁が上告を棄却し元社長らの有罪が確定

    胎児の段階で病変を生じさせ出生後に死亡させた場合も業務上過失致死罪が成立すると判断

    最高裁判所第三小法廷 (事件番号: 昭和57年(あ)第1555号)

  16. 1995年12月
    平成7年

    その他 政治解決策「水俣病対策について」を閣議了解

    一時金260万円など

  17. 2004年10月15日
    平成16年

    判決 最高裁が関西訴訟で国と熊本県の賠償責任を認める

    最高裁判所第二小法廷 (事件番号: 平成13年(オ)第1194号)

  18. 2009年7月15日
    平成21年

    その他 水俣病被害者救済特別措置法が公布される

    平成21年法律第81号

  19. 2018年1月
    平成30年

    その他 特措法の救済措置の判定が終了

    一時金等の対象3万2,249人(3県合計)

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「水俣病」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1956-minamata-disease/
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更新履歴

  • 2026年10月12日 初版公開

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