土呂久ヒ素公害 通称: 土呂久砒素公害

発生日 1971年11月(昭和46年) 1971年(昭和46年)の事件
経過 発生から54年11か月
発生場所 宮崎県 西臼杵郡高千穂町(土呂久地区)
種別 災害
状態 終結
  • 公害事件 — 四大公害と環境汚染旧鉱山での亜ヒ酸製造による慢性ヒ素中毒。1973年に救済地域に指定され、慢性砒素中毒症は公害健康被害補償法の指定疾病となった。最終鉱業権者を相手取った訴訟は1990年に最高裁で和解した。
宮崎県西臼杵郡高千穂町の土呂久地区で、旧土呂久鉱山が大正時代から昭和37年(1962年)まで断続的に行った亜ヒ酸の製造によって、住民に慢性ヒ素中毒の健康被害が生じた公害。1971年11月に地元から健康被害の問題が提起され、県の調査で過去の環境汚染と被害者の存在が明らかになった。1973年に国の救済地域に指定され、慢性砒素中毒症は公害健康被害補償法の指定疾病となった。最終鉱業権者の住友金属鉱山を相手取った訴訟は、1990年に最高裁で和解した。認定患者は2025年3月末までに累計223人にのぼる。
土呂久ヒ素公害を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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亜ヒ酸を製造した鉱山

宮崎県の環境白書によると、高千穂町の土呂久地区には古くから土呂久鉱山があり、一説によれば慶長年間(1596〜1614年)に銀山として開かれたといわれる。1920年(大正9年)からは亜ヒ酸の製造が断続的に行われ、坑道の水没をきっかけに1962年(昭和37年)に操業を中止するまで鉱山は稼働した。亜ヒ酸は、ヒ素を含む鉱石を焼いて作られた。
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問題の提起と県の調査

閉山から9年後の1971年11月、過去の亜ヒ酸の焙焼などによって地域の住民に健康被害が出ているという問題が提起された。宮崎県の小学生向けの教材によると、きっかけは地元の小学校の教員たちが調査を始めたことだった。県は関係機関に呼びかけ、1971年11月から1972年7月にかけて、住民の健康調査や疫学調査、周辺の環境分析を内容とする「土呂久地区社会医学的調査」を行った。1972年1月に県が出した中間報告は、ヒ素との関係は見当たらないとするもので、国会でも批判を受けた。1972年7月に発表された調査結果は、過去に鉱山の操業に伴って住民の健康に影響を及ぼすような環境汚染が生じていたことを認めた。環境白書(昭和49年版)によると、慢性ヒ素中毒と思われる皮膚の所見が地元の住民7人に認められた。

公害病としての指定

宮崎県は1972年8月から、ヒ素中毒症と診断された7人を県の救済要綱によって救済した。国も砒素による健康被害検討委員会を設けて認定の条件などを検討し、1973年2月、救済法に基づいて土呂久地区を慢性砒素中毒症の救済地域に指定した。1974年に公害健康被害補償法が施行されると、土呂久地区はその第二種地域とされ、指定疾病は「慢性砒素中毒症」と定められた。第二種地域の指定疾病は、水俣病、イタイイタイ病と並ぶものである。宮崎県によると、認定された患者は2025年3月末までに累計223人(男119人、女104人)で、このうち180人が亡くなっている。

知事のあっせんと補償

宮崎県知事は、患者と最終鉱業権者である住友金属鉱山との間で補償のあっせんを行った。宮崎県によると、あっせんは1972年12月の第1次から1976年10月の第5次まで5回行われ、依頼した85人のうち82人があっせんを受け入れ、3人は公害健康被害補償法による補償を選んだ。補償金の総額は2億5,460万円、1人あたり平均約310万円だった。住友金属鉱山は、閉山後に鉱業権を取得した会社で、亜ヒ酸の製造は行っていなかった。

15年に及んだ裁判

1975年12月、患者5人と遺族1人が住友金属鉱山を相手取り、宮崎地裁延岡支部に損害賠償を求める訴えを起こした。争点は、鉱業権者の無過失責任を定めた鉱業法109条の責任が、自ら操業していなかった鉱業権者にも及ぶかどうかだった。明治学院大学の紀要論文によると、1984年3月28日の一審判決は、敗訴した原告が1人いたものの、請求総額の約7割にあたる5億622万円の賠償を命じた。住友金属鉱山は翌日控訴した。1988年9月30日の控訴審判決は、住友の賠償責任を認めながら、公害健康被害補償法による給付分を差し引いて認容額を一審の6割にあたる3億857万円とした。住友が上告し、1990年10月31日、最高裁で和解が成立した。住友は一審の仮執行額と同じ4億6,475万円余りを「見舞金」として原告に支払い、原告は公害健康被害補償法による給付を受け続けられることになった。

健康観察と教訓の継承

宮崎県は土呂久地区を健康観察地区とし、すでに認定された人を含む地区の全住民と、かつて地区に住んでいた人を対象に、各科の専門医による健康観察検診を続けている。認定は現在も続いており、近年も新たに認定される人がいる。宮崎県の教材によると、鉱山跡の水質改善工事は2020年3月に終わった。問題の提起からほぼ半世紀がたち、被害者などの関係者が高齢化していることから、県は2017年度から、土呂久公害の歴史の風化を防ぎ、教訓を次の世代に引き継ぐための環境教育事業を行っている。

審理・経過の流れ

  1. 公判 1975年12月
  2. 判決 1984年3月28日 +3,040日
  3. 判決 1988年9月30日 +1,647日

経過

  1. 1920年
    大正9年

    その他 土呂久鉱山で亜ヒ酸の製造が始まる

    断続的に1962年まで

  2. 1962年
    昭和37年

    その他 坑道の水没をきっかけに鉱山が操業を中止

  3. 1971年11月
    昭和46年

    その他 住民の健康被害の問題が提起され、県が調査を始める

  4. 1972年7月
    昭和47年

    捜査 県の社会医学的調査が過去の環境汚染を認める

    慢性ヒ素中毒と思われる皮膚所見が7人に

  5. 1972年12月28日
    昭和47年

    その他 知事のあっせんで第1次の補償協定が成立

  6. 1973年2月
    昭和48年

    その他 救済法の救済地域に指定される

    慢性砒素中毒症

  7. 1975年12月
    昭和50年

    公判 患者らが住友金属鉱山を相手に提訴

    宮崎地方裁判所延岡支部

  8. 1984年3月28日
    昭和59年

    判決 一審判決が住友金属鉱山に約5億円の賠償を命じる

    宮崎地方裁判所延岡支部

  9. 1988年9月30日
    昭和63年

    判決 控訴審判決が認容額を一審の6割に減額

    福岡高等裁判所宮崎支部

  10. 1990年10月31日
    平成2年

    その他 最高裁で和解が成立、15年の訴訟が終わる

    見舞金4億6,475万円余り

    最高裁判所

  11. 2020年3月
    令和2年

    その他 鉱山跡の水質改善工事が終わる

出典・公的資料

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「土呂久ヒ素公害」事件JP、2026年10月28日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-toroku-arsenic-pollution/
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更新履歴

  • 2026年10月15日 初版公開

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