浜田地震

発生日 1872年3月14日(明治5年) 1872年(明治5年)の事件 / 3月14日に起きた事件
経過 発生から154年7か月
発生場所 島根県 浜田市(当時の浜田県浜田町)ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 551人  負傷者 582人
1872年3月14日(旧暦明治5年2月6日)、浜田県浜田町(現在の島根県浜田市)の沖を震源として発生したマグニチュード7.1程度の地震。気象庁松江地方気象台によると、島根県内で死者551人、負傷者582人、全潰4,506棟、半壊6,072棟、焼失230棟、山崩れ6,567箇所の被害が出た。本震の直前に浜田の港で海水が大きく引いたという証言が残る。被災者には、前年に定められた「窮民一時救助規則」に基づき政府から直接救助金が支払われた。国の天然記念物「石見畳ヶ浦」は、この地震で隆起した海床として指定されている。
浜田地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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地震の発生

1872年3月14日、旧暦では明治5年2月6日、浜田県浜田町(現在の島根県浜田市)の沖を震源とする大きな地震が起きた。この年の末に新暦への改暦が行われたため、当時の記録の日付は旧暦の2月6日である。地震の規模は、気象庁の資料でマグニチュード7.1、地震調査研究推進本部と国立公文書館の資料で7.0〜7.2とされている。震源の深さはわかっていない。地震調査研究推進本部と気象庁松江地方気象台は、島根県の陸域または沿岸域の浅い場所で起きた地震のうち、大きな被害を伴った顕著な地震として浜田地震を挙げている。
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本震の前に引いた海

地震から約40年後の1912〜13年、地震学者の今村明恒と島根県浜田測候所がこの地震を詳しく調べ、地震の前兆とみられる現象を報告した。それによると、大地震の数分から10分ほど前に浜田浦で海水が引き、約300メートル先の鶴島まで海底が現れて、漁師が鮑を手づかみにできた。その直後に大地震が起き、大波が押し寄せたという。今村は、本震の前に多くの前震があったことも報告している。この引き潮は、本震の前に断層がゆっくり滑り始めた現象として説明されたこともあった。2004年に発表された研究は、本震の200秒ほど前にマグニチュード6程度の前震が起きていれば、その津波で鶴島まで海底が現れることを数値計算で示し、前兆とされた現象は前震の津波が原因だった可能性があるとした。

被害の状況

気象庁松江地方気象台によると、この地震による島根県内の被害は、死者551人、負傷者582人、全潰4,506棟、半壊6,072棟、焼失230棟、山崩れ6,567箇所にのぼり、道や橋、堤防も損壊した。海岸では海水の変動があった。被害の数字は資料によって異なり、気象庁の「過去の地震津波災害」は死者・行方不明者を555人、環境省の資料(総務省調べ)は死者を552人としている。国立公文書館は死傷者を約1,100人としている。浜田市は、島根県内で500人を超える死者があり、浜田市内でも多くの住宅が倒壊・焼失したと伝えている。津波は1〜3メートルほどの潮位の変動が目撃されたが、規模は小さかったとされる。

政府による救済

国立公文書館によると、この地震の大きな被害に対しては「窮民一時救助規則」に基づいて政府から直接救助金が支払われ、特に生活に困った人たちには15日間の食糧の炊き出しなどが行われた。窮民一時救助規則は、前年の明治4年11月に県治条例の附則として定められた救済の規則である。国立公文書館には、浜田県が地震の被害を大蔵省に届け出た文書「浜田県震災届并救恤伺」が残されている。明治の新しい行政のもとで国が災害の被災者を救済した初期の例であり、国立公文書館の展示「災害に学ぶ―明治から現代へ―」でも最初に取り上げられている。その後、1880年には災害に備えて穀物や資金を蓄える備荒儲蓄法が定められた。

石見畳ヶ浦と隆起をめぐる議論

今村明恒の調査によると、この地震で浜田の海岸では、畳ヶ浦の周辺が2〜6尺(約60〜180センチ)隆起した一方、その南西側では1〜3尺(約30〜90センチ)沈降した。浜田市国分町の海岸にある石見畳ヶ浦は、1932年に国の天然記念物に指定された。指定の解説は、平らな海床が「明治五年二月所謂濱田地震ノ際ニ隆起シテ水面上ニ現ハレタルモノ」としており、島根県も千畳敷と呼ばれる約4.9ヘクタールの隆起海床として紹介している。ただし、その成り立ちには学術的な議論がある。2002年に見つかった地震前の絵図には、すでに大きな波食棚が描かれていた。このため、2019年の研究は、波食棚全体が地震で隆起したとする説は否定されたとしている。一方、2020年の研究は、周辺の海食洞に残る生物の遺骸の年代測定から、浜田地震による隆起は1メートル程度あったと推定している。

震災の記憶

浜田市牛市町には、1896年(明治29年)に建てられた「震災紀念之碑」が残っている。2021年10月には、地元の自治会が碑文の現代語訳を記した看板を設置した。地震から150年となった2022年3月14日、浜田市は碑文の現代語訳の一部を紹介し、「天地の異変はいつ起こるかわからない。普段から災害の備えをしておくことが必要である」という先人の言葉とともに、地震への備えを呼びかけた。島根県とその周辺では、その後も1943年の鳥取地震や2000年の鳥取県西部地震など、被害を伴う地震が起きている。

経過

  1. 1872年
    明治5年

    その他 窮民一時救助規則に基づき政府が救助金を支払う

    浜田県が大蔵省に震災届と救恤伺を提出

  2. 1872年3月14日
    明治5年

    事件・事故 浜田沖を震源とするM7.1程度の地震が発生

    旧暦明治5年2月6日。本震の直前に浜田浦で海水が引いたとの証言がある

  3. 1896年
    明治29年

    その他 浜田町牛市に「震災紀念之碑」が建てられる

  4. 1913年
    大正2年

    捜査 今村明恒が地震の前兆や隆起・沈降を報告

    前年には浜田測候所も調査結果をまとめた

  5. 1932年3月25日
    昭和7年

    その他 石見畳ヶ浦が国の天然記念物に指定される

    浜田地震で隆起した海床として

  6. 2004年3月15日
    平成16年

    捜査 前兆の引き潮を前震の津波で説明する研究が発表される

  7. 2019年
    平成31年

    捜査 畳ヶ浦の波食棚全体の隆起説を否定する研究が発表される

  8. 2020年
    令和2年

    捜査 地震による約1メートルの隆起を推定する研究が発表される

  9. 2021年10月
    令和3年

    その他 地元自治会が碑文の現代語訳の看板を設置

出典・公的資料

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日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

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「浜田地震」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1872-hamada-earthquake/
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更新履歴

  • 2026年10月14日 初版公開

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