その他事件の一覧(44件)・3ページ目
種別「その他」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「その他」には、上記いずれの種別にも当てはまらない事件を分類しています。クーデター未遂や政治的な騒乱、脱獄、誤認逮捕など、性質の異なる事件が含まれます。掲載事件は、判決文や国立公文書館・国会会議録などの公的資料、信頼できる報道機関の記事に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
44 件
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三・一五事件
1928年(昭和3年)3月15日未明、田中義一内閣のもと、治安維持法違反の容疑で日本共産党員・支持者ら千数百人が全国で一斉に検挙された。1925年に制定された治安維持法が大規模に適用された事件で、その後488人が起訴された。同年6月には緊急勅令で同法の最高刑が死刑に引き上げられ、戦前日本における社会主義・共産主義運動に対する組織的弾圧の起点として知られる。
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第一次大本事件
1921年(大正10年)2月12日、宗教団体「大本」の本部(京都府綾部市)に警察官約200人が家宅捜索に入り、教主・出口王仁三郎ら幹部を不敬罪・新聞紙法違反の容疑で検挙した。大本の教義が皇室の権威を脅かすとみなされたことが背景にあり、王仁三郎は保釈後の一審で懲役5年の判決を受けたが、大審院に係属中の1927年、大正天皇の大喪に伴う恩赦により裁判手続が打ち切られた。
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米騒動
1918年(大正7年)7月、富山県の魚津町(現・魚津市)で、米の県外移出に反対する住民の行動が起きた。米価の急騰に苦しむ人々の動きは富山湾沿岸から全国へ波及し、8月中旬に頂点を迎える。政府の集計では1道3府37県の369か所で騒じょうが発生し、鎮圧のため3府23県に軍隊が出動した。検挙者は2万5千人を超え、7,786人が起訴されている。政府は新聞に対して事件の報道を禁じたが混乱は収まらず、9月に寺内正毅内閣が総辞職して、初の本格的な政党内閣である原敬内閣の成立につながった。
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佐賀の乱
1874年(明治7年)2月、佐賀県の士族が、前参議の江藤新平を首領とする征韓党と、元秋田県令の島義勇を首領とする憂国党を中心に起こした反乱。2月16日に佐賀城(当時の県庁)にいた熊本鎮台の兵を攻撃し、鎮台兵は城を脱出したが、内務卿の大久保利通が全権を委ねられて率いた政府軍に敗れ、政府軍は3月1日に佐賀城に入った。陸軍の公式戦記によると、政府軍の死傷者は358人(死者184人)、反乱側の死傷者は323人とされる。江藤と島は捕らえられ、4月13日に梟首(さらし首)の刑に処された。のちに罪名は消滅し、2人には位が贈られた。
出典: https://jiken.jp/category/other/?page=3(2026-10-30 取得)/ 事件JP