1978年宮城県沖地震 通称: 宮城県沖地震

発生日 1978年6月12日(昭和53年) 1978年(昭和53年)の事件 / 6月12日に起きた事件
経過 発生から48年4か月
発生場所 宮城県 仙台市ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 28人  負傷者 1,325人
  • 事故・災害が変えた安全対策死者28人中18人がブロック塀や門柱などの倒壊によるもので、都市型災害の教訓は1981年施行の新耐震基準とブロック塀の高さの引き下げにつながった。
1978年6月12日17時14分、宮城県沖を震源として発生したマグニチュード7.4の地震。仙台市などで震度5を観測し、仙台市を中心とする都市部で建物の倒壊が相次いだ。死者28人のうち18人は、ブロック塀や石塀、石の門柱などの倒壊によるものだった。電気・ガス・水道も止まり、人口50万人以上の近代都市が初めて経験した都市型災害といわれる。この地震で家屋の倒壊が相次いだことは、1981年の建築基準法施行令の改正による「新耐震基準」につながった。
1978年宮城県沖地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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地震の発生

仙台管区気象台によると、1978年6月12日17時14分、宮城県沖の深さ40キロを震源とするマグニチュード7.4の地震が起きた。大船渡、仙台、石巻、新庄、福島で震度5を観測し、北海道から近畿・中国地方にかけて揺れを観測した。気象台は17時21分に東北地方の太平洋沿岸に津波警報を出したが、観測された津波は最大で30センチ(仙台新港)で、津波による被害はなかった。約4か月前の2月20日にも宮城県沖でマグニチュード6.7の地震が起きており、本震の8分前には震度2の前震があった。気象庁はこの地震を「1978年宮城県沖地震」と名付けた。
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被害の状況

仙台市などの都市部では、沖積平野や造成地を中心に多くの住宅やビルが倒壊した。気象庁がまとめた各県の調べでは、宮城県で死者27人、負傷者1万181人、住家の全壊1,271棟、半壊5,619棟、福島県で死者1人、負傷者30人だった。地震全体の死者は28人とされ、負傷者を1,325人とする資料もある。地震調査研究推進本部によると、被害総額は2,688億円にのぼり、当時の宮城県の年間予算に匹敵した。丘陵地を造成した新興住宅地では地盤の被害が出て、仙台市の緑ヶ丘地区では集団移転も行われた。

ブロック塀の下敷きになった犠牲者

仙台管区気象台によると、地震全体の死者28人のうち18人は、ブロック塀や石塀、石の門柱などの倒壊によるものだった。仙台市によると、市内の死者16人のうち11人がブロック塀の倒壊による犠牲者だった。地震直後の6月23日の参議院災害対策特別委員会で、建設省の担当者は、ブロック塀の構造基準は1970年の建築基準法施行令の改正ですでに改められていたとし、研究者の所見として、基準どおりに施工されていればこうしたことはまずなかったと述べた。そのうえで、基準をいかに守らせるかが重要だとして、ブロック塀の補修工事のマニュアルを作って全国に周知し、住宅金融公庫の改良資金を活用する考えを示した。

都市型災害

仙台管区気象台は、この地震を、人口50万人以上の近代都市(当時の仙台市の人口は約65万人)が経験した初めての都市型災害といわれていると説明している。宮城県知事は1978年7月の国会で、仙台を中心とする都市型の地震災害で、おそらく関東大震災以来かつてない地震被害だと述べた。仙台市によると、電気は地震の2日目にほぼ全面的に復旧したが、ガスはガスホルダーや導管が被災して全面的に供給が止まり、99パーセントが復旧したのは27日目だった。約7,000戸が断水し、停電で交通信号機がすべて消えたため、夜11時ごろまで渋滞が続いた。一方、火災は8件で、事前の予測をはるかに下回った。仙台市は、暖房器具を使わない初夏で夕食の支度前の時間だったことや、前震で火を消した家庭が多かったことなどを理由に挙げている。

新耐震基準へ

建設省は1972年から新しい耐震設計法の開発に取り組み、1977年に建物のねばり強さを構造計算に含める新耐震設計法の案を示していた。北海道庁の資料によると、宮城県沖地震はこの案の妥当性を証明し、1980年にはその考え方を盛り込んで建築基準法施行令の耐震基準が改正され、1981年から適用された。1981年4月の国会で国土庁の担当者は、宮城県沖地震の人的被害ではブロック塀の倒壊による圧死が最も目立ったとし、建築基準法施行令を改正して6月から施行するほか、既存の建築物の耐震診断基準や耐震改修設計指針を作ったと説明した。建設省の担当者は、新しく造るブロック塀の高さを従来より低くすると述べた。仙台管区気象台は、新耐震基準の導入以降に建てられた建物は、1995年の阪神・淡路大震災でもそれ以前の基準の建物より倒壊率が低く抑えられたとしている。

防災の日として

仙台市は1979年、全国で初めての「防災都市宣言」を行い、6月12日を「市民防災の日」と定めた。宮城県も6月12日を「みやぎ県民防災の日」としており、2008年に制定した震災対策推進条例でこの日を定めている。条例の前文は、1978年6月12日に起きた宮城県沖地震に触れることから始まる。毎年この日を中心に防災訓練が行われている。地震調査研究推進本部によると、宮城県沖では、マグニチュード7クラスの「宮城県沖地震」が繰り返し起きてきた。

経過

  1. 1978年2月20日
    昭和53年

    その他 宮城県沖でマグニチュード6.7の地震

    大船渡で震度5

  2. 1978年6月12日
    昭和53年

    事件・事故 宮城県沖でマグニチュード7.4の地震、仙台などで震度5

    17時14分。津波警報は20時30分に解除

  3. 1978年6月23日
    昭和53年

    捜査 国会で建設省がブロック塀の対策を説明

  4. 1978年7月11日
    昭和53年

    その他 宮城県知事が国会で被害を報告

    死者27人

  5. 1979年
    昭和54年

    その他 仙台市が防災都市宣言、6月12日を市民防災の日に

  6. 1981年6月1日
    昭和56年

    その他 改正建築基準法施行令が施行(新耐震基準)

    ブロック塀の高さも従来より低く

  7. 2008年10月23日
    平成20年

    その他 宮城県震災対策推進条例でみやぎ県民防災の日を定める

出典・公的資料

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日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

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「1978年宮城県沖地震」事件JP、2026年10月28日閲覧。https://jiken.jp/cases/1978-miyagi-oki-earthquake/
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更新履歴

  • 2026年10月15日 初版公開

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