スモン事件 通称: 薬害スモン

発生日 1970年9月8日(昭和45年) 1970年(昭和45年)の事件 / 9月8日に起きた事件
経過 発生から56年1か月
発生場所 全国(初期の集団発生は山形県米沢市、岡山県井原市など)
種別 その他
状態 終結
被害  負傷者 11,007人
  • 事件が変えた法律・制度スモンの被害と訴訟を受け、1979年に医薬品副作用被害救済基金法が制定され、裁判によらない副作用被害の救済制度ができた。同年の薬事法改正では再審査・再評価や副作用の報告も制度化された。
  • 薬害・食品被害事件整腸剤キノホルムの服用で約1万1千人の患者が報告された薬害。9つの地裁が国と製薬会社の責任を認め、1979年の和解確認書で恒久対策が始まった。
整腸剤として広く使われたキノホルムの服用によって、下肢のしびれや歩行障害、視力障害などが起きる亜急性脊髄視神経症(スモン)が全国で多発した薬害事件。1955年ごろから患者が出始め、原因不明の「奇病」とされたが、厚生省は1970年(昭和45年)9月8日、キノホルム剤の販売中止と使用見合わせの措置をとり、その後新たな患者は激減した。研究班が把握した患者は約1万1千人に上る。各地の訴訟で9つの地方裁判所が国と製薬会社の責任を認め、1979年の和解確認書と医薬品副作用被害救済基金法の制定につながった。
スモン事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
スポンサーリンク

原因不明の「奇病」

1955年ごろから、和歌山県や三重県で、腸の病気の治療中に手足のしびれや下半身のまひを起こす原因不明の患者が見られるようになった。1957年以降は全国の中小都市で集団発生が相次ぎ、山形県米沢市、北海道釧路市、福岡県大牟田市などで多くの患者が出た。症状は、下痢や腹痛などのあとに両足の先からしびれや異常な感覚が始まって上へ広がるもので、視力障害を伴うこともあった。1964年の日本内科学会のシンポジウムで、この病気は「亜急性脊髄視神経症」(英語の頭文字からスモン)と名付けられた。厚生省は研究班を設けたが原因はつかめず、1967年以降は岡山県井原市周辺などで多発したため、1969年9月に改めてスモン調査研究協議会を発足させた。厚生労働省の教材は、当初は伝染病が疑われ、原因の究明が遅れたため1万人を超える人が被害にあったと記している。患者の発生が最も多かったのは1969年である。
スポンサーリンク

キノホルムの販売中止

キノホルムは、1900年ごろにスイスで傷薬として発売された薬で、日本では整腸薬として広く使われていた。1970年、患者の舌や便に見られる緑色の物質がキノホルムと鉄の化合物であることがわかり、同年8月には新潟大学の研究者がキノホルムが原因だとする説を発表した。厚生大臣の諮問を受けた中央薬事審議会は、9月7日、キノホルムがスモンの要因となっている可能性を否定できないとして、販売の中止と使用の見合わせを答申し、厚生省は翌8日、都道府県知事あての薬務局長通知で措置をとった。この措置のあと新たな患者は激減した。スモン調査研究協議会の委員長は1972年の国会で、措置後に登録された新規患者は1970年末までに23人、1971年1月から1972年2月までに15人だったと説明し、販売中止の措置がいかに有効だったかを物語っていると述べている。協議会は1972年3月、スモン患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断するという結論をまとめた。

被害の規模

スモン調査研究協議会の委員長は1972年の国会で、同年2月末時点の登録患者を9,131人(確実例5,770人、疑い例3,361人)と説明した。その後、研究班が4回の全国調査で医療機関から報告を受けた患者は11,007人に上った。ただし政府は1980年の国会で、この数は厳密に認定したものではなく、発症前にキノホルムを服用していなかった人も約15パーセント含まれていると答弁している。国立病院機構鈴鹿病院の資料によると、2025年(令和7年)現在の患者数は約700人である。

スモン訴訟と9地裁判決

1971年5月、患者が国と製薬会社3社(武田薬品工業、日本チバガイギー、田辺製薬)を相手取り、東京地方裁判所に損害賠償を求める初めての訴訟を起こした。訴訟は全国に広がり、厚生白書によると、1980年9月1日時点で全国30地裁・15高裁に係属し、原告の患者は5,679人に及んだ。1977年10月29日には東京地裁で初めての和解が成立した。1978年3月1日の金沢地裁判決から1979年8月21日の前橋地裁判決まで、9つの地方裁判所で判決が言い渡された。大学紀要の判例研究によると、9判決はいずれもキノホルムがスモンの原因であるとして、製薬会社と国の損害賠償責任を認めた。ただし、金沢地裁判決はウイルス説が並び立つ余地も残し、東京地裁判決は国の責任を製薬会社の3分の1に限っている。国は判決を不服として控訴した。

和解確認書と救済制度の創設

1979年9月15日、患者団体・弁護団と、厚生大臣・製薬会社の間で確認書が調印され、各地の訴訟を和解で終わらせる基本方針が合意された。厚生労働省の資料によると、和解の内容は、症状に応じた420万円から4,700万円の和解一時金(製薬会社が3分の2、国が3分の1を負担)と、健康管理手当、介護費用などである。国は確認書で、キノホルムとスモンの因果関係を認めるとともに、スモン問題についての責任を認め、遺憾の意を表明した。厚生白書によると、1980年10月1日時点で4,084人の患者と和解が成立している。確認書の調印に先立つ1979年9月7日、医薬品の副作用による健康被害を裁判によらずに救済する医薬品副作用被害救済基金法と、薬事法の改正法が国会で成立した。改正薬事法は、新薬の再審査や既存の医薬品の再評価、副作用情報の報告などを制度化した。救済基金は1979年10月15日に設立され、のちに現在の医薬品医療機器総合機構(PMDA)に引き継がれた。PMDAは、その設立の経緯を、サリドマイドやスモンといった医薬品による悲惨な薬害の発生を教訓としたものと説明している。

その後と恒久対策

和解が遅れた大きな理由は、キノホルムを服用したことを証明できない患者の扱いだった。東京地裁は1980年3月7日、こうした患者についても国と製薬会社が責任を負うべきだとする所見を示した。判例研究によると、1986年1月までに、提訴した患者の98.8パーセントについて和解が成立している。和解とあわせて、国はスモン患者に対する恒久対策を進めてきた。調査研究は1972年度から、医療費の自己負担分の公費負担は1973年度から行われ、はり・きゅう・マッサージの費用の補助や在宅での支援も続けられている。健康管理手当と介護費用は、国と製薬会社の委託を受けたPMDAが支払っている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1970年9月8日
  2. 公判 1971年5月 +235日
  3. 判決 1978年3月1日 +2,496日
  4. 判決 1978年8月3日 +155日
  5. 判決 1979年8月21日 +383日

経過

  1. 1964年5月
    昭和39年

    その他 日本内科学会で「亜急性脊髄視神経症(スモン)」の病名がまとまる

  2. 1969年9月
    昭和44年

    捜査 厚生省がスモン調査研究協議会を発足

  3. 1970年8月
    昭和45年

    捜査 新潟大学の研究者がキノホルム原因説を発表

  4. 1970年9月7日
    昭和45年

    その他 中央薬事審議会が販売中止・使用見合わせを答申

  5. 1970年9月8日
    昭和45年

    事件・事故 厚生省がキノホルム剤の販売中止・使用見合わせの措置

    その後、新たな患者は激減

  6. 1971年5月
    昭和46年

    公判 東京地裁に初めてのスモン訴訟

    国と製薬会社3社が被告

  7. 1972年3月
    昭和47年

    捜査 スモン調査研究協議会がキノホルム原因説の結論

  8. 1977年10月29日
    昭和52年

    その他 東京地裁で初めての和解が成立

    東京地方裁判所

  9. 1978年3月1日
    昭和53年

    判決 金沢地裁が国と製薬会社の責任を認める

    9地裁判決の最初

    金沢地方裁判所

  10. 1978年8月3日
    昭和53年

    判決 東京地裁が国と製薬会社の責任を認める

    国の責任は製薬会社の3分の1

    東京地方裁判所

  11. 1979年8月21日
    昭和54年

    判決 前橋地裁判決(9地裁判決の最後)

    前橋地方裁判所

  12. 1979年9月7日
    昭和54年

    その他 医薬品副作用被害救済基金法と改正薬事法が成立

  13. 1979年9月15日
    昭和54年

    その他 和解確認書に調印

    国はキノホルムとスモンの因果関係と責任を認めた

  14. 1979年10月15日
    昭和54年

    その他 医薬品副作用被害救済基金が設立される

    現在の医薬品医療機器総合機構(PMDA)

出典・公的資料

一次資料 5件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

さらに調べるには

資料の探し方や引用の書き方は調べ学習・レポートでの使い方にまとめています。

関連する法律用語

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。一次資料までたどる方法は調べ学習・レポートでの使い方をご覧ください。

「スモン事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1970-smon-quinoform/
スポンサーリンク

更新履歴

  • 2026年10月12日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。