森永ヒ素ミルク中毒事件 通称: 森永ひ素ミルク中毒事件

結末 1973年11月、差戻し後の徳島地裁で工場の製造課長に禁錮3年の判決が確定。工場長は無罪

発生日 1955年8月24日(昭和30年) 1955年(昭和30年)の事件 / 8月24日に起きた事件
経過 発生から71年2か月 1973年11月28日の確定から52年10か月
発生場所 岡山県 岡山県を中心に西日本27府県(原因工場は徳島県の森永乳業徳島工場)
種別 事故
状態 判決確定
被害 死者 130人  負傷者 12,001人
  • 事件が変えた法律・制度1955年の省令改正で粉ミルクの添加物が規制され、1957年の食品衛生法改正で添加物の定義の見直しや食品衛生管理者の制度が設けられた。
  • 薬害・食品被害事件粉ミルクの安定剤に混じったヒ素で乳児1万2千人余りが中毒した。一度は「全快」とされたが、14年後の追跡調査で被害が続いていることが明らかになり、三者会談とひかり協会による恒久的な救済につながった。
1955年(昭和30年)、森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクに、乳質安定剤として加えた第二燐酸ソーダを通じてヒ素が混入し、西日本を中心に粉ミルクを飲んだ乳児が中毒を起こした事件。8月24日に岡山県から厚生省へ報告され、原因が公表された。厚生省の1956年6月の発表では被害者は12,131人、うち死者は130人。一度は「後遺症はない」とされたが、14年後の追跡調査で被害が続いていることが明らかになり、刑事裁判では差戻し後に工場の製造課長の有罪が確定した。1974年には救済にあたる財団法人ひかり協会が設立された。
森永ヒ素ミルク中毒事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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粉ミルクへのヒ素の混入

森永乳業徳島工場は、粉ミルクの乳質安定剤として第二燐酸ソーダを使っていた。1955年に入荷した第二燐酸ソーダは、品質の規格が明らかでない工業用の薬品で、そこにヒ素が含まれていた。厚生大臣は同年9月の国会で、問題の第二燐酸ソーダが大阪の製薬会社から徳島の商社を経て工場に納入された経路を報告している。この年の6月ごろから、岡山県を中心に、粉ミルクで育てられていた乳児に発熱、下痢、皮膚の黒ずみ、肝臓の腫れ、貧血などの症状が相次いだ。岡山大学の小児科は森永の粉ミルクを疑って調べ、8月23日に同じ缶の粉ミルクからヒ素を検出した。翌24日、岡山県衛生部が厚生省に電話で報告し、同日、岡山大学で原因が公表された。厚生省は同日、問題の粉ミルクの販売停止と回収を指示し、28日には工場の第二燐酸ソーダからヒ素が検出されて原因物質が確定した。
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被害の状況

公表される被害者の数は、時間とともに増えていった。厚生省の国会報告では、1955年11月の時点で患者9,706人・死者62人だった。厚生白書(昭和31年度版)は、1955年末現在で死亡者約130人、罹患者約1万2,000人としている。厚生省が1956年6月9日に発表した被害者は12,131人で、うち死者は130人だった。1972年の国会答弁によると、患者は近畿・中国・四国・九州を中心に27府県で発生し、1957年3月1日時点の患者数は12,344人、死者は130人とされた。厚生労働省の資料によると、2025年3月31日現在の被害者の総数は13,463人である。被害者には、脳性まひや知的障害、てんかんなど中枢神経系の障害が多いと報告されている。

行政の初動と「全快」の判定

厚生省は1955年8月30日、乳製品の成分規格などを定める省令を改正し、粉ミルクに加える添加物を公定書に載っているものか、大臣が承認したものに限った。徳島県は工場を9月15日から3か月間の営業停止とした。被害者への補償については、「五人委員会」と呼ばれる委員会が1955年12月に意見書を出し、死者1人につき25万円、患者1人につき1万円という基準を示した。この意見書は、後遺症については「後遺症ではなくして原病の継続」との見方を示している。1956年には専門家の委員会がつくった治癒判定の基準による一斉検診が行われ、ほとんどの子どもが「全快」と判定された。被害者の親たちの団体は1956年4月に解散し、1959年には厚生省が全員の治癒を確認したと報告している。

刑事裁判

1955年9月、徳島地方検察庁は徳島工場の工場長と製造課長を業務上過失致死傷の罪で起訴した。徳島地方裁判所は1963年10月25日、2人に無罪を言い渡したが、検察が控訴し、高松高等裁判所は1966年3月31日、一審判決を破棄して審理を徳島地裁に差し戻した。最高裁判所は1969年2月27日、被告側の上告を棄却した。最高裁の判決文によると、検察が問うた過失の中心は、成分の規格が明らかな薬品を指定せずに工業用の薬品を注文したことと、入荷後に厳密な化学検査をしなかったことである。差戻し後の徳島地裁は1973年11月28日、製造課長に禁錮3年の有罪判決を言い渡し、工場長は無罪とした。判決は、製造課長について結果を予見できた可能性と、結果を回避する義務を認めたもので、そのまま確定した。

「14年目の訪問」とひかり協会

1969年、大阪の養護教諭や保健師らが被害者の家庭を訪ねて追跡調査を行い、その報告は「14年目の訪問」としてまとめられた。同年10月には大阪大学の研究者が日本公衆衛生学会でこの結果を報告し、多くの被害者に障害が残っていることが明らかになった。被害者の親たちは「森永ミルク中毒のこどもを守る会」を全国組織として結成し、1973年には国と森永乳業を相手に民事訴訟を起こした。同年5月には日本小児科学会の特別委員会も後遺症の存在を認めている。1973年10月、厚生省の呼びかけで、守る会・森永乳業・厚生省による三者会談が始まった。12月23日に調印された確認書で、森永乳業は企業の責任を全面的に認めて謝罪し、救済に必要な費用の一切を負担することを約束し、厚生省は恒久対策の実現に積極的に援助することを約束した。これに基づいて1974年4月に財団法人ひかり協会が設立され、民事訴訟は同年5月に取り下げられた。

その後と制度への影響

事件は食品の安全規制にも影響を与えた。1972年の国会答弁によると、1957年の食品衛生法の改正で、食品添加物と化学的合成品の定義が見直され、食品添加物公定書の作成が始まり、粉ミルクの製造施設に食品衛生管理者を置くことが義務づけられた。ひかり協会は2011年に公益財団法人に移行し、森永乳業の負担で被害者の健康管理や生活の支援を続けている。三者会談は、ひかり協会を加えた形で現在も続けられており、厚生労働省の資料によると、2025年8月24日には第58回が開かれた。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1955年8月24日
  2. 起訴 1955年9月 +8日
  3. 判決 1963年10月25日 +2,976日
  4. 判決 1966年3月31日 +888日
  5. 判決 1969年2月27日 +1,064日
  6. 判決 1973年11月28日 +1,735日

経過

  1. 1955年8月23日
    昭和30年

    捜査 岡山大学が粉ミルクからヒ素を検出

  2. 1955年8月24日
    昭和30年

    事件・事故 岡山県が厚生省に報告、原因が公表される

    厚生省は同日、販売停止と回収を指示

  3. 1955年8月28日
    昭和30年

    捜査 工場の第二燐酸ソーダからヒ素を検出

  4. 1955年8月30日
    昭和30年

    その他 乳等省令を改正し、粉ミルクの添加物を規制

  5. 1955年9月
    昭和30年

    起訴 工場長と製造課長を業務上過失致死傷罪で起訴

  6. 1956年6月9日
    昭和31年

    その他 厚生省が被害者12,131人・死者130人と発表

  7. 1963年10月25日
    昭和38年

    判決 徳島地裁が工場長と製造課長に無罪判決

    徳島地方裁判所

  8. 1966年3月31日
    昭和41年

    判決 高松高裁が一審判決を破棄し差し戻す

    高松高等裁判所

  9. 1969年2月27日
    昭和44年

    判決 最高裁が被告側の上告を棄却

    最高裁判所第一小法廷 (事件番号: 昭和41年(あ)第1531号)

  10. 1969年10月30日
    昭和44年

    その他 追跡調査「14年目の訪問」が学会で報告される

  11. 1973年10月12日
    昭和48年

    その他 守る会・森永乳業・厚生省の三者会談が始まる

  12. 1973年11月28日
    昭和48年

    判決 差戻し後の徳島地裁が製造課長に禁錮3年の判決、確定

    工場長は無罪

    徳島地方裁判所

  13. 1973年12月23日
    昭和48年

    その他 三者会談で確認書を調印

    森永乳業が企業責任を全面的に認めて謝罪

  14. 1974年4月
    昭和49年

    その他 財団法人ひかり協会が設立される

出典・公的資料

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「森永ヒ素ミルク中毒事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1955-morinaga-arsenic-milk/
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更新履歴

  • 2026年10月12日 初版公開

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