1949年の事件・出来事 昭和24年

この年に発生した事件・事故(7件)

  • 1949年1月26日 (昭和24年) 奈良県 事故 終結

    法隆寺金堂壁画焼損

    1949年1月26日の早朝、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺で、昭和の大修理のさなかにあった金堂の内部から火が出て、7世紀後半から8世紀初めの作とされる金堂の壁画12面が焼損した事件。文部大臣は、壁画の模写作業の保温のために持ち込まれた電気座布団が原因と調査会が結論したと国会で答弁し、文部省は関係者を懲戒処分とした。この焼損は国会で文化財保護法の提出の「契機」と述べられ、翌1950年に同法が制定された。焼損の日である1月26日は、1955年から「文化財防火デー」とされている。

  • 1949年2月20日 (昭和24年) 秋田県 事故 終結

    能代大火

    1949年2月20日未明、秋田県能代市で起きた大火。強い西風にあおられて火は市街地に広がり、同日朝8時に鎮火するまでに住家と非住家あわせて2,238棟が焼け、死者3人を出した。焼失面積は市街地の約42%に及び、木材の町の工場や官庁街も焼けた。火災後、市は幅23〜30メートルの防火帯で市街地を区切る復興都市計画を打ち出し、約72万平方メートルの土地区画整理事業を行った。能代市は1956年にも大火に見舞われている(第二次能代大火)。

  • 1949年2月27日 (昭和24年) 愛媛県 事故 終結

    松山城筒井門等焼失事故

    1949年(昭和24年)2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、本丸に通じる筒井門とその東続櫓・西続櫓の3棟(いずれも当時の国宝)が焼失した。出火原因は、城内にいた精神疾患の患者がたき火をしたことによるとされ、天守など他の建造物は焼失を免れた。焼失した3棟はその後、旧国宝の指定を解除された。

  • 1949年7月15日 (昭和24年) 東京都 その他 判決確定

    三鷹事件

    1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴されたが、裁判所は元運転士1人の単独犯行と認定した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に元運転士の死刑が確定した。

  • 1949年8月6日 (昭和24年) 青森県 殺人 判決確定

    弘前大学教授夫人殺し事件

    1949年8月6日夜、青森県弘前市で、弘前医科大学教授の妻(当時30歳)が就寝中に刃物で首を刺されて殺害された事件。近所に住む男性が逮捕・起訴され、一審の無罪判決が控訴審で覆されて、1953年に懲役15年が確定した。男性が刑期を終えた後の1971年、別の男が真犯人であると名乗り出た。仙台高裁は1976年に白鳥決定の基準を引用して再審開始を決定し、1977年2月15日の再審判決で、男性の犯行と認める証拠は何一つないとして無罪を言い渡し、真犯人を名乗り出た男を真犯人と断定した。

  • 1949年8月17日 (昭和24年) 福島県 その他 未解決

    松川事件

    1949年(昭和24年)8月17日未明、福島県信夫郡金谷川村(現・福島市松川町金沢)の東北本線松川駅〜金谷川駅間で、旅客列車が脱線転覆し、機関車の乗務員3人が死亡した。線路のレールと継目板が外されていたことから、何者かによる列車妨害と判断された。捜査当局は国鉄と東芝松川工場の労働組合員20人を逮捕・起訴し、一審は全員有罪、5人に死刑を言い渡した。しかし検察が提出していなかった「諏訪メモ」が被告人のアリバイを裏づけたことなどから審理は覆り、1963年(昭和38年)9月12日に全員の無罪が確定した。真犯人は特定されないまま公訴時効を迎えている。

  • 1949年8月31日 (昭和24年) 神奈川県 災害 終結

    キティ台風

    1949年(昭和24年)8月31日、台風10号(キティ台風)が神奈川県小田原市付近に上陸し関東地方を縦断した。暴風・大雨・高潮により死者135人、行方不明者25人にのぼり、戦後復興途上の首都圏に大きな被害をもたらした。

この年にあった判決・逮捕などの動き(12件)

別の年に発生した事件の、その後の経過です。

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