1952年の事件・出来事 昭和27年
この年に発生した事件・事故(7件)
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白鳥事件
1952年(昭和27年)1月21日夜、札幌市(現在の中央区)の路上で、自転車で帰宅途中の札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部(36歳)が背後から拳銃で撃たれ死亡した。警察は日本共産党による組織的犯行とみて捜査し、同年10月、党札幌市委員会委員長の男を共謀共同正犯として逮捕・起訴した。実行犯とされる党員は国外へ逃亡し逮捕を免れたまま、男は1963年に懲役20年の有罪が最高裁で確定した。1975年、再審請求を棄却した最高裁決定(通称「白鳥決定」)は、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用されると初めて明示し、その後の再審制度の運用に大きな影響を与えた。
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東大ポポロ事件
1952年(昭和27年)2月20日、東京大学本郷キャンパスで開催された劇団「ポポロ」による演劇発表会に、私服警察官4人が観客として潜入していたことが発覚し、東京大学の学生が警察官に暴行を加えた。学生の行為が正当防衛にあたるかが争われ、最高裁判所大法廷は1963年、大学における学問の自由・大学の自治の憲法上の意義を示す判断を示した。
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十勝沖地震
1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。池田・幕別などで震度6を観測し、津波が太平洋沿岸を襲って浜中町霧多布などに大きな被害が出た。死者28人・行方不明5人・負傷者287人、家屋の全半壊・一部損壊は8,500棟を超えた。
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鳥取大火
1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火した火災は、フェーン現象による南南西の強風にあおられて市街地を焼き払い、翌18日未明に鎮火するまでに約12時間燃え続けた。焼失面積は約44万9千平方メートル、罹災世帯は5,700を超え、鳥取市の中心市街地の大半が失われた。戦後の日本で最大規模の都市大火のひとつとされ、この復興過程で全国初の防火建築帯が指定されるなど、市街地の不燃化と都市計画の転換点となった。
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辰野事件
1952年(昭和27年)4月30日未明、長野県上伊那郡の辰野警察署や伊那税務署など複数の官公庁施設が、ダイナマイトや火炎瓶で相次いで襲撃された。長野県警察は日本共産党員13人を逮捕・起訴し、1960年の第一審・長野地方裁判所飯田支部は全員を有罪としたが、1972年12月1日、東京高等裁判所は証拠不十分として逆転無罪を言い渡し、検察も上告を断念して無罪が確定した。発生から確定まで20年7か月を要した、戦後の冤罪事件の一つとされる。
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菅生事件
1952年(昭和27年)6月2日、大分県の菅生村駐在所が爆破され、日本共産党員5人が逮捕・起訴された事件。控訴審の過程で、偽名で被告人らに接近していた人物が現職の警察官だったことが判明し、駐在所爆破については1958年に福岡高裁が全員を無罪とし、1960年に最高裁で確定した。一方、ダイナマイトの不法所持などの事実では被告人の一部が有罪とされ、潜入していた警察官も爆発物取締罰則違反で起訴されて有罪(刑の免除)となった。
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吹田・枚方事件
1952年(昭和27年)6月24日から25日にかけて、朝鮮戦争開戦2周年を機に大阪府北部で起きた二つの公安事件。枚方市では24日未明に旧陸軍工廠の枚方製造所で水圧ポンプが時限爆弾で爆破され、25日未明には無関係の民家が火炎びんで襲撃された(枚方事件)。吹田市一帯では労働者・学生・在日朝鮮人らのデモ隊が国鉄吹田操車場に入り、警察官と衝突した(吹田事件)。吹田事件は血のメーデー事件・大須事件と並ぶ戦後三大騒擾事件の一つとされ、111人が騒擾罪で起訴されたが、1972年3月17日の最高裁決定で騒擾罪の不成立が確定した。
この年にあった判決・逮捕などの動き(8件)
別の年に発生した事件の、その後の経過です。
出典: https://jiken.jp/timeline/showa/1952/(2026-10-30 取得)/ 事件JP