1955年の事件・出来事 昭和30年
この年に発生した事件・事故(5件)
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紫雲丸事故
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、濃霧に包まれた香川県高松港沖で、日本国有鉄道の宇高連絡船「紫雲丸」と貨車運航船「第三宇高丸」が衝突し、紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明となった。犠牲者のうち108人は4つの小中学校の修学旅行の一行で、児童・生徒だけで100人を数えた。前年の洞爺丸事故に続く国鉄連絡船の大惨事として社会に衝撃を与え、高等海難審判庁は両船船長の職務上の過失を認定。濃霧による欠航の多発は、のちの瀬戸大橋建設の機運を高める一因ともなった。
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橋北中学校水難事件
1955年7月28日、三重県津市立橋北中学校の水泳訓練中、中河原海岸(文化村海岸)で女子生徒約100人が一斉に溺れ、36人が死亡した。校長・教頭・体育主任の3人が業務上過失致死罪で起訴され、津地方裁判所は執行猶予付きの禁錮刑を言い渡したが、名古屋高等裁判所は女子生徒らを押し流した異常な流れを予見不可能な「不可抗力」と認定して無罪を言い渡し、検察が上告せず確定した。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区厩橋で玩具用花火の卸問屋が経営する花火工場の倉庫が爆発し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。周辺の13棟385坪が全焼し、半径300メートル以内の建物にも窓ガラスや屋根瓦の被害が及んだ。
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森永ヒ素ミルク中毒事件
1955年(昭和30年)、森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクに、乳質安定剤として加えた第二燐酸ソーダを通じてヒ素が混入し、西日本を中心に粉ミルクを飲んだ乳児が中毒を起こした事件。8月24日に岡山県から厚生省へ報告され、原因が公表された。厚生省の1956年6月の発表では被害者は12,131人、うち死者は130人。一度は「後遺症はない」とされたが、14年後の追跡調査で被害が続いていることが明らかになり、刑事裁判では差戻し後に工場の製造課長の有罪が確定した。1974年には救済にあたる財団法人ひかり協会が設立された。
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茂尻炭鉱ガス爆発事故
1955年(昭和30年)11月1日、北海道赤平市の茂尻炭鉱(雄別炭礦茂尻鉱業所)で坑内のガス爆発が発生し、死者60人、負傷者17人を出した事故。同炭鉱では1935年にも95人が死亡する爆発事故が起きている。
この年にあった判決・逮捕などの動き(14件)
別の年に発生した事件の、その後の経過です。
- 1月26日 その他 法隆寺金堂壁画焼損 第1回の文化財防火デー
- 6月11日 捜査 紫雲丸事故 神戸地方海難審判理事所が審判開始を申し立てる
- 6月22日 判決 三鷹事件 最高裁判所大法廷が上告を棄却
- 7月1日 判決 菅生事件 大分地裁が被告全員に有罪判決
- 7月4日 その他 徳島大空襲 遺族有志が徳島戦災犠牲者慰霊塔を建てる
- 7月10日 その他 紫雲丸事故 紫雲丸が引き揚げられる
- 7月29日 その他 橋北中学校水難事件 衆議院文教委員会・法務委員会で事故が取り上げられる
- 8月1日 その他 橋北中学校水難事件 橋北中学校が犠牲者の学校葬を実施
- 8月23日 捜査 森永ヒ素ミルク中毒事件 岡山大学が粉ミルクからヒ素を検出
- 8月28日 捜査 森永ヒ素ミルク中毒事件 工場の第二燐酸ソーダからヒ素を検出
- 8月30日 その他 森永ヒ素ミルク中毒事件 乳等省令を改正し、粉ミルクの添加物を規制
- 9月1日 起訴 森永ヒ素ミルク中毒事件 工場長と製造課長を業務上過失致死傷罪で起訴
- 9月22日 判決 洞爺丸事故 函館地方海難審判庁が裁決を言渡
- 12月23日 判決 三鷹事件 判決訂正の申立てが棄却され、死刑が確定
出典: https://jiken.jp/timeline/showa/1955/(2026-10-30 取得)/ 事件JP