静岡県の殺人事件一覧(11件)|事故、災害、強盗
静岡県で発生した事件を発生日の新しい順に掲載しています。
11 件
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静岡三島工場刺傷事件
2025年12月26日午後、静岡県三島市の横浜ゴム三島工場で、元従業員の男が従業員らを刃物で刺したり液体をまいたりし、20〜50代の男性15人がけがをした事件。報道によると、刃物で8人、のちに塩素系漂白剤と分かった液体で7人がけがをしたとみられる。男は従業員らに取り押さえられ、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された。静岡地検沼津支部は鑑定留置を経て、2026年5月と7月に、計8人に対する殺人未遂罪などで男を起訴した。動機は捜査関係者への取材として職場への不満などが報じられているが、初公判の期日は決まっていない。
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令和7年台風第15号
2025年(令和7年)9月4日に発生した台風第15号は、5日に四国、紀伊半島、東海地方に次々と上陸し、西日本から東日本の太平洋側に大雨をもたらした。5日昼過ぎ、静岡県では線状降水帯が発生し、竜巻などの激しい突風が相次いだ。牧之原市から吉田町にかけての竜巻は風速約75メートル(JEF3)と推定され、気象庁は1961年以降に国内で起きた竜巻として最大級だとした。静岡県のまとめでは死者1人、負傷者90人、住家の全壊76棟。牧之原市には被災者生活再建支援法が適用された。
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富士ビル壁崩落事故
静岡県富士市で解体工事中のビルの外壁が道路に崩落し、信号待ちの車2台が下敷きになるなどして4人が死亡した事故。
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三島女子短大生焼殺事件
2002年(平成14年)1月22日深夜、静岡県三島市の国道上で、アルバイトを終えて自転車で帰宅していた19歳の短大生が男(当時29歳)に車へ押し込まれて約3時間監禁され、翌23日未明に同市内の山中で灯油をかけられ火を付けられて殺害された事件。男は逮捕監禁・強姦・殺人の罪で起訴された。一審の静岡地裁沼津支部は無期懲役としたが、東京高裁は一審を破棄して死刑を言い渡し、最高裁は2008年2月29日に上告を棄却した。最高裁の裁判例情報は、被害者1人の事件で死刑が維持された事例としてこの事件名を付している。死刑は2012年8月に執行された。
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日本航空機駿河湾上空ニアミス事故
静岡県駿河湾上空で日本航空機2機が異常接近し、片方の機体の急降下により100人が負傷した事故。管制官の有罪が最高裁で確定した。
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沼津ストーカー殺人事件
2000年(平成12年)4月19日、静岡県沼津市のJR沼津駅北口の駐輪場で、当時27歳の男が、元交際相手の女子高生(当時17歳)を待ち伏せし、再び交際を迫ったが拒絶されたことに逆上して、包丁で全身30か所以上を刺して殺害した事件。男は以前から被害者へのつきまとい行為を繰り返していた。当時はストーカー行為を直接取り締まる法律がなく、本件はその1か月後に成立したストーカー行為等の規制に関する法律の制定を後押しする契機の一つとなった。裁判では死刑が求刑されたが、静岡地方裁判所沼津支部は無期懲役を言い渡し、控訴審を経て確定した。
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静岡駅前地下街爆発事故
1980年(昭和55年)8月16日、静岡市の静岡駅前地下街で、湧水処理槽にたまったメタンガスへの引火をきっかけに2度の爆発が発生し、15人が死亡、223人が重軽傷を負った。事故後、地下街のガス保安基準が全国的に強化された。
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袴田事件
1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の味噌製造会社の専務の自宅で火災が起き、焼け跡から刺し傷のある一家4人の遺体が見つかった事件。同社の従業員だった袴田巖さんが強盗殺人などの罪で起訴され、1980年に死刑判決が確定した。姉による第2次再審請求で2014年に再審開始と釈放が決まり、2024年9月26日、静岡地方裁判所は再審で無罪を言い渡した。判決は、有罪の決め手とされた「5点の衣類」などを捜査機関による捏造と認定し、無罪は同年10月9日に確定した。再審制度の見直しの議論にもつながった。
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浜一中大福餅事件
1936年(昭和11年)5月10日、静岡県立浜松第一中学校(現・浜松北高等学校)で行われた運動会終了後、地元の菓子店「三好野」が製造した大福餅が生徒・教職員とその家族に配布された。その夜から高熱・腹痛・下痢を訴える者が続出し、罹患者は2,000名を超え、44名(諸説あり)が死亡する日本の食中毒史上最悪規模の集団食中毒事件となった。陸軍軍医学校の調査により、原因は大福餅の餡に混入していたゲルトネル菌(サルモネラ菌の一種)と断定された。三好野の店内はネズミが横行する劣悪な衛生環境にあり、餡を製造後3昼夜にわたり放置していたことが感染源とみられている。刑事責任の追及は最終的に立件に至らず、事件は静岡県・浜松市の医療衛生史に刻まれる悲劇として語り継がれている。
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北伊豆地震
静岡県伊豆半島北部を震源とする直下型地震。死者・行方不明者272人、負傷者572人を出した。
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丹那トンネル熱海口崩落事故
1921年(大正10年)4月1日午後4時20分ごろ、静岡県田方郡熱海町(現・熱海市)で建設中だった丹那トンネル熱海口(東口)付近、坑口から約300メートルの地点で崩落が発生した。作業員33名が生き埋めとなり、16名が死亡した。退路を断たれた17名は坑内奥に取り残されたが、7日後の4月8日に生存した状態で救出された。事故現場では地熱による地質変化と断層破砕帯からの湧水が確認されており、事故後は水抜き坑を先進させる排水工法(後の「丹那方式」)が各地のトンネル工事に採用された。トンネル全体の工事は当初計画の7年を大幅に超えて16年を要し、工事期間中の事故による死者は67名にのぼった。丹那トンネルは1934年(昭和9年)12月、熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間として開通した。
出典: https://jiken.jp/pref/shizuoka/(2026-10-30 取得)/ 事件JP