沖国大米軍ヘリ墜落事件

発生日 2004年8月13日(平成16年)
経過 発生から21年11か月
発生場所 沖縄県 宜野湾市(沖縄国際大学)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 0人  負傷者 3人
2004年(平成16年)8月13日、訓練飛行中だった在日アメリカ海兵隊の大型輸送ヘリコプターが不具合を起こし、沖縄国際大学の構内に墜落・炎上した。搭乗員3人が負傷したが、大学関係者や周辺住民に負傷者はなかった。日米地位協定の壁により事故の全容解明には至らなかった。
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事故の経過

2004年8月13日午後2時15分ごろ、訓練飛行中だった在日アメリカ海兵隊所属の大型輸送ヘリコプター(CH-53D型)が普天間基地近くで不具合を起こし、テールローターが分離した。機体は住宅地や子どもたちが遊んでいたサッカー場を避けるように飛行したのち、宜野湾市の沖縄国際大学の構内に墜落し、1号館北側に接触・炎上した。搭乗していた乗員3人が負傷したが、大学関係者や周辺住民に負傷者は出なかった。事故当日は大学が夏季休業中だったこともあり、学生の多くが構内にいなかったことも、大惨事を免れた要因の一つとされる。墜落の瞬間には黒煙が周辺一帯に立ち上り、住宅街に隣接する大学構内での出来事に地域住民も騒然となった。市街地の中心部に位置する普天間基地の危険性は、この事故以前から地域住民の間で長年懸念されてきた問題でもあった。
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事後対応と課題

墜落直後から米軍は現場を規制し、大学関係者や宜野湾市当局はもとより、地元の消防・警察も現場に立ち入ることができない状態が続いた。沖縄県警察は事故発生翌日から日米合同での現場検証を求めたが、米軍側から明確な回答がないまま数日が経過した。米軍はその後、大学の許可を得ないまま現場周辺の立木を伐採し、墜落した機体や周辺の土壌を回収して基地に持ち去った。沖縄県警察は航空危険行為等処罰法違反容疑で公訴時効の3年間にわたり捜査を続けたが、日米地位協定の壁に阻まれ、事故原因の全容解明には至らなかった。事故から約1か月後には、現場となった大学で抗議集会が開かれ、主催者発表で3万人が参加した。

その後

損傷した1号館は2005年8月までに解体され、汚染土壌の除去を経て2006年10月に再建工事が完了した。日本政府は大学や周辺住民らへの補償として、1号館の復旧費用を含む2億4300万円を大学に、周辺住民らにも1600万円あまりを支払った。この事故は、市街地に隣接する米軍基地の危険性と、事故発生時の日米地位協定上の捜査権限の限界を改めて浮き彫りにし、普天間基地の移設問題を巡る議論にも大きな影響を与えた。

経過

  1. 2004年8月13日
    平成16年

    事件・事故 米軍ヘリが沖縄国際大学構内に墜落

    搭乗員3人が負傷。大学関係者・住民に負傷者なし。

出典・公的資料

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「沖国大米軍ヘリ墜落事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/2004-okiu-helicopter-crash/

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更新履歴

  • 2026年7月20日 初版公開

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