北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 通称: 夕張炭鉱ガス突出事故

発生日 1981年10月16日(昭和56年) 1981年(昭和56年)の事件 / 10月16日に起きた事件
経過 発生から45年
発生場所 北海道 夕張市清水沢
種別 事故
状態 終結
被害 死者 93人
  • 炭鉱事故・産業災害海面下810メートルの坑道でガスが突出し、坑内火災の拡大を防ぐための注水作業も含め最終的に93人が死亡した。事故から1年後に炭鉱は閉山した。
1981年(昭和56年)10月16日、北海道夕張市の北炭夕張新炭鉱で、地表下1,000メートルを超える深部の坑道掘進現場でガス突出が起き、救助活動中の同日夜にはガス爆発と坑内火災が続いた。死者は一次災害83人、二次災害10人の計93人。坑内への注水を経て遺体の収容は翌年3月まで続き、炭鉱は1982年10月に閉山した。
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事故の経過

1981年(昭和56年)10月16日午後0時41分ごろ、北海道夕張市清水沢の北炭夕張新炭鉱で、地表下1,000メートルを超える深部にある北第五区域のロングゲート坑道の掘進作業場付近でガス突出が発生した(一次災害)。突出は初動に続いて連続して起こり、大規模なものとなった。事故調査委員会の推定では、突出した炭量は約4,000立方メートル、ガス量は約60万立方メートルに達した。さらに救助活動中の同日午後10時10分ごろ、同じ区域でガス爆発(二次災害)が起き、坑内火災となった。死者は一次災害で83人、二次災害で10人の計93人にのぼった。夕張新炭鉱は1970年10月に開発に着手し、1975年6月に営業出炭を始めた比較的新しい炭鉱で、典型的な「ガス山」だったため、札幌鉱山保安監督局は重点炭鉱として、通常の炭鉱の約3倍の頻度で巡回監督していた。
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事故調査委員会が推定した原因

東京大学名誉教授の伊木正二を委員長とする夕張新炭鉱事故調査委員会は、1982年7月2日に報告書を政府に提出した。報告書は、北第五区域が断層や褶曲の影響でガスの多い地帯で、周辺に採掘跡のない処女区域だったためガスが抜けにくい環境にあったこと、災害後の探査ボーリングで坑道の掘進方向に注意を要する断層と擾乱帯が確認されたことを挙げた。そのうえで、ボーリングによるガス抜き量が少なくその減衰が急だったこと、発破後のメタンガスの増加、炭壁の軟化、災害の約2時間前に集中監視装置のメタンガス濃度の記録に不安定な変化が現れていたことなど、突出の予兆といえる変化があった中で掘進を進めたとして、坑道の奥に対するガスの去勢(ガス抜き)が不十分だったことが原因と推定した。二次災害の着火源については、電気工作物や自然発火などを一つずつ検討した結果、救護隊が持ち込んだビニールシートや救助作業者の身体に帯電した静電気の放電による火花と推定した。委員長は国会で、静電気については証拠をつかめず、実験の結果からの推定であると説明している。採掘を急いだことが背景にあったのではないかとの国会での指摘に対し、通商産業省は、報告書は坑道展開と事故の発生に直接の因果関係を見いだしていないとし、当時の掘進速度は1日約4メートルで、過去の実績と比べて特に速くはなかったと答弁した。

事故後の対応と炭鉱の閉山

坑内火災が続き、メタンガスの濃度も下がらず第三次災害のおそれが高いまま推移した。会社は10月21日、行方不明者の生存は絶望的と判断して、注水による消火と遺体の早期搬出について家族に説明し同意を求め、59人が残る区域への注水は10月23日に始まった。最終的に93人が死亡し、遺体の収容は事故発生から163日後の1982年3月28日まで続いた。会社側の経営責任者は引責辞任し、遺族には弔慰金の支払いや、後の和解による追加補償が行われた。これに先立つ1981年12月15日、運営会社の北炭夕張炭鉱は札幌地方裁判所に会社更生手続の開始を申し立て、事故から1年後の1982年10月、北炭夕張新炭鉱は閉山した。これを契機に北炭グループの他の炭鉱も相次いで閉山、1995年には北炭本体が経営破綻するに至った。この事故は、戦後日本のエネルギー政策の転換点にあった国内石炭産業の斜陽化を象徴する出来事としても記憶されている。

経過

  1. 1981年10月16日
    昭和56年

    事件・事故 坑道でガス突出、救助中にガス爆発と坑内火災

    一次災害で83人、二次災害で10人が死亡した。

  2. 1981年10月23日
    昭和56年

    その他 坑内への注水を決定・開始

    59人の安否不明者がいる区域へ注水

  3. 1981年12月15日
    昭和56年

    その他 北炭夕張炭鉱が会社更生手続の開始を申し立て

    札幌地方裁判所に申し立てた。

  4. 1982年3月28日
    昭和57年

    その他 最後の遺体を収容(事故から163日後)

  5. 1982年7月2日
    昭和57年

    捜査 事故調査委員会が報告書を政府に提出

    ガス抜きの不十分を原因と推定し、二次災害の着火源は静電気と推定した。

  6. 1982年10月
    昭和57年

    その他 北炭夕張新炭鉱、閉山

出典・公的資料

一次資料 6件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1981-hokutan-yubari-coal-mine-disaster/
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更新履歴

  • 2026年10月5日 一次資料補強:国会会議録(事故調査委員会報告書の骨子説明、立地公害局長・石炭部長の報告と答弁)を出典に追加。一次・二次災害の区別と死者の内訳、突出規模、事故調査委員会の原因推定の節を加筆。会社更生法の申請を「1982年12月」→1981年12月15日に訂正。<title>に発生年を追加
  • 2026年9月25日 出典type分類を訂正(press→other、北海道新聞)
  • 2026年7月23日 初版公開

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