北陸トンネル火災事故

発生日 1972年11月6日(昭和47年)
経過 発生から53年8か月 1980年11月25日の確定から45年8か月
発生場所 福井県 敦賀市(北陸本線 北陸トンネル内)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 30人  負傷者 714人
1972年(昭和47年)11月6日未明、福井県敦賀市の北陸本線・北陸トンネル内を走行中の急行「きたぐに」の食堂車から出火し、乗客約760人のうち30人が死亡、714人が負傷した。当時トンネル内には消火・排煙設備がなく、列車がトンネル内で緊急停車したことで被害が拡大した。運輸省の特別監査報告書は国鉄の責任を明確に指摘し、以後の鉄道車両の防火対策強化につながった。
広告

事故の経過

北陸トンネルは1962年に開通した全長13,870mの鉄道トンネルで、山陽新幹線の六甲トンネルが完成する1972年まで日本最長のトンネルだった。1972年11月6日午前1時8分ごろ、大阪発青森行きの下り急行「きたぐに」(15両編成)が、福井県敦賀市の北陸本線・北陸トンネル内を走行中、11号車の食堂車喫煙室付近から出火した。当時の規定に従い、列車はトンネル内で緊急停車したが、換気設備がないトンネル内に煙が充満し、乗客約760人のうち30人が死亡、714人が負傷する大惨事となった。死者のうち29人は一酸化炭素中毒による死亡で、残る1人は避難中に排水溝に転落したことによる溺死だった。
広告

事故調査と原因・裁判

運輸省は事故当日、国鉄監査委員会に特別監査を命令し、翌1973年1月16日に「北陸トンネル特別監査報告書」がまとめられた。報告書は、火災発生時に長大トンネル内では停車せず走り抜けるべきだったにもかかわらず規定通り停車したこと、消火・排煙設備が整備されていなかったことなど、事故の責任は国鉄にあると結論づけた。出火原因については、科学警察研究所の鑑定で食堂車喫煙室の座席下に設置された電気暖房器具の接続部分の劣化による過熱が有力視されたが、完全な特定には至らなかった。乗務員2人は業務上過失致死傷の疑いで起訴されたが、1980年11月25日、金沢地方裁判所は「当時の規定を遵守し最善を尽くした」として2人に無罪を言い渡し、判決が確定した。この判決は、事故の責任を組織的な規定や設備の不備に求め、現場の乗務員個人の過失を問わなかった点で注目された。

その後の鉄道防火対策

この事故を教訓に、長大トンネル内での火災発生時には停車せずトンネルを抜けるまで走行を継続する運行規定へと改められた。あわせて、車両の内装材の難燃化、消火器・非常灯の設置、長大トンネルの坑口付近への防毒マスクなど救難用装備の備蓄、救援用動力車・消防車両の配備、排煙設備の整備が全国的に進められ、日本の鉄道車両・トンネルの防災対策が大きく前進する契機となった。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1972年11月6日
  2. 判決 1980年11月25日 +2,941日

経過

  1. 1972年11月6日
    昭和47年

    事件・事故 急行「きたぐに」の食堂車から出火

    トンネル内での緊急停車後、煙が充満し死者30人・負傷者714人が発生した。

  2. 1973年
    昭和48年

    その他 トンネル内火災時の運行規定が改訂

    長大トンネル内での火災時は停車せず走り抜ける方式に改められた。

  3. 1973年1月16日
    昭和48年

    その他 国鉄監査委員会が特別監査報告書を公表

    事故の責任は国鉄にあると結論づけ、排煙対策の強化を提言した。

  4. 1980年11月25日
    昭和55年

    判決 金沢地方裁判所の無罪判決が確定

    業務上過失致死傷罪に問われた機関士・専務車掌について、当時の規定を遵守し最善を尽くしたとして無罪を言い渡し、判決が確定した。

    金沢地方裁判所

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「北陸トンネル火災事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1972-hokuriku-tunnel-fire/

関連する事件

広告

更新履歴

  • 2026年7月16日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。