日本航空123便墜落事故 通称: 御巣鷹山事故

発生日 1985年8月12日(昭和60年)
経過 発生から41年1か月
発生場所 群馬県 多野郡上野村
種別 事故
状態 終結
被害 死者 520人  負傷者 4人
1985年(昭和60年)8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便(ボーイング747SR)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。乗員乗客524人のうち520人が死亡し、単独機の航空事故としては世界最悪の犠牲者数となった。運輸省航空事故調査委員会は、過去の修理ミスに起因する後部圧力隔壁の破壊を事故原因とする報告書を公表した。
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事故の経過

123便は18時12分に羽田空港を離陸。18時24分ごろ相模湾上空で後部圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼の大部分と油圧操縦系統を喪失した。乗務員は約32分間にわたり操縦を試みたが、18時56分ごろ群馬県上野村の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した。
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事故原因の調査

運輸省航空事故調査委員会は1987年6月に事故調査報告書を公表。1978年の大阪空港でのしりもち事故後にボーイング社が実施した後部圧力隔壁の修理が不適切であり、疲労亀裂が進行して隔壁が破壊されたことを事故原因と結論づけた。

生存者の発見と救助をめぐる混乱

航空自衛隊は正式な災害派遣要請に先立ち、墜落から5分後の19時01分に戦闘機を、19時54分には救難ヘリを緊急発進させたが、防衛庁への正式な災害派遣要請は墜落から1時間40分後の20時33分、陸上自衛隊への要請はさらに遅れて21時30分となった。生存者4人が発見されたのは翌13日午前で、医療チームが現場に到着したのは12時13分。炎天下での救護を経て、生存者全員がヘリに収容されたのは13時28分であり、発見から収容完了まで3時間近くを要したことは、事故後の救助・情報伝達体制の課題として指摘されている。米軍輸送機が事故当日の19時15分ごろ、墜落地点付近で火災を確認したとの情報を伝えていたが、夜間かつ険しい山岳地形での捜索が難航し、正確な現場特定と地上部隊の到達には長い時間を要した。陸上自衛隊の部隊が現場に到達したのは翌13日朝であった。

乗客が書き残した遺書

墜落までの約32分間、機内では複数の乗客が動揺する機体の中で家族に宛てた遺書やメモを書き残していた。これらの遺書は事故現場から発見され、一部は遺族の元に届けられた。乗務員による「おちついてください ベルトをはずし 身のまわりを用意してください」といった不時着に備えた案内のメモも残されており、事故機が墜落に至るまでの乗員・乗客の様子を伝える資料として、今も慰霊の園などで大切に保管されている。

ボイスレコーダー生データ開示をめぐる訴訟

事故調査報告書には操縦室内の会話を記録したボイスレコーダー(CVR)の文字起こしが掲載され公開されているが、遺族の一部は音声データそのものの開示を求めてきた。2021年3月、遺族が日本航空を相手取り、CVR・フライトレコーダーの生データ開示を求めて東京地方裁判所に提訴したが、2022年10月13日に請求が棄却され、控訴審でも同様の判断が示された。乗務員の会話には個人の発言が含まれることから、事故原因究明の公益性とプライバシー保護の兼ね合いが争点となっている。

単独機事故として今なお続く世界最多の犠牲者数

123便の事故による520名の犠牲者数は、単独の航空機によるものとしては現在も世界の航空史上最多である。複数機が関わった事故を含めると、1977年3月にスペイン領カナリア諸島テネリフェ空港で発生したジャンボ機同士の衝突事故(583名死亡)に次いで世界で2番目に多い犠牲者数となる。国内の航空事故としては戦後最悪の被害規模であり、この事故を機に日本の航空会社における機体整備・修理記録の管理体制の見直しが進められた。事故機は「ボーイング747SR」と呼ばれる、日本国内線の短距離・高頻度運航向けに機体構造を強化した特別仕様機であり、離着陸を繰り返す国内線の運用実態が、圧力隔壁にかかる金属疲労を蓄積させる一因になったとも指摘されている。

御巣鷹の尾根での慰霊と事故の教訓の継承

墜落現場の御巣鷹の尾根では、事故から1年後の1986年8月1日に慰霊碑「昇魂之碑」と、遺骨安置所・展示棟を備えた追悼施設「慰霊の園」が完成した。遺族でつくる「8・12連絡会」を中心に、毎年8月12日には慰霊登山が行われている。日本航空は2004年に相次いだ重大インシデントを受けて設置された第三者調査委員会の提言により、2006年4月24日に安全啓発センターを東京国際空港(羽田空港)内に開設し、機体残骸や圧力隔壁、ボイスレコーダーなどを展示して社員教育に活用している。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1985年8月12日
  2. 判決 2022年10月13日 +13,576日

経過

  1. 1985年8月12日
    昭和60年

    事件・事故 御巣鷹の尾根に墜落

    18時56分ごろ、垂直尾翼と油圧操縦系統を失った123便が墜落した。

  2. 1985年8月13日
    昭和60年

    その他 生存者4人を収容

    発見から3時間近くを経て、生存者全員がヘリに収容された。

  3. 1986年8月1日
    昭和61年

    その他 慰霊施設「慰霊の園」が完成

  4. 1987年6月19日
    昭和62年

    その他 事故調査報告書を公表

    後部圧力隔壁の修理不良を事故原因と結論づけた。

  5. 2006年4月24日
    平成18年

    その他 日本航空が安全啓発センターを開設

  6. 2021年3月26日
    令和3年

    その他 遺族がボイスレコーダー生データ開示を求め提訴

  7. 2022年10月13日
    令和4年

    判決 東京地裁が開示請求を棄却

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「日本航空123便墜落事故」事件JP、2026年9月15日閲覧。https://jiken.jp/cases/1985-jal123-crash/

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更新履歴

  • 2026年8月11日 記事内容を拡充(救助をめぐる混乱、乗客が書き残した遺書、ボイスレコーダー生データ開示訴訟などを追加)
  • 2026年7月12日 本文を増補(「単独機事故として今なお続く世界最多の犠牲者数」「御巣鷹の尾根での慰霊と事故の教訓の継承」の2セクションを追加)
  • 2026年7月11日 初版公開

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