朝霞自衛官殺害事件 通称: 赤衛軍事件
| 発生日 | 1971年8月21日(昭和46年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から54年11か月 1992年7月21日の確定から34年 |
| 発生場所 | 埼玉県 朝霞市(陸上自衛隊朝霞駐屯地。東京都練馬区・埼玉県和光市・新座市にまたがる) |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 1人 負傷者 0人 |
1971年(昭和46年)8月21日夜、埼玉県朝霞市の陸上自衛隊朝霞駐屯地で、警備任務中の自衛官・一場哲雄士長(当時21歳)が、新左翼グループ「赤衛軍」を名乗る学生らに襲撃され殺害された事件。犯人グループは幹部自衛官の制服を着用して駐屯地に侵入したとされる。
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事件の経過
1971年(昭和46年)8月21日、陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都練馬区・埼玉県朝霞市・和光市・新座市にまたがる)で警備任務に就いていた東部方面隊第311装輪車野整備隊所属の一場哲雄士長(当時21歳)が、午後8時30分からの3回目の動哨中に、駐屯地内に侵入した新左翼グループのメンバーらに襲撃された。犯人グループは自らを「赤衛軍」と名乗り、幹部自衛官の制服を着用して警衛をすり抜け侵入したとされる。翌22日午前0時30分、捜索に出た隊員が血まみれで倒れている一場士長を発見したが、既に死亡していた。一場士長は事件後、二階級特別昇任した。
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捜査・裁判の経過
警視庁・自衛隊は事件後、大規模な捜査を展開し、1971年11月16日から11月30日にかけて、実行犯として日本大学文理学部の菊井良治(当時22歳)ら学生5人を強盗殺人容疑などで順次逮捕した。首謀者とされた京都大学助手・竹本信弘(ペンネーム滝田修)は逃走を続け、10年以上を経て身柄を確保された。裁判では、菊井良治が1975年1月29日の浦和地裁判決で懲役18年、1977年6月30日の東京高裁判決で懲役15年に減刑され、同年11月の最高裁決定により懲役15年が確定した。竹本信弘は1989年3月2日、浦和地裁で謀議への直接関与を否定し幇助で懲役5年の判決を受け、1992年7月21日に控訴を取り下げて刑が確定したが、未決勾留期間が量刑を上回ったため釈放された。事件をめぐっては、朝日ジャーナルの記者が1971年2月から菊井と接触して金銭を渡すなど便宜を図り、その見返りにスクープ情報を得ていたほか、犯行の物証とされる警衛腕章を焼却させていたことが後に発覚した。同記者は1972年1月9日に証憑隠滅容疑で逮捕されて懲戒解雇となり、同年9月27日、浦和地裁で懲役10か月・執行猶予2年の判決を受けた。この一件は、当時のマスメディアと取材対象の関係のあり方に大きな問題を投げかけた。
経過
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1971年8月21日
昭和46年事件・事故 動哨中の一場哲雄士長が襲撃され死亡
「赤衛軍」を名乗る新左翼グループによる襲撃
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1971年11月16日
昭和46年逮捕 菊井良治ら実行犯を順次逮捕
11月30日にかけて学生5人を強盗殺人容疑などで逮捕
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1975年1月29日
昭和50年判決 浦和地裁、菊井良治に懲役18年判決
浦和地方裁判所
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1977年6月30日
昭和52年判決 東京高裁、菊井良治を懲役15年に減刑
東京高等裁判所
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1977年11月
昭和52年判決 最高裁決定により菊井良治の懲役15年確定
最高裁判所
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1992年7月21日
平成4年判決 竹本信弘、控訴取り下げにより懲役5年確定
未決勾留期間が量刑を上回り釈放
浦和地方裁判所
出典・公的資料
- その他
- その他
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「朝霞自衛官殺害事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-asaka-sdf-officer-murder/
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更新履歴
- 2026年7月21日 初版公開
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