新宿クリスマスツリー爆弾事件
結末 1991年2月、グループの中心人物の男に無期懲役の判決が確定。共犯者にも懲役10〜20年の判決が確定した
| 発生日 | 1971年12月24日(昭和46年) 1971年(昭和46年)の事件 / 12月24日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から54年10か月 1991年2月1日の確定から35年8か月 |
| 発生場所 | 東京都 新宿区新宿三丁目(警視庁四谷警察署追分派出所付近) |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 0人 負傷者 7人 |
1971年(昭和46年)12月24日午後7時過ぎ、東京都新宿区新宿三丁目の警視庁四谷警察署追分派出所付近で、クリスマスツリーに偽装した手製爆弾が爆発した事件。臨場した警察官が重傷を負ったほか、通行人6人が重軽傷を負った。新左翼系グループによる犯行で、民間人を巻き込む無差別テロとして警視庁が異例の警戒態勢をとる契機となった。
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黒ヘルグループの結成と過激化
1960年代末の学生運動の高揚期、特定のセクトに属さない活動家たちは、着用したヘルメットの色にちなみ「黒ヘル」と呼ばれた。その一部は1971年頃、元東洋大学生の男と元秋田大学生の男を中心に集団化し、東洋大学・法政大学の学生や演劇関係者ら30数人が加わった。同年8月、グループは山形県の鳥海山麓にある漁師小屋にこもり、鉄パイプ爆弾の製造と爆破の実地訓練を行った。9月以降は警察施設に加え在日米軍関連施設も標的に定め、同年10月23日には東京都杉並区の高円寺駅前派出所に爆発物を仕掛けて爆発させるなど、都内の警察施設を狙った事件を相次いで起こしていた。
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事件の経緯
1971年12月24日午後7時10分頃、東京都新宿区新宿三丁目にあった警視庁四谷警察署追分派出所の裏手に不審な紙袋が置かれているのを近くの商店主が見つけ、通報した。駆けつけた警察官が確認したところ、紙袋の中には高さ約50センチメートルのクリスマスツリーが入っており、その下からリード線が伸びているのを見つけた。爆発物である可能性が高いと判断し本署に通報しようとした矢先、紙袋が爆発した。
被害の状況
爆発により、現場にいた警察官1人と周辺の通行人6人が重軽傷を負った。警察官のうち1人は左足切断、左手指4本切断、右目失明という極めて重い傷害を負った。同年6月17日には東京都新宿区の明治公園でも同種の爆弾事件が発生しており、新宿の事件は繁華街で一般の通行人にまで死傷者が及んだ点で、それまでの警察・自衛隊施設を標的にした攻撃とは一線を画するものと受け止められた。
逮捕と判決確定
警察庁警備局長は1972年6月8日の衆議院地方行政委員会で、昨年12月24日の「一般市民を巻き込んだ非常に卑劣な爆発物事件」もようやく検挙に至ったと述べ、犯人は赤軍や安保共闘などに属さない、新聞のいう「黒ヘル集団」という小グループに属していたと説明した。こうした小グループは変動が激しく把握が非常に難しいとして、逮捕者の供述をたぐるなどして危険な小グループの把握に努めるとした。一方、グループの中心人物とされた男は逃走して長期間潜伏を続け、1980年3月にようやく身柄を確保された。逮捕まで事件発生から約8年を要したことになる。長期にわたる裁判の末、1991年2月、裁判所は男に無期懲役の判決を言い渡し確定した。男は同年5月から宮城刑務所で服役を開始し、服役中の1997年には獄中から自身の生活と意見をつづった著書を出版している。他の共犯者にも懲役10年から20年の判決が言い渡され、それぞれ確定した。
警備体制への影響
事件後、警視庁は都内の交番周辺における不審物への警戒を強化し、交番勤務員に対する爆発物対応訓練の見直しを進めたとされる。繁華街の交番が標的になったことは、それまで要人や大規模施設を中心に想定されていたテロ対策の考え方に、市民生活に密着した末端の治安拠点も対象に加える必要性を突きつける出来事となった。
同時代の新左翼テロとの関係
1970年代前半の日本では、新左翼系グループによる爆弾闘争が相次いだ。1971年前後には土田・日石・ピース缶爆弾事件として知られる一連の爆弾事件が起き、1974年から1975年にかけては東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件が起きるなど、民間人を巻き込む爆弾テロが社会に衝撃を与える時期が続いた。新宿クリスマスツリー爆弾事件は、こうした一連のテロの中でも、繁華街の交番という日常的な場所が狙われた点で、都市住民に強い不安を与えた事件として記憶されている。
事件の位置づけ
本件は、新左翼の一部が民間人を巻き込む無差別的な爆弾テロに踏み込んだ初期の事例として位置づけられている。警視庁はこれを受けて事実上の非常事態態勢を敷き、繁華街での警戒を強化した。新左翼系の過激派によるテロはその後も続き、1974年には法政大学出身者らを中心とする東アジア反日武装戦線が、爆弾製造の手引書とされる文書を非合法出版したうえ、企業ビルなどを標的にした爆破事件を繰り返した。民間人を標的とした過激派テロの系譜は、1970年代を通じて日本社会が直面した深刻な治安上の課題であり続けた。
経過
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1971年12月24日
昭和46年事件・事故 四谷署追分派出所付近でクリスマスツリー爆弾が爆発
新左翼系グループが仕掛けた手製爆弾が爆発し、警察官1人(左足切断等の重傷)、通行人6人が重軽傷を負った。
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1980年3月
昭和55年逮捕 実行犯グループの中心人物の男を逮捕
事件後に長期潜伏していた「黒ヘルグループ」の中心人物とされる男が逮捕された。
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1991年2月
平成3年判決 中心人物の男に無期懲役の判決が確定
長期にわたる裁判の末、中心人物の男に無期懲役の判決が言い渡され確定した。同年5月から宮城刑務所で服役を開始した。
出典・公的資料
一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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調査報告書
国会会議録検索システム(国立国会図書館) 1972年6月8日発行1971年12月24日の爆発物事件が検挙に至ったこと、犯人がいわゆる黒ヘル集団の小グループに属していたことを確認
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その他
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- その他
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「新宿クリスマスツリー爆弾事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-shinjuku-christmas-tree-bombing/
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更新履歴
- 2026年10月3日 一次資料補強:国会会議録(1972年6月の警察庁警備局長の答弁)を出典に追加し、検挙の状況と犯人グループの性格を加筆。関連事件の記述で根拠のない「警備会社役員が死亡」を削除
- 2026年9月25日 負傷者数を訂正(9人→7人、警察官2人→1人・通行人7人→6人、DB自身が引用する出典と矛盾していた)、出典type分類を訂正
- 2026年8月18日 初版公開
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